【歌謡note:01】

日本歌謡界の最高峰!?

「歌謡note」は、歌謡曲(流行歌)についての資料です。
とくに歌詞に注目しながら、作品の背景や魅力を探っていきます。

最初にとり上げる曲はこれ、『蘇州夜曲』

エキゾチックな魅力をもつ甘美なラブソングとして愛され、
これまで数多くのアーティストにカバーされてきました。

昭和15年、日本の歌謡界はとんでもないものを生んだ。作詞は“歌謡界の王者”西条八十、作曲は“日本のハリウッド”服部良一という夢の大顔合わせによる永遠の名曲『蘇州夜曲』の登場です。もしも戦前の日本にアカデミー賞というものがあったなら、必ずやアカデミー主題歌賞を取っていただろうというような、日本の『シャドウ・オブ・ユア・スマイル(いそしぎ)』、日本の『オーバー・ザ・レインボウ(虹の彼方に)』、日本の『慕情』  つまり名曲中の名曲がこれですね。日本歌謡界の最高峰と言ってもいい。
(橋本治『恋の花詞集 歌謡曲が輝いていた時』1990)

「日本歌謡界の最高峰」の曲は、人それぞれ違っていることでしょう。
が、アカデミー賞にたとえて「名曲中の名曲」とまで持ち上げられると、
聴いてみたいと指先が動くかも…そう思って引用してみました。

ただ、ここでたとえられたスタンダード・ナンバーを知らない若者も
多いかも知れません。今では音楽のジャンルや好みが細分化されて、
みんなが共通に知っているヒット曲が少なくなりました。

というわけで歌謡曲とは離れますが、YouTubeのリンクを張っておきます。

♪ シャドウ・オブ・ユア・スマイル(いそしぎ)
YouTube動画(3:04)
♪ オーバー・ザ・レインボウ(虹の彼方に)
YouTube動画(2:13)
慕情
YouTube動画(2:45)

さて本題にもどって。
いったい『蘇州夜曲』のどこがどうすごいのか。
橋本治は、この歌の魅力をこう述べています。

ただひたすら、「恋はやさしい」「恋よ美しくあれ」と、ただそれだけを歌っている。こんな歌も珍しいというぐらいに、この美しいラブソングの『蘇州夜曲』は、ジメジメしていない。…中略…『蘇州夜曲』のすごさっていうのは、そういう美しいものに対する“姿勢”なんですね。「恋というものは美しい、そしてその美しい恋を可能にする場所はもっともっと美しい」という。
(橋本治『恋の花詞集 歌謡曲が輝いていた時』1990)

「ジメジメしていない」というのは、たとえば演歌なんかによくある
“尽くして”“泣いて”“恨んで”…といった恋の歌とは違うということです。

この『蘇州夜曲』は、ただのラブソングではありません。
古くから“水の都”として知られる「中国の蘇州」を舞台とする
異国情緒(エキゾチシズム)にあふれた歌でもあります。

まるで水路をゆったりと進む小舟に運ばれていくように、
心地よいメロディに揺られながら、美しい詞のイメージが
次々と目の前を流れていき、夢のような風景に誘い込まれます。

まずは、歌詞を確認してみましょう。

◆『蘇州夜曲』1940(昭和15)年

渡辺はま子・霧島昇

君がみ胸に 抱かれて聞くは
夢の船唄 鳥の唄
水の蘇州の 花散る春を
惜(お)しむか柳が すすり泣く

花をうかべて 流れる水の
明日のゆくえは 知らねども
こよい映(うつ)した ふたりの姿
消えてくれるな いつまでも

髪に飾ろか 接吻(くちづけ)しよか
君が手折(たお)りし 桃の花
涙ぐむよな おぼろの月に
鐘が鳴ります 寒山寺(かんざんじ)

いいですねぇ。
では、実際に曲を聴いてみましょう。

 蘇州夜曲
YouTube動画(3:14)

異郷への憧れ(エキゾチシズム)は、詩や小説、マンガや映画など
さまざまなフィクションの中で繰り返し描かれてきました。
歌謡曲や流行歌も、外国や異郷のイメージを歌詞に取り入れて
“ここではないどこか”へと私たちを誘うことがあります。

