何度でもだまされたくなる“物語”という魔法。
『プラネタリウムのふたご』
著者:いしいしんじ、講談社文庫(2006)

私たちは無数の星たちが登場し、また消えていく劇場の、観覧席にいる、と考えてみてください。私たちはそのはてしないお芝居の、ほんの一幕さえ通してみることはできません。私たちの生きている時間は、星々の時間にくらべ、そりゃもう苛烈なまでにみじかいのですから。

友人からもらった手紙を読むように、好きな作家の作品を読み返す幸福なひととき。
今回 取り上げるのは、いしいしんじの『プラネタリウムのふたご』です。
※以下、ネタバレの内容をふくみます

◆いしいしんじ作品の魅力とは?

いしいしんじの作品の魅力とは何か…。
ちょうど作品の中にいい文章を見つけたので、ひとまず、それを借りておきます。
(カッコ内は私が書き換えました)

…(いしいしんじの小説)は、どこかしら古典めいた気配をもっている。(小説)と呼ぶより、神話をきかされているような感じをうける。そして周知のとおり、神話には魔法、つまり手品がつきものである。(いしいしんじの小説)に、意味をもとめようという気がわたしにはおきない。意味以前の、おおきなかたまりとのつながりを、からだの底に感じてしまうのだ」

「意味以前の、おおきなかたまり」は、
この物語では「まっ黒いおおきな闇」として表現されています。

 見えない、きこえないからといって、そこにないもないということにはならない。胸のなかで、タットルはそうひとりごちた。闇は空洞なんかじゃない。光を発さずにいても、まっくろくておおきな闇こそが、この星座の、まさに大神なんだ。

まっくろくて大きな闇。
それは、あらゆるものが生まれてくる創造の源でもあります。

宇宙のはての闇は、真っ暗だけれどエネルギーにあふれ、きっと、ふたをした鍋のスープのように、ぐつぐつ煮えたぎっていることでしょう。いってみれば星のもとは、沸騰する闇からうまれでる湯気のようなものなのです。

闇から星が誕生し、いくつもの星をつないで星座の神話が生まれたように、
目に見えない私たちの思いも、つながることで物語になります。

◆主役のふたご、テンペルとタットル

物語の舞台は、化学工場の排気のせいで星が見えなくなった村。
プラネタリウムの座席に捨てられていたふたごの兄弟が主役です。

赤ん坊の泣き声が場内にひびいたそのとき、ドームの薄闇の空には
テンペルタットル彗星が投影されていました。


 彗星をめぐる解説のさなかに拾われたこのふたごは、やがて村のひとびとから、ごく手短に「テンペル」それに「タットル」と呼ばれるようになった。こんなきれいな赤ん坊は見たことがないとみな口々にいった。ふたりとも髪の毛が白、光の具合によっては、ほとんど銀色にみえる。

