【note:SF概論】

【有名なSF作品と言えば…】

「SF」という言葉は、1926年にアメリカで創刊された雑誌
『アメージング・ストーリーズ』の初代編集長がつくった
Scientifiction」という造語から誕生しました。
この「サイエンティフィクション」では言いにくいために
「サイエンス・フィクション(SF)」となって広まったそうです。
日本では“空想科学小説” と呼ばれました。

ちなみに、SFの黄金時代は1940年代〜50年代だそうで、
そんな海外のSF小説が、戦後の日本にどっと流入してきました。
当初は子供向けの読み物だったようです。
1954年には日本初のSF雑誌『星雲』が創刊されています。

SFという言葉ができる以前にも、"SF的"な小説はありました。

メアリー・シェリー(英):『フランケンシュタイン』1818、  
ジュール・ベルヌ(仏):『月世界旅行』1865、『海底二万里』1870、
H・G・ウェルズ(英):『タイムマシン』1895、『透明人間』1897、
といった作品が有名です。

たとえば日本では、月の都に帰ってゆく かぐや姫の物語が
現代の我々の視点から見れば、"SF的"だなんて言われますね。
この『竹取物語』は"物語の出で来はじめの祖(おや)"、
(=日本最古の物語)とされています。

"科学小説"としては、昭和初期の海野十三(うんのじゅうざ)を
日本のSFの草分けとする説もあるようです。

そして今、SFは小説以外のジャンルにも拡散しています。
SFと聞くと、SF映画やアニメなどのスペクタクルな
"映像作品"を思い浮かべる人が多いかもしれません。

たとえば、海外のSF映画だと、
『2001年宇宙の旅』1968、
『スターウォーズ』1978、
『未知との遭遇』1978、
『エイリアン』1979、
『E.T.』1982、
『ブレードランナー』1982、
『ターミネーター』1984、
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』1985
などの名作がよく話題になります。

日本のマンガやアニメ作品では、
『鉄腕アトム』1968-、
『ドラえもん』1969-、
『宇宙戦艦ヤマト』1974-、
『うる星やつら』1978-、
『機動戦士ガンダム』1978-、
『風の谷のナウシカ』1982-、
『AKIRA』1982-、
『エヴァンゲリオン』1995‐
といったところでしょうか。

小説、漫画・アニメ、特撮作品、映画など、
戦後のSFの流れがざっくりわかる年表を作ってみました。

<SFの歴史(戦後のSF作品)>
(PDF:403KB)

SFとは何か?】

かつては、SFの定義や価値をめぐる議論が盛んでしたが、
今ではSFは「ファンタジー」や「ミステリ」「ホラー」といった
多種多様なエンタメ作品の1つのジャンルとなっています。

しかも、ミステリやホラーの要素をもつSF作品もあれば、
ヒューマンドラマや冒険活劇、パニックもの、コメディなど
いろんなタイプのSFがあるので、とくにSFとは意識せずに、
単なるエンタメ作品として消費している場合も、ままあります。

いったい「SF」と呼ばれるための条件とは何でしょうか。

批評家の大森望(おおもりのぞみ)さんは、
SFの指標として、以下のような点をあげています。
(ウィキペデイアの「SF」の項より)

@科学を基盤にし、異世界が舞台でも、どこかで「現実」と繋がっている。
A現実の日常ではぜったいに起きないようなことが起きる。
B読者の常識をくつがえす発想や「センス・オブ・ワンダー」がある。   
CこれまでのSFのアイデア(宇宙人、ロボット、超能力など)が登場する。
(『21世紀SF1000』大森望)

4番目の点については、"電脳空間"とか"ニュータイプ"とか、
次々と新しいSF的ギミック(仕掛け)が発明されてきました。

一方、戦後の日本のSF界をリードしてきた星新一
文芸誌『三田文学』(1970年10月号)のなかで
作家としての立場から、次のようなSF観を語っています。

ぼくの考えだとSFというのはないのじゃないかということです。
あるものは作家と作品だけで、SFの世界などはないのじゃないかと
思うのです。各、個人個人のSF的手法における世界はあるけれども、
SFという一つの世界はないのじゃないかという気がしてきたのです。
だからこそ内的宇宙の再確認なのです。そうでなければいかん。
SFというものを既成概念で作っちゃって、
それで合わせていくと、ろくな作品はでてこない。

(『星新一 一〇〇一話をつくった人』最相葉月2007)

SFは文学表現上の手法、テクニックの一つであって
"SF"という共通の概念(≒ジャンル)にとらわれて
それに作品を合わせてしまうことへの疑念、ですね。

大切なのはジャンルやギミック(仕掛け)よりも、
一人の作家、一つの作品の"内的宇宙"を確認すること。

日本でSFがジャンルとして成立する過程において、
SFは新しい世界観や人間観を表現できる方法として
これまでの"文学"のワクを広げるものだと期待された一方、
SFは“文学”ではないと否定する考えもありました。

