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                         ◆無差別テロのような毒舌 
                        『桃尻娘』の大きな魅力の一つは、なんといってもヒロイン榊原サンの毒舌であろう。その怒りの矛先は、周囲のあらゆる人物に向かって容赦がない。まるで無差別テロのような彼女の毒舌をいくつか並べてみよう。 
                        ◆ABCなんて無意味にかっこつけて、「だめよ」って言いながらチョッとずつ許してくのよネ、チョッとずつ確実に、高校生らしく節度を持って。でも、やりたくなると絶対に"愛"を持ち出して来たりして。今からOLみたいな真似してどうすんのかしら。そんで最後には、「だめよ、こわいわ」って言って、あたしン所に来るんだ、「ねえねえ玲奈(れな)」って。そしてそれはH・R(ホームルーム)で「男女交際について」をやった日で、昼休みの校舎の蔭なんだ、陳腐なのは顔だけにして欲しい。 
                        ◆(磯村くん談)形容詞っていえば「可愛い」しかなくって、人のズボン脱がしても「カアワイイ」だし、靴屋のウィンドウのぞいたって「カワイイッ」だろ、本当にバカなんだ。こんなこと榊原に話したら原稿用紙三枚分ぐらいの形容詞くっつけてあの女のこと罵倒すると思うよ。 
                        ◆だってあんなに平然とブスさらけ出して、しかもナウで誤魔化してるなんてさア、そんなみっともないこと出来ないわ、あたし。 ナウならナウだっていいけど、それなら一々人に「あたしはナウなんだから尊敬しろ」って、威張り散らす必要はないと思うの。そうでしょ? 
                        ◆それと、団地マラソン部隊婦人班。豚だわ。…みっともない。止めてよ。ホントにみっともないッ!どうして?どうしてどうしてどうして、あんなに女は群れてばっかりいるの?イヤッイヤッイヤ、絶対イヤッ! あんなに太ったお腹突き出してヨチヨチ走るの、あたしは絶対イヤッ! 
                           
                        ◆あたしがこんなこと言い出せばどうせサ、「ママは別にそんなにまでしてあなたに大学行って貰おうとは思ってないの」って言い出してサ、「じゃ、よかったわネ、そこで手エ打ちましょうよ」ってあたしが言い出す前に、「でもネ」って言って、「後で後悔しない?」から「よその人は」、「人並に」って変ってくでしょ。それでいつも主語は「あなたが」で、「あなたが」「あなたが」「あなたが」って百遍も言えばそれがあたしの事になるとでも思ってるらしいけど、「あなたが」っていうのは、いつも自分の事でしょう、違うの? 
                        いったい榊原サンはなぜこんなに怒ってるのか?この若者特有の"苛立ち"に、理屈抜きで共感できない人間には、たぶんこの小説は楽しめない。(幸福な高校生活でよかったネ)。ただ、たしかに面白い作品ではあるけれど、現実を生きている高校生には何とも言えない読後感が残ることも確かである。なぜなら、ページを閉じた後に待っているのは、進学や就職というレールが敷かれた味気ない現実だからである。 
                        作品の結末で、玲奈チャンは大学の入試にきれいさっぱり全部落っこちる…。 
                          続編である『その後の仁義なき桃尻娘』のなかで、大学生になった磯村クン(無花果少年)が高校時代を振り返って、こんなことを思う。 
                        ホント、なんにも考えてなかったんだ、高校ン時。 
                          考えられないのね、頭ン中ボーッっとして来て。 
                          なんかサァ、もの考えようとすんのよ。そうすっとサァ、なァーんも考えらんなくなっちゃうの。なんていうのかな、これから自分どうすんのかなァとか、こんなことやっててなんになるんかなァとか考えてると、もう、考えるより先にムラムラーッって来ちゃうのね。なんかしんないけど、ホント、怒り狂ってるというかサ、バカヤロォッ!!というかサ、なんかそういうことばっかりなのね。頭ン中で棒棒鳥が鳴いてんだから。アー、ホント、思い出すだけで頭に来る。 
                          なんか知んないけどサ、僕、ホント怒ってばっかいたんだ、高校ン時。人からはどう見えてたかは知んないけど。 
                           
                          言葉を持たない若者の内面とは、こんなものだ。自分の思いをうまく表出できず、ややこしい現実を切り分けることもできない。要するに鬱屈しているのだ。ヒロインの榊原サンにしても、ブーブー文句を言ってるだけで、問題は何ひとつ解決されていないのだ。 
                           
                          一見ハチャメチャに見える主人公たちを「それでもいいんだよ」と肯定し、生かしてやろうとする作者の愛情が、この作品に続くシリーズ全体を貫いて流れている。「ボヴァリー夫人は私だ。」とフローベールが言ったのなら「榊原玲奈は私だ」と橋本治だって言っただろう。知らないけど。 
                        作者自ら「まだ青春小説にはなっていない」と語った『桃尻娘』は、10年余りの歳月をかけて全六部の大河シリーズ小説へと成長し、主人公たちがそれぞれの青春を完結させることになる。たとえば、第三部『帰ってきた桃尻娘』で榊原サンは大学生となり、失恋をしてこんなセリフを漏らす。 
                        一人で言葉だけ吐き出してて、いつまでもそのまんまで、たった一人でつかまえられない言葉つかまえようとして、いつだっていつだって放っぽり出されてる。 
                          いつだっていつだって――。 
                          ズーッと私は一人ぼっちなんだ。  
                        情けなくて情けなくて涙が出て来る。 
                          口ばっかりでなんにも出来ない。 
                          ズーッと口ばっかりでなんにも出来なかった。 
                        あの、ブーブー文句ばかり言ってた榊原サンが、である。人を好きになるというのは、自分を見つけるというプロセスでもある。そんな作者の思いがナンダカンダあって彼女を成長させ、第五部の『無花果少年と桃尻娘』では「なんだか知らない、でももう、全部終わった!全部終わって、もう一遍全部始まる!!」との思いを抱えて、お嫁に行かせることになる。 
                          今の高校生が読んだらどんな感想を持つかわからないが、もう青春を終えてしまった大人こそ、余裕をもって懐かしく読み返せる作品なのかもしれない。「桃尻娘」シリーズ(全六部)のタイトルは以下の通り。 
                         
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