成長後、テンペルは村を出て魔術師の一座の手品師となり、
タットルは、村の郵便配達の仕事のかたわらプラネタリウムの仕事を手伝います。

ふたごの育ての父となったのは、プラネタリムに住む独り身の解説員でした。

◆泣き男…プラネタリウム解説員

彼はその風貌から「泣き男」と呼ばれていた。プラネタリウムの外ではいつも、鳥かごのなかに冷たくなった小鳥のからだを見つけた老人のような顔つきをしている。

いしいしんじの作品の面白さのひとつに、つい笑ってしまう比喩があります。
たとえばこんなの。「のどをこちょこちょくすぐられる犬みたいに


ちょっと長くなりますが、ぜいたくに引用してみます。
6歳に成長したふたご(テンペル&タットル)と
彼らの父親となった解説員(泣き男)との会話のシーンです。


天文年鑑をめくりながら資料室へはいってきた解説員に、テンペルがたずねた。
「ひとつききたいんだけれど」
「なんだね」
「おもいをとげる、って、どういうことなの?」
泣き男は、すねに石をぶつけられたような表情で天文年鑑から視線をあげた。
「なんだって?」
今度はタットルが堰を切ったようにつづける。
「はくちょう座や、ヘルクレス座の解説で、でてくるでしょう。大神が美女アルクメネに近づき、おもいをとげたとか、白鳥のかっこうで美女レダのひざにのって、おもいをとげただとか。いったい、なんのこと?」
「それはおまえたち」
泣き男は口をぱくぱくとさせ、ことばをさがした。
「それは……なんでおまえら、そんなことが気になるんだ?」
テンペルがいう、
「だって巡査さんや工場のみんな、とうさんがそういったときにだけ、変なふうに鼻をならすんだもの。なんだかうれしそうに。のどをこちょこちょくすぐられてる犬みたいに
「そうそう、まさにそれなのさ」
泣き男はあわてて何度かうなずき、
「みんな真似してるんだ。大神はアルクメネやレダに、のどもとをこちょこちょとくすぐってもらったんだよ。ずっと長いあいだ、そうしてほしいとおもってたんだな」
「ふうん」
とふたごはあいまいにうなずく。
泣き男は声を落ちつかせ、
「ふたりともくすぐるのがすごく上手だった。絶世の美女はなんでもうまいんだよ」


この場面を読んで吹き出した人は、きっと、
いしいしんじの作品が好きになると思います。


ついでにもう一つ、笑ったシーンを。
プラネタリウムに隣接している小学校のハゲ頭の校長先生が
解説員(泣き男)のとこにやってきて、こうたずねます。

…正直なところ私の髪形をどうおもうかね、と、誰にいうでもなくつぶやいた。
「髪型ですか?」
…あらためてみると、わずかに残った白髪が、几帳面な櫛(くし)づかいで頭頂にうすく渡しかけられてある。そのかたちはじゅうぶん露光させた天体写真の、平行する星の流れを連想させた。…
「卑怯なんだとさ」
学会誌のページをちぎらんばかりにめくりながら、
「卑怯な髪型、というのだそうだよ。こういうのを、都会ではな!」

サーッと流れるような軌跡を描く、星の写真のような髪型。
さすが、プラネタリウムの解説員ですね。

◆ユーモラスな比喩がつぎつぎと

こうした巧みな比喩やあだ名で、登場人物の姿や行動は読者の脳裏に
くっきりと印象づけられます。
作品のなかからいくつか挙げてみます。

新品の靴でガムをふんづけたような、いつもの奇妙な笑み

砂糖まみれの手で、からだじゅう触りまわられてるような気分

全員、まるで奇襲にあった兵隊か、床下から火であぶられているかのようにせわしく動きまわっている

きのうのケーキは、ありゃ、まるでつぶれた炭鉱跡からほりだされたなにかみたいだった

鉄道王のからだは、冬枯れの立木のようにひょろ長く痩せこけていた(学生時代につけられたあだ名は『たかあしぐも』といった)

兄貴は一度、座長より『世界じゅうに子種をふりまく巨大ほうせんか』と紹介されたことがあった。

◆テンペルが入団した魔術師テオの一座

テンペルが入った<魔術師テオの一座>の面々も、
ユニークな比喩で紹介されています。

座長のテオ:左目に黒い眼帯をしている。元俳優。

 座長のテオは腰を折って、工場長と握手をかわした。自転車にまたがり、離れた場所から見ていたふたごには、その老人が世紀の魔術師本人だとわからなかった。目を患って引退した写植夫が工場長にあやまっているように見えた。

兄貴:見えない六本目の指をもつ。道化役。

兄貴は流れるような動作で次々と技を披露していった。…それは手品というより、一種の舞踏に見えた。真実と嘘、客席と舞台、この世とこの世の外。境界にはられた一本の綱の上で、裸足の兄貴は青白く微笑みながら、裸足で飛び上がり、身をよじって、ぎりぎりのダンスをおどっている、お客たちの目にはそんな風に見えていた。

:歌いながら馬の芸をする。マネージャー役。

 妹は十八になったばかりなのに、舞台裏ではずいぶん疲れて見える。鏡に向かって、顔のドーランをスポンジでこすり落とすそのしぐさは、頬をつたう涙を懸命にぬぐっているようにも見える。

うみがめ氏:脚のない元サーカス芸人。丸坊主の大食漢。

ばさりと楽屋テントがあく。台車に乗ったうみがめ氏が両手で地面をかきかき、檻のほうへ進んでくる。タットルを見あげ、にかっと割れたその口の横幅は、ふつうの二倍ほどはある。

