忘れられた日本人。宮本常一(04)
宮本 常一(みやもと・つねいち :1907−1981 )
自分たちが住みやすい場所をつくるのが大事。

私はこれまで、南は奄美大島から北は北海道の端まで、殆(ほと)んど歩きつくして参りましたが、こうして長い間歩いてきてとくに最近感じることは、地方がさびれてくる、寂しくなってくる、ということであります。道路がよくなり、立派な家ができ、いろいろな施設ができているのですけれども、どこを歩いてみても地方の皆さん方が夢を失ってしまっているのです。
…今はどこを歩いても、自慢話を聞かされることはなく、どうしたらいいのかというような泣きごとばかりを聞かされます。よほどしっかりした人に会っても、現実の問題のきびしさを訴えられることが殆んどであります。
【7】

この宮本常一の文章が発表されたのは、いつ頃だと思います?

実は 1965(昭和40)年のこと。地方が抱えている問題は、いまだに解決しておらず、ますます危機感をもって語られています。宮本は、地方がさびれて夢を失ったような現象が強く現われ始めたのは、1955(昭和30)年頃からだと語っています。つまり、高度経済成長の時代ですね。

いま中央政府も地方自治体も"地方創生※"を唱えていますが、50年以上も前の宮本の文章をあらためて読むと、何も変わっていないなと思えます。いや、もっとひどくなっているかも知れません。

※地方創生とは、2014年(平成26年)第2次安倍政権で掲げられた、東京一極集中を是正し、地方の人口減少に歯止めをかけ、日本全体の活力を上げることを目的とした一連の政策。

※国の人口推計によれば、2045年には総人口に占める東京都の人口割合は12.8%、東京都を囲む関東エリアの割合は36.9%(2015年33.8%)になる見込み。

今日までのような政治のあり方でよいのなら日本ほど治めやすい国はない。中央の力がつよくて地方がこれにしたがっていくからである。…地方のすべての人の眼が中央を向いている。だからこの国の総理大臣は誰でも勤まるのである。……いったい総理大臣でまともな文章を書けた人がどれほどあったろうか。一般の大臣で古典になるような書物の書けた人がどれほどあっただろうか。つまり大臣はどんな人物でも勤まる国なのである。だが、それが地方をして貧しからしめたのである。その問題を解決しようとする者はほとんどいなかった。【7】

宮本は日本じゅうを歩き回って、人々の暮らしを記録し続けただけではありません。たとえば、「地域社会の問題はほんとに真剣にみんなで考えてもらいたいものである。この狭い国土の中で地域によって生活や文化の上に大きな格差の生ずることがおかしいのである」【7】と、半世紀以上も前に、中央と地方の格差問題を指摘しています。

宮本はまた、全国離島振興協議会をはじめ、さまざまな地域振興にも取り組みました。活動の中で、ふだんは温和な宮本が「離島は票にならんからやらんのか!」と、真っ赤になって政治家を怒鳴りつけることもあったそうです。

ちなみに、地域振興というと田中角栄の「日本列島改造論」が有名です。

※日本列島改造論:1972(昭和47)年に田中角栄が発表。明治以来の東京一極集中の流れを変えようと、地方に金をばらまいて交通や産業基盤などを整備した。結果、開発候補地への不動産投機で地価が暴騰したほか、都市の過密、農村の過疎化がさらに進んだ。

宮本常一が田中角栄の地元、新潟県の山古志(やまこし)村※の再生プランのための調査をしていたときに、村長が宮本に対し「先生には思う存分やっていただきたいが、ただひとつ角サンの悪口だけは言わんといて下さい」と釘をさしたところ…

そのときの先生の憤りは、そりゃあ大変なものでした。あの男がやればやるほど村は過疎になり、人々の活力が奪われるのがまだわからんのかと、ものすごい剣幕なんです」【2】

※山古志(やまこし)村: 2005年4月1日に長岡市に編入合併。

集中豪雨によるがけ崩れで家が壊れても、家財道具を運ぼうとしない村の人々がいました。「聞くと、家財道具を持ちだせば、補助金がでなくなるというんです。先生がおっしゃるように田中角栄の補助金行政は、村の活力を根こそぎ奪いとってしまうものだと、つくづく思い知らされました」【2】
と、宮本に同行したスタッフが証言しています。

結局、列島を改造する資金を握っていたのは中央で、地方がその顔色をうかがっている構図にかわりはありません。宮本常一が指摘した地方と中央をめぐる問題を、もう少し聞いてみましょう。
たとえば、税制について。

宮本は戦後の税制改革で、地方自治体が中央政府に大きく依存せざるを得なくなったことを指摘。加えて、地方への大企業の誘致政策が地域の自立性を失わせた原因だと述べています。

地方自治体は住民税・固定資産税・事業税などによって運営されているが、税収をふやそうとすれば、大企業を誘致して固定資産税を取りたてることが一番安易な方法になる。しかし企業の経営主体は多く東京・大阪などの大都市にあって地生えの資本のあるものは少ない。そのことが、地域社会に対して配慮の少ない経営をとることになる。乱開発といい、公害たれ流しといったような現象がいたるところに見られ、地域社会はかつての植民地そっくりの有り様になり、地方自治体は大企業の利潤のおこぼれで運営される部分が大きくなっていった。それが地域社会住民の自主性を失わせていった大きな原因の一つになるのではないかと思った。【3】

でも、宮本先生。 企業や工場を誘致しないと、働く場所はないし、
税収がないと地方財政はもたないのではないですか?

だが割安な労賃で労働者を雇い入れそれによって得た高い利潤は地元におちつくのではなく他へ持ち去られてしまうのである。そういうことを承知で地方政治家たちは工場誘致に狂奔するほど地方の資本力は枯渇しているのである。【7】

安い給料(しかも非正規)で、工場だけでなく、中央資本のコールセンターやショピングセンター、フランチャイズ店の本部なども、地方から利潤を吸いあげ続けているのですね。

では、観光に力を入れて、観光客からお金を落としてもらうのはどうでしょうか。

最近は観光設備に血の道をあげているところが少なくない。観光客が来さえすればその土地が発展するように考えてのことであるが、しかし観光施設ができて、地元の人でそこを利用し得るものは何人あるのであろうか。豪華な観光ホテルは都市から来た観光客のためのものであり、また観