SFと文学と星新一
SFノート:02

SF(の魅力)とは何か?】

2020年3月、Eテレの「100分de名著」という番組で
SF作家、アーサー・C・クラークの特集をやってました。
言わずと知れた『2001年宇宙の旅』の原作者であり、
ロバート・A・ハインラインアイザック・アシモフと並ぶ
SF界の"ビッグ3"の一人です。

講師の瀬名秀明さんは、番組テキストにこう書いています。

SFとは何か   これに答えるのは
「日本料理とは何か」「フランス料理とは何か」という問いに
ひと言で答えるのが難しいのと同様に極めて難しい。… 

「SFとは何か」について論じるならば、
それは「ぼくたちの人間性とは何か」という大切な問いに
真正面から向き合い、考えることに等しい。

(瀬名秀明『NHK100分de名著 アーサー・C・クラーク スペシャル』)

「SFとは何か」という難問に答えようとすれば、
そもそも人間にとって「S:サイエンス(科学)」とは何か?
「F:フィクション(架空の物語・虚構)」とは何か?という
より大きな2つの問いについて考えるハメになります。

つきつめればそれは、私たちの文化の根底にある謎、
"我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか"
   つまり「人間とは何か」という問いにつながります。
(大風呂敷を広げ過ぎた感がありますが…)

瀬名さんは先ほどのテキストの中で、SFの価値について
「人の創造性を鼓舞する[inspirational]こと」という
アーサー・C・クラークの言葉を翻訳し、紹介しています。

いったいどれほど多くの若者がヴェルヌとウェルズの小説から
世界の不思議(ワンダー)を知り、目を開かされて、科学の道に進んだことか?

…(SF作家は)読者に対して心の柔軟性を、変化への心構えと
"ようこそ"という気持ちを   ひと言でいえば、適応性を促すのです。

(カリンガ賞を受賞したアーサー・C・クラークの記念スピーチより 1962)

"センス・オブ・ワンダー(不思議さの感覚)"という言葉は、
SFの特質や魅力を表すためによく使われてきました。

よく考えてみれば(SF作品が不思議というよりは)
宇宙や生命など、科学が対象としている
"自然界"そのものが不思議に満ちあふれています。

ふしぎだと思うこと これが科学の芽です。
よく観察してたしかめ そして考えること これが科学の茎です。
そうして最後になぞがとける これが科学の花です。

(朝永振一郎:1906−1979)

進化し続ける科学技術(テクノロジー)によって
変容してゆく社会のあり方や、想像され描かれる未来も、
私たちの目には不思議なものと映ります。

科学は不思議を殺すものではなく、不思議を生み出すものである。 
(寺田寅彦:1876−1935)  

『ドラえもん』の作者である藤子・F・不二雄は、
「すこし(Sukoshi)・ふしぎ(Fushigi)」という造語で、
「SF」をより親しみやすく表現しました。

人間は太古の昔から、神話や物語などを通じて
この世界の不思議やその解釈を表現してきました。

科学もまた、世界の謎に対する一つの解釈です。
(宗教は「信じる」もので、科学は反証可能性に
開かれた仮説として「理解する」ものですが)

いつの時代も、人間は"物語"という虚構を必要とし、
社会は虚構(フィクション)に支えられ維持されています。
神が死んだ近代、科学技術のめざましい発展によって、
科学を"魔法"のように扱うフィクションが生まれました。

いわばSFとは、科学の時代の新しい“神話”だったり
科学にかこつけた“寓話”と呼べるのかも知れません。

SFの魅力については、以前「よりぬき文庫」で紹介した
カート・ヴォネガットの作品に、こんな文章がありました。
作中人物のエリオット・ローズウォーター氏が
SF作家の会議に飛び入りして行った名スピーチを
もう一度引用しておきます 。

ぼくはくそったれな諸君が大好きだ。
最近は、きみらの書くものしか読まない。
きみらだけだよ、いま現実にどんなものすごい変化が
起こっているかを語ってくれるのは。

きみらのようなキじるしでなくては、
人生は宇宙の旅、それも短い旅じゃなく何十億年もつづく旅だ、
なんてことはわからない。

きみらのように度胸のいい連中でなければ、
未来をほんとうに気にかけたり、機械が人間をどう変えるか、
戦争が人間をどう変えるか、大都市が人間をどう変えるか、
でっかく単純な思想が人間をどう変えるか、
とてつもない誤解や失敗や事故や災害が人間をどう変えるか、
なんてことに注目したりはしない。

きみらのようにおっちょこちょいな連中でなければ、
無限の時間と距離、決して死に絶えることのない神秘、
いまわれわれはこのさき何十億年かの旅が天国行きになるか
地獄行きになるのかの分かれ道にいるという事実
   こういうことに心をすりへらしたりはしない。


(『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』(1965)
カート・ヴォネガット/浅倉久志訳 ハヤカワ文庫)

ヴォネガット自身は「SF作家」というレッテルを貼られて
苦い思いをしたそうですが、くわしくは「よりぬき文庫」へ。

よりぬき文庫
ヴォネガットさん、あなたに神のお恵みを。