宮本先生は、こんな話をしています。
僕は漫画表現以外にアニメーション表現についての授業もしていますが、そこでも表象を読み解くことには意味がありますよね。ただ「面白かった」で済ますのではなく、なぜこの表現で自分は面白いと感じたのか、あるいはなぜここで泣いてしまったのかを表象から考えてみる。
…(中略)…
それは感情の理屈を言語化するという点でも意味があるのですが、もっと露骨にいえば、どうすれば自分はメディアによって感情を操られるのかを知るということでもあり、メディアリテラシーを鍛えるということでもあるわけです。
なかなか面白そうな授業ですね。
マンガだけでなく "自分"という人間についても
きっと理解が深まると思います。
たとえば、マンガについての解説をきっかけに、
ぼんやりと感じていたことがハッキリ言語化されたり
"あたりまえ"と思っていた常識がぐらついたり、
モノの見方や考え方が深まることだってあります。
もっとも、マンガやアニメはただの娯楽であり、
単なる消費活動だと考える向きも多いとは思いますが。
マンガを読むのに理屈はいらない。近頃は大学にマンガ学科ができたりして、マンガを学問的に研究しようという動きもあるが、学校の勉強から一番遠いところにあるのがマンガってものじゃないのか、と個人的に思ってしまう。
…(中略)…
良くも悪くも"しょせんマンガ"なんだから、ただ読んで、ただ面白ければ、それでいいのだ。
(『現代マンガの冒険者たち 大友克洋からオノ・ナツメまで』南信長)
好きなマンガについて語り合う楽しみもあるし、
マンガについて書かれた文章や本の中にも
面白いものはあるのですが...
いまの若者が置かれてる文化環境について、
こんな風に指摘している大学の先生もいます。
最近ではすべての情報をスマホの画面から得ていて、教科書や参考書以外の本を読んだことがないような学生たちが増えてきている。外から押し付けられた勉強以外には、ただで見ることのできる無料動画のアニメやアイドルだけが、彼らの癒しとなっているようで、多感な思春期に彼らを取り囲んできた文化環境がどんどん平板化・貧困化していることがわかる。
(室井尚(ひさし) 『文系学部解体』2015 )
マンガを読むのもメンドクサイ…、そんな若者も多いようです。
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