プランクトン:妹と芸をする近視の馬

ひどく長いあいだ泣いているうち、自分が涙を流している理由を忘れてしまった、そんなふうなまなざしだった。…
「…兄貴が、こいつの目みじんこみたいなかたちだな、ってそのときいって、それでプランクトンって名前がついたんだそうだわ」

:前歯をぜんぶ抜かれている老犬。

闇に浮かび上るような白うさぎの衣装を身につけ、老犬は真上を見あげて、崖の急斜面にしがみついていた。…靴はもう、犬の鼻先にあった。犬は顔をあげ、筋張った首をけんめいにのばした。そして靴のつま先へ、ついにがぶりとかみついた。

栓ぬき:キャバレーで栓抜き係をしていた少年。

わずかな瞬間、少年の手先がお客のポケットを小鳥のように出入りするのを、テンペルは見た。少年の表情はあいかわらずおさなげで、その笑みも無邪気そのものだった。しかし彼の細い手指は、あの兄貴に匹敵するか、あるいはそれ以上の速さで、お客たちの財布をつぎつぎとかすめていくのだった。

パイプ:テンペルが芸をしこんだ黒熊。

 立ち上がった熊は、毛のはげおちた前脚を、右へ左へ、ぶんぶんとふっていた。ときおり踊りあがるようなステップを踏みながら、尾根で見まもる村人たちへ向けて、ちぎれんばかりの勢いで、太い前脚をふっていたのだ。
… タットルの目には、まっくろくておおきな動物の懐に抱かれたうまれたての小熊に見えた。

こんなふうにキャラの立った登場人物(動物もいますけど)によって
織りなされる物語ですから、面白くないわけがありません。

◆美しいシーンも、泣かせる場面も秀逸

作品の
面白さとは、おかしくて笑えるということだけではありません。
わっ、そうくるか!という巧みな伏線もあれば、
泣かせる場面も、ぐっと胸にしみるような言葉もあります。

たとえば、次のような美しい比喩はどうでしょう。
離ればなれになった双子のテンペルから届いた手紙を、
ほんとうの星空のもとでタットルが読む場面です。

 けれどこの夜は、ただ星をながめにきたのではない。テンペルからのひさしぶりの便り。その手紙は、白い星あかりのもとで読むのでなければ、と、タットルは、朝からこころにそうきめてあったのである。
 三脚のもとに腰をおろし、折り畳まれた数枚の便箋を、封筒からとりだす。何千光年のかなたからやってきた光の粒が、遠くテンペルから届いた手紙に、透明な雪のようにふりつもっていく。タットルの指が、その粒をやさしくはらいおとす。
 手紙は、
「すごい知らせがあります」
  とかきだされていた。 

いいですねぇ。
すごく、いい。

タットルの指が、その粒をやさしくはらいおとす

物語には、こんなキメぜりふもありました。

「どんなかなしい、つらいはなしのなかにも、光の粒が、救いのかけらが、ほんのわずかにせよ含まれているものなんだよ。それをけして見のがしちゃならない」(by 泣き男)

「だれものむねのうちに、らくえんが、たからものがひっそりとある」(byタットル)

また最初からじっくり読み直して、あますところなく堪能したくなります。

◆劇中の出来事と、星座の神話が交錯

この物語は、村を離れたテンペルの物語とタットルが暮らす村での事件が
交互に描かれて、それが最後にひとつにつながります。

また、テオ一座の熊のパイプや村で行われる熊狩りの行事と
おおぐま座・こぐま座の神話が重ね合わされるなど、
さまざまな星座の悲しい伝説が、劇中のシーンを彩っています。

 フェートンは火の馬車からまっさかさにおちる。
 アルカスは母熊を撃とうとし、一瞬のうち夜空へのぼった。
 いとこに裏切られたカストル。不死身を捨てたポルックス。
 まっくろくて巨大な、夜の大神の力。

ここだけ読んでも、なんのことかさっぱりだと思いますが、
泣き男が星座の神話を解説してくれるのでご安心を。
それもまた、この作品の楽しみの一つです。

◆「手品(魔法)」をめぐる物語

この作品では「手品(魔法)」という言葉が一つの鍵となっています。
いったい「手品」とは何でしょう。世紀の魔術師、テオ座長はこう語ります。

「…手品は、種を用いたごまかしなんかじゃあない。現実から目をそらすことなどではけしてない。手品とは、現実を超え、あたらな世界を見いだすための技だ。この世へたしかに両足をふんばり、そのはるか高みへと飛びあがる、特別な技なのだ。…」

