◆ファンタジー(おとぎ話)の醍醐味とは?
この小説の最大の魅力は、主人公の少女ミミズクの心境の変化、
――不幸のどん底から幸福の絶頂へといたる、その振れ幅が
もしかして双極性障害?と思わせるほど極端なところです。
なにしろ、作品の冒頭で死にたがっていたバカな女の子が、
結末では「あんまり幸せすぎること」になってしまうのです。
主人公のドラマチックな境遇と、その心の動きにより添うことが
こうしたファンタジーの醍醐味であることは言うまでもありません。
一つの典型として「シンデレラ型」のおとぎ話があります。
不幸なヒロインが王子様と出会う。あるいは運命の人と結ばれて
ハッピーエンドを迎える。まだ読んだことはありませんが、
ハーレクイン・ロマンスでもおなじみの展開ですね、たぶん。
この作品『ミミズクと夜の王』も、そんな典型的なおとぎ話の
変奏(バリエーション)の一つとみなすことができるでしょう。
しかし、型にはまっているからダメ、というわけではありません。
◆物語は型(制度)を利用して紡ぎ出される
私たちの現実は、ステレオタイプな物語に支えられています。
平凡でありきたりな日常、定型的な意味の枠組み(=制度)が
私たちの意識をこの"現実"につなぎとめています。
私たちは非日常的で不思議なおとぎ話に惹かれますが、
定型という制度からは、なかなか逃れられないのです。
まるで、この小説の主人公 外されることのない鎖を
両手両足につけられた少女ミミズクのように。
言葉によって"善"と"悪"とが分けられ、支配される現実。
言葉とは私たちの日常を覆い、意識を縛る"透明な鎖"です。
それはときに、偏見と呼ばれる固定観念や常識ともなり、
敵対する者への憎しみや暴力を生みだします。
この作品には「魔物の世界(森)」と「人間の世界(王都)」という
2つの世界が対比的に設定されています。
人間の世界の王であるダンテスは「魔物は、魔物であるというだけで、
ただそれ自体が悪だ」と言い放つ、まぎれもない現実主義者です。
一方、村で人間扱いされなかった主人公のミミズクは、
自分のことをこんな風に思っていました。
ミミズクは自分が人ではないと思っていた。けれど魔物でもないと思っていた。…ミミズクはむしろ魔物になりたかった。魔物になって、夜の王の傍に行けるなら、人になるよりずっといい気がした。けれど無理だと思った。自分に無理なことなんて多すぎて、もう出来ることが何かなんてわからなかった。
「去れ、人間。私は人間を好まぬ」
好まぬ。キライ。人間が。気が合う。ミミズクも人の形をしたモノが嫌いだった。
死にたがりやの少女と、人間嫌いの夜の王。
共に"人間の世界"から排除された二人が出逢うことで
いったいどんな物語が可能になるのでしょうか?
ありふれた日常、型にはまった現実から離脱して、
――幸福とは何か? 愛とは? 哀しみとは何か?
そんな"人間的な"感情を問い直すことになるでしょう。
主人公の女の子ミミズクは、誰かに言われるまま、
指図されるままに生きる「奴隷」でした。
いわば"よい子であること強制された子ども"です。
誰かが手を差し伸べてくれる夢は見たが、そんな毎日が普通で、あんな毎日が終わると信じられなかった。
そう、ミミズクはもうとうの昔に疲れてしまって。何もかもを、諦めてしまったのだ。
こうした主人公の姿は、自己肯定感の低い若者には
すんなりと感情移入できるものかもしれません。
村で起きた事件をきっかけに、ミミズクは「もういいや」と思い、
森の中の魔物(=夜の王フクロウ)に「食べてもらおう」と思います。
一人でそっと死んでゆくという選択肢もあるのに、
なぜ彼女は、魔物である夜の王に食べられたかったのでしょう?
ミミズクは村にいたとき死体処理の仕事をしていました。
血と内臓の匂いをかぎ、腐って虫がわく死体を見た彼女は
「そんな、なりたくなかったからー。食べてもらったら、
きっと綺麗だよねー? ってさー」とその理由を語っています。
「自分をキレイさっぱり消してしまいたい…」、
そんな気持ちも多少はあったかも知れませんが、
むしろ、誰かの「欲望の対象」になりたいという思いが
強かったのではないか。人間には相手にされないので、
魔王(夜の王)の欲望の対象になりたかった、と。
夜の王がミミズクを「食べたい」と思うかどうかわかりません。
「まずそうだし、食べたくない」という拒絶もありえます。
しかし、もし夜の王が「食べたい」と思ってくれれば、
他者に必要とされ、食料として役に立つことになります。
さらに深読みすれば、ミミズクは幼いころから刷りこまれていた声、
「悪いことをする子供はみんな、魔王に喰われちまう」という
無意識下の言葉(型)に従おうとしたからだとも考えられます。
マゾヒスティックともいえる、こうした自己処罰の欲望もまた、
自分の意識を縛る"透明な鎖"です。
ともあれ、魔王(夜の王)に「食べられること」を想像すると、
ミミズクはじつに幸福な気持ちになるのです。
「ミミズクのいっちゃんのしあわせはー、だって夜の王に食べてもらうことだものー」
いったいなんでしょう、この恐るべき能天気さは。
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