聴き手にとっては、退屈な日常からの脱出かもしれないし、
きびしい現実から夢の世界への逃避、なのかもしれません。

異国趣味(エキゾチシズム)を感じさせる歌謡曲の
タイトルと歌詞の一部をいくつか挙げてみます。

『アラビヤの唄』二村定一 (昭和3)
<砂漠に日が落ちて 夜となる頃 
  恋人よ なつかしい歌をうたおうよ>

『桑港(サンフランシスコ)のチャイナタウン』渡辺はま子 (昭和25)
<花やさし霧の街 チャイナタウンの恋の夜 >

『恋のメキシカンロック』橋幸夫(昭和42)
<ぎらら まぶしい太陽 肌にやけつく太陽
 真昼の海で 出逢った二人 >

『飛んでイスタンブール』庄野真代(昭和53)
<おいでイスタンブール 人の気持ちはシュール
 だから出逢ったことも 蜃気楼 真昼の夢>

『異邦人‐シルクロードのテーマ‐』久保田早紀(昭和54)
<空と大地がふれあう彼方 
 過去からの旅人を呼んでいる道>

歌謡曲において、エキゾチックな世界は
たいてい「恋心」とセットで歌われます。
多くの歌謡曲がラブソングであることを思えば当然ですが、
そもそも、“恋に落ちる”という状況が非日常的な体験です。

現実は、まったくロマンチックではありませんが、
私たち人間は“ロマンチックな夢”を必要とします。

そして(出逢うにしろ、別れるにしろ)恋のドラマが
“映える”場所として、異邦の地が選ばれることが多い。

『蘇州夜曲』は、日中戦争のさなかに上海でロケをした
映画「支那の夜」(1940)の挿入歌として作られたため、
水の都・蘇州がロマンチックな恋の舞台に選ばれました。

一方、海外にまで足をのばさなくても、昭和の歌謡曲には
数多くの「ご当地ソング」と呼ばれる歌があります。

日本各地の名所や盛り場、港町などを舞台にした歌ですが、
国内/海外の違いはあれ、異国情緒をかもし出す歌と同じように、
聴き手を「ここではない場所」へとトリップさせてくれます。
(「ご当地ソング」も、ほとんど恋の舞台として描かれます)

歌の歴史をさかのぼると「歌枕(うたまくら)」というのがありました。
これは、和歌の中に詠み込まれる各地の名所旧跡のことで、
(例:逢坂の関(おうさかのせき)、白河、竜田川、富士山など)
地名がもつイメージが歌の情趣を高めるのに利用されています。

私たちは(そんな場所に行ったことがなくても)
美しいシーンを思い描き、心を揺さぶられたりします。
感動のあまり、実際に作品の舞台を訪れる人もいます。
(今ではたいてい観光化されていますけど )

都に住む貴族たちも、見たことのない遠い歌枕の地に、
異郷への憧れ(エキゾチシズム)を感じていたことでしょう。

こうした伝統が、戦後の昭和歌謡になると
<生命(いのち)のときめき エキゾチック エキゾチック・ジャパン>
『2億4千万の瞳』郷ひろみ 1984)となるわけですね。

西行法師も、芭蕉も、歌枕を訪ねたわけですが、
今ならばアニメ作品の舞台を訪れる“聖地巡礼”でしょうか。

今も昔も変わらず、私たちの想像力の根底には
「ここではないどこかへ」という“他界(外部)”への憧れがあります。

郷ひろみが歌ってヒットした『2億4千万の瞳』は
国鉄(いまのJR)のキャンペーンソングとして制作されましたが、
『蘇州夜曲』は、1999年に烏龍茶のCMに使われました。
(元“プリンセス・プリンセス”の奥居香がカバー)

サントリー烏龍茶CM(1999)
YouTube動画(1:00)

CMの映像では、中国人らしき二人の若い女性が、
水着で海に飛び込んだり、チャイナドレスで踊ったりしています。
キャッチコピーは「からきれいになる」。
(↑コピーの最初と最後の漢字をつなぐと“中国”になる)

<烏龍茶=中国の伝統=健康的で美しい女性>といったイメージを
映像と音楽と言葉で効果的に印象づける名作CMとなっています。

CMが描き出す魅力的な世界、計算されたイメージの世界は、
歌謡曲と同じくフィクションであり、“夢の国の風景”です。

新鮮で清々しいイメージなのに、なんだか懐かしい…。
どこにも存在しない不思議な世界、エキゾチックな幻想へと
カバーされた『蘇州夜曲』が心地よく誘いかけてくれます。

最後に、ネットで見つけた『蘇州夜曲』の解説記事
「1940年に作られた『蘇州夜曲』が
  21世紀にまで受け継がれているのはなぜか?」
(佐藤剛)
を紹介しておきます。興味のある方はどうぞ。

1940年に作られた『蘇州夜曲』が
  21世紀にまで受け継がれているのはなぜか?(佐藤剛)
TAP the SONG (2014.06.13)