私たちはこの「手品」を「物語」の比喩だと考えることもできます。
物語もまた「現実を超え、あらたな世界を見いだす特別な技」だからです。

テオ座長は、手品師にはみんな「目に見えない六本目の指」があるといいます。

「…私たち手品師は、この世のどんな場所でも、指先からコインをひねりだし、カードを宙に浮かせ、生首のまま冗談をとなえつづけなければならないのだ。いうなれば私たちはみな、そろいもそろって、目に見えない六本目の指をもっている。…」

魔法のように、現実を超えた世界を見せてくれる作家も、
いわば、言葉をあやつる手品師のようなものかもしれません。
テオ一座の“うみがめ氏”は、こう言います。

「客はなんのために金はらって、かび臭い芝居小屋へ手品なんて見にやってくるのか。それはな、ただ、きもちよくだまされたいからだよ。いいか、舞台の外じゃ、借金取り、のんだくれの嫁にのんだくれの亭主、ほかにもいろんな現実が、どでかい雪玉みたいに一緒になって、すぐまうしろを追っかけてくる。手品の舞台って、いってみりゃあ、そんな雪玉からの避難小屋なんだよな」

私たちが物語や小説を楽しむのも「きもちよくだまされたいから」ですね。

さらに、“目に見えない六本目の指”は、きっと誰でも持っている。
テオ一座の妹は、タットルへの手紙にそう書きました。

「テオ座長はもちろん、わたしだって、あの子にはいい世の中を見てもらいたいとおもっています。そのために、ちょっとした手品をつかうこともある。わたしのは、調味料や洗剤をつかった手品ですけれど。つまるところ、この世のひとは誰だって、手品師なのだとわたしはおもいます。身近にいる誰かに、魔法のような気分を味わってもらうため、こっそりと種をしかけ、あっと驚かせる、そういうことは誰だってしています。座長がよく使うことばですが、うしろにまわした六本目の指を、みんな密やかにつなぎあっているのです」

この、“見えない六本目の指”を信じるか、
人と人をつないでいる魔法を信じるかどうかは、
私たちの“しあわせ”に関わる。タットルはそう考えます。

…だまされることは、だいたいにおいて間抜けだ。ただしかし、だまされる才覚がひとにないと、この世はかさっかさの、笑いもなにもない、どんづまりの世界になってしまう。…
「ひょっとしたら、より多くだまされるほど、ひとってしあわせなんじゃないだろうか」
とタットルはおもった。

村はずれに住む目の見えない老女は、
都会からやってきた連中には「だまされる才覚がない」と言います。

「…まじない? 魔法? むだだよ。やつらには、だまされようって才覚が、かけらほどもないんだから

◆嘘とかホントとか、いうのではなく

星占いに通じ、魔女だと噂されるこの老女も、まぎれもなく“手品師”の一人です。

郵便配達の仕事をしているタットルは、
海外にいる亭主から老女のもとに届く手紙を、
盲目の彼女に代わって読んであげていました。

その手紙はすべて、タイプライターの「い」のキーが欠けているらしく、
文面のあちこちで「い」の文字が抜け落ちていました。
たとえばこんな手紙です。

「…ばあさん、おれもおまえも、無論もう子作りはむりだし、子育てをやりた ともけしておもわん。ただおれたちに孫がな のだけは、つくづく残念だ。自分の のちなんて、惜し どころか、くれてやるのが幸せだ、って、そんなふうにおもえるんだそうだぜ。すご よな。息子や娘はとばして、ぽっかりと孫だけ、おれのところにふっちゃこな かな。近ごろ、ま 晩そう のってるんだ。じゃあな。また手紙をかくよ」

実は、届けられた手紙はすべて老女が自分で書いたものでした。
タットルは薄々気づきながらそれを確かめませんでした。
手紙の内容も、読んだ後の老女との会話も、タットルにとって
かけがえのない愉しみになっていたからです。

