◆嘘とかホントとか、いうのではなく 
                         
                         
                        星占いに通じ、魔女だと噂されるこの老女も、まぎれもなく“手品師”の一人です。 
                        郵便配達の仕事をしているタットルは、 
                          海外にいる亭主から老女のもとに届く手紙を、 
                          盲目の彼女に代わって読んであげていました。 
                        その手紙はすべて、タイプライターの「い」のキーが欠けているらしく、 
                          文面のあちこちで「い」の文字が抜け落ちていました。 
                          たとえばこんな手紙です。 
                        「…ばあさん、おれもおまえも、無論もう子作りはむりだし、子育てをやりた ともけしておもわん。ただおれたちに孫がな のだけは、つくづく残念だ。自分の のちなんて、惜し どころか、くれてやるのが幸せだ、って、そんなふうにおもえるんだそうだぜ。すご よな。息子や娘はとばして、ぽっかりと孫だけ、おれのところにふっちゃこな かな。近ごろ、ま 晩そう のってるんだ。じゃあな。また手紙をかくよ」 
                        実は、届けられた手紙はすべて老女が自分で書いたものでした。 
                          タットルは薄々気づきながらそれを確かめませんでした。 
                          手紙の内容も、読んだ後の老女との会話も、タットルにとって 
                          かけがえのない愉しみになっていたからです。 
                           
                            こんなことばを、あの目の見えない老女は、いったいどんな気分で、自分あてに書きつづったのか。タットルは寝室のほうを見る。そして、あのほがらかな笑みを思い浮かべる。老女の口もとは、たのしかったね、といっていた。あたしが書いて、あんたが読む。嘘だとかほんとうだとか、そういうのとはちがう。居間ですごす短いあいだ、あたしたちはそんなくだらないことがらの上、はるかに高いところをとびまわってたんだ。 
                        この物語のなかで強く胸を打つシーンの一つです。 
                          嘘だとかほんとうだとか、そんなくだらない議論の 
                          はるかに高いところをとびまわる楽しさ。 
                        「だまされる才覚」のない人には 
                          けっして味わうことのできない楽しさです。 
                        ◆星座好きな天文ファンにも、うれしい描写 
                           
                          この作品を読んでいると、まるで自分もプラネタリウムのなかに 
                          座っているように、星座が目の前に浮かんできます。 
                           
                          たとえば、春の星空の説明はこんな感じ。 
                        「うしかい座のアルクトゥールス。そしてこのあたりがひしゃく星の北斗七星。ひしゃくのとってをぐんぐん延ばし、アルクトゥールスをとおって、おとめ座のスピカにつなげる、この線を春の大曲線といっています。曲線の内側には冬、外側は夏の星座とおぼえておくと…」 
                        プラネタリウムだけでなく、実際の星空の描写もたびたび出てきます。 
                          ラストシーンでタットルが見あげた、“ほんとうの”星空は… 
                         真北におおぐま座、それにこぐま座。ふたご座はもう、天頂近くにまでのぼっている。足のない老人のぎょしゃ座。おうし座のアルデバラン。銀色にあやしく光るおおいぬ座のシリウス。 
                            …オリオンの三つ星。カシオペアにペガスス、それにアンドロメダまで、いくつもの有名な星座が、初冬の夜空では存分に見られる。 
                        ◆嘘かほんものかよりも、大切なこと。 
                        ほんとうの星空? 
                          プラネタリウムの星は、にせものの星空で、タットルや若いころの泣き男が 
                          山の上で見あげた星空がほんものなのでしょうか。 
                          泣き男は言います。  
                        「ほんものはすごい、夜空を見あげるたびそうおもったね。尾根から星を見るとき、父さんはまるで自分が、この世のたったひとりの、生き残りのような気がした。ゆっくりとまわる途方もない闇の下で、ぽつんと取り残され、誰からも忘れ去られた、みなしごのような気分だった。父さんはだまって、ひたすら星をながめた。…」 
                        読者にとっては、すべてが物語の中の出来事です。 
                          プラネタリウムの彗星も、登場人物たちが山の上で見あげた星も、 
                          ほんものの星空ではありません。 
                           
                          それでも「まるで自分が、この世のたったひとりの、 
                          生き残りのような気がした」と語る泣き男の孤独感は、 
                          わたしたちにも理解できるように思われます。 
                        自分あてに手紙を書いた盲目の老女にたいして 
                          タットルが「彼女の途方もないさみしさだけは、 
                          なんとか理解できるようにおもった」のと同じように。 
                        ひとはなぜ、星を見つめるのでしょうか。 
                          なぜ、プラネタリウムに足を運ぶのでしょうか。 
                          なぜ、手品や魔法や物語を信じるのでしょうか。 
                        きっと「意味以前の、おおきなかたまり」とつながっているから。 
                          そんなふうに、この物語を読み解くこともできます。 
                        「ほんものを見る、ってのもな、むろん大切なことだよ」 
                          泣き男はつづけた。 
                          「でも、それ以上に大切なのは、それがほんものの星かどうかより、たったいま誰かが自分のとなりにいて、自分とおなじものを見て喜んでいると、こころから信じられることだ。そんな相手が、この世にいてくれるってことだよ」  
                        さすが泣き男、泣かせることを言ってくれます。 
                        最後はやはり、この物語の美しいエンディング。 
                          これを抜き書きしておかなければ。 
                          何度でも気持ちよくだまされたくなる、いしいしんじの魔法です。 
                         真南の空に横たわる大河エリダヌス座の、水しぶきのようなきらめきをひとつずつ目で追っていきながら、タットルはふいにおもった。あの病院のこどもたち、栓ぬき、うみがめ氏や兄貴。 
                          この同じ星空を、彼らはいま見あげているだろうか。 
                           タットルはうしろ手に、自分の指と指とをやわらかくつないだ。肩がふれるほどすぐそばのうす闇で、銀色髪の少年がおおきく両目をひらいて、じっと息をつめ、遠い星々の光を見つめている気配がした。 
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