「BSアニメ夜話」は2004〜2009年までの不定期放送で
「アニメに博識な人たちとゲストが、1つのアニメ作品を
様々な角度から語り合うトーク番組」でした(byウィキペディア)
「時をかける少女」の放送回は、2007年6月28日
出演:岡田斗司夫/氷川竜介/加藤夏希/里匠アナウンサー
ゲスト:筒井康隆/江川達也/渡邊隆史
さて。アニメに詳しい人たちは、作品のどこに注目し、
どんなところを評価しているのでしょうか。
番組では出演者やゲストが、それぞれのお気に入りシーンを
選んでいたので、その発言の一部を引用します。
(※この先は作品を観てない方にはわからないので悪しからず)
◆江川達也(えがわ・たつや):マンガ家・1961-(※生年)
<真琴(まこと)・千昭(ちあき)・功介(こうすけ)のキャッチボール>
「何気ないシーンなんですけどね。この普通の芝居をここまで丁寧に、こう投げるシーンとか。……これね、アニメーターがすごい優秀じゃないとできないんですよ。…リアリティプラス、観てても楽しいだけのデフォルメも、やや入っているんですよね。…(キャッチボールが)関係性を語ってますよね、三人のね」
作品冒頭から繰り返し描かれる3人での野球のシーンです。
こういう何でもないシーンを、きちんと評価するのはさすがですね。
ここでのリアリティというのは、真琴の女の子っぽい投げ方とか
バットの振り方といった動きが丁寧に描かれているということ。
デフォルメというのは、ボールが真琴の顔に当たって一瞬止まる、
といったアニメらしい誇張された表現のことです。
野球は投げる人、打つ人、守る人の3人がいないと成立しないし、
言葉のキャッチボールも、3人の関係をうまく表現しています。
◆氷川竜介(ひかわ・りゅうすけ):アニメ評論家1958-
<真琴のプリンを食べた妹とやりとりのシーン>
「このカットをコマ送りしてみるとですね、ただ腕と腕を組んでるだけじゃなく、ず〜っとずっと手を取ってて、向こうにいきつつまた戻りつつとか、ものすごく細かい枚数が入っているんです。それも影をなくすことで、あえて情報量を減らして……。」…「アニメ好きな人にとってはですね、『時かけ』のすごさは、こういうところが一番のみどころだったりするんですね。」
凄いですね。アニメ好きな人はコマ送りまでして確認するんですね。
氷川さんは、番組の中でアニメ表現の「影なし技法」について
くわしく紹介しています。こうした"技術論"の角度から
作品のクオリティを分析できるのは、専門家ならではの語りです。
「この一瞬のシーンの柔らかいところとかですね、
しなやかなところとか、あと真琴に比べたときの若さみたいなもの」
と、作り手の意図に沿ってその技術がどんな効果を狙っているのかを
具体的に語ってもらえると、私たち素人にもよくわかります。
【影なし技法】
複雑な陰影のある作画ではなく、影をなくしてシンプルな画に
することでキャラの表情や動き、演技の幅を広げることができる。
◆筒井康隆(つつい・やすたか):小説家・原作者1934-
<カラオケ店での繰り返しのシチュエーション>
「まあ、自分がドタバタが好きだ、とういうのがあるけども…繰り返しというのはね、今、わりと文学的にも重要なテーマになりうるんじゃないかと思っているんです。」…「この紺野真琴の行動原理みたいなものがですね、何回も何回も同じことをやるというね……あの、ゲーム的なんですよ。ゲームとして人生を見ている、ということなんです。…東君※というのは、今、ゲーム的リアリズムという新しい文学性というものを主張しているんですけども。それが今、一番新しい文学性なんですよね。」
(※東浩紀(あずま・ひろき):『ゲーム的リアリズムの誕生』2007)
この作品でのタイプリープによる“繰り返し”の効果は、
同じ状況を何度も繰り返すうちに、真琴の気持ちが次第に変化し、
成長していく姿が浮き彫りになるからでした。
作品が与える感動をもとに、作品の意味や価値について
より広い社会的・文化的な文脈(コンテキスト)のなかで
"論理的"なコトバで語ろうとするスタンスもあります。
いまでは大学の研究者や知識人などの“考えるプロ”たちが
アニメについて考察することも珍しくありません。
ちなみに「ゲーム的リアリズム」とは、評論家の東さんが唱えた概念で、
それ以前には、評論家の大塚英志(おおつか・えいじ)さんによって
「まんが・アニメ的リアリズム」という概念も提唱されていました。
どうやら、マンガやアニメ、ライトノベルやゲームといった
いわゆる"オタク系文化"について論じる人たちの間で
よく使われているジャーゴン(専門用語)のようです。
◆岡田斗司夫(おかだ・としお):作家・評論家1958-
<叔母(おば)芳山和子と、姪(めい)紺野真琴の関係性>
「一つは原作とか前の映画との絡(から)め方ですね。…本編内では、一切、この叔母さんが昔の『時をかける少女』の主人公だとは言っていないんですね。でも、それを匂わせる」…「第二点はもっと感動したのが、関係なんですね。…おばさんは待つことを選んで、主人公は追いかけていく方を選んだ。…この選択によってそれからの人生が変わるんだ、というのを二人の関係で描いた」
原作の主人公だった芳山和子(よしやま・かずこ)は、
本作品では真琴から"魔女おばさん"と呼ばれています。
その叔母さんは、好きな人を“待つタイプ”、
姪の真琴は、自分から“追いかけるタイプ” と、
二人の生き方(選択)が対比的に描かれています。
もちろん、どちらの選択が正しいということではなく。
こうした設定の上手さや見せ方の工夫も、
作品について考えるときに注目すべきポイントです。
「でも真琴、あなたは、あたしみたいなタイプじゃないでしょ?
待ち合わせに遅れてきた人がいたら、走って迎えに行くのがあなたでしょ?」
この、おばさんの言葉が真琴の背中を押して、
ラストシーンでの名セリフ「うん、すぐ行く。走っていく」に
つながっているわけですね。
◆渡邊隆史(わたなべ・たかし):本作品のプロデューサー1959-
<千昭(ちあき)のために使うラスト一回のタイプリープ>
「ど真ん中の一番感動する、感動していただけるであろうシーンで、奥華子(おく・はなこ)さんの「変わらないもの」という曲が挿入歌で入ってくる部分なんですけど、…タイムリープ空間に入っていくときはバック転というか、後転で入っていくんですが、身を翻(ひるがえ)してですね、自分の目線をしっかり持ってですね、どこを目指して自分は行くのかという、強い意志を持って行くシーンなんです」…「大人として初めて意識的にタイプリープを使うということの表現の一つ、というシーンだったんです」
確かに、挿入歌「変わらないもの」が入るシーンは
何度観ても感動します。タイムリープの空間で、
真琴が初めて強い意志をもって前を向く演出があったと聞けば
「なるほど!」と深く納得します。
3人で過ごした日々、想い出の場面のフラッシュバックに
透明感のある歌声で「あの日のキミを忘れはしない」と
重ねられるとたまりません。くーっ、やられた。となります。
自分の想い出でもないのに。
では、YouTubeで挿入歌「変わらないもの」を聴いてみましょう。
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