 
こんなことばを、あの目の見えない老女は、いったいどんな気分で、自分あてに書きつづったのか。タットルは寝室のほうを見る。そして、あのほがらかな笑みを思い浮かべる。老女の口もとは、たのしかったね、といっていた。あたしが書いて、あんたが読む。嘘だとかほんとうだとか、そういうのとはちがう。居間ですごす短いあいだ、あたしたちはそんなくだらないことがらの上、はるかに高いところをとびまわってたんだ。

この物語のなかで強く胸を打つシーンの一つです。
嘘だとかほんとうだとか、そんなくだらない議論の
はるかに高いところをとびまわる楽しさ。

「だまされる才覚」のない人には
けっして味わうことのできない楽しさです。

◆星座好きな天文ファンにも、うれしい描写

この作品を読んでいると、まるで自分もプラネタリウムのなかに
座っているように、星座が目の前に浮かんできます。

たとえば、春の星空の説明はこんな感じ。

「うしかい座のアルクトゥールス。そしてこのあたりがひしゃく星の北斗七星。ひしゃくのとってをぐんぐん延ばし、アルクトゥールスをとおって、おとめ座のスピカにつなげる、この線を春の大曲線といっています。曲線の内側には冬、外側は夏の星座とおぼえておくと…」

プラネタリウムだけでなく、実際の星空の描写もたびたび出てきます。
ラストシーンでタットルが見あげた、“ほんとうの”星空は…

 真北におおぐま座、それにこぐま座。ふたご座はもう、天頂近くにまでのぼっている。足のない老人のぎょしゃ座。おうし座のアルデバラン。銀色にあやしく光るおおいぬ座のシリウス。
  …オリオンの三つ星。カシオペアにペガスス、それにアンドロメダまで、いくつもの有名な星座が、初冬の夜空では存分に見られる。

◆嘘かほんものかよりも、大切なこと。

ほんとうの星空?
プラネタリウムの星は、にせものの星空で、タットルや若いころの泣き男が
山の上で見あげた星空がほんものなのでしょうか。
泣き男は言います。

「ほんものはすごい、夜空を見あげるたびそうおもったね。尾根から星を見るとき、父さんはまるで自分が、この世のたったひとりの、生き残りのような気がした。ゆっくりとまわる途方もない闇の下で、ぽつんと取り残され、誰からも忘れ去られた、みなしごのような気分だった。父さんはだまって、ひたすら星をながめた。…」

読者にとっては、すべてが物語の中の出来事です。
プラネタリウムの彗星も、登場人物たちが山の上で見あげた星も、
ほんものの星空ではありません。

それでも「まるで自分が、この世のたったひとりの、
生き残りのような気がした
」と語る泣き男の孤独感は、
わたしたちにも理解できるように思われます。

自分あてに手紙を書いた盲目の老女にたいして
タットルが「彼女の途方もないさみしさだけは、
なんとか理解できるようにおもった
」のと同じように。

ひとはなぜ、星を見つめるのでしょうか。
なぜ、プラネタリウムに足を運ぶのでしょうか。
なぜ、手品や魔法や物語を信じるのでしょうか。

きっと「意味以前の、おおきなかたまり」とつながっているから。
そんなふうに、この物語を読み解くこともできます。

「ほんものを見る、ってのもな、むろん大切なことだよ」
泣き男はつづけた。
「でも、それ以上に大切なのは、それがほんものの星かどうかより、たったいま誰かが自分のとなりにいて、自分とおなじものを見て喜んでいると、こころから信じられることだ。そんな相手が、この世にいてくれるってことだよ」
 

さすが泣き男、泣かせることを言ってくれます。

最後はやはり、この物語の美しいエンディング。
これを抜き書きしておかなければ。
何度でも気持ちよくだまされたくなる、いしいしんじの魔法です。

 真南の空に横たわる大河エリダヌス座の、水しぶきのようなきらめきをひとつずつ目で追っていきながら、タットルはふいにおもった。あの病院のこどもたち、栓ぬき、うみがめ氏や兄貴。
この同じ星空を、彼らはいま見あげているだろうか。
 タットルはうしろ手に、自分の指と指とをやわらかくつないだ。肩がふれるほどすぐそばのうす闇で、銀色髪の少年がおおきく両目をひらいて、じっと息をつめ、遠い星々の光を見つめている気配がした。

(追記)
テンペルタットル彗星は、33年周期で太陽のまわりを
めぐっている実在の彗星で、次回は2031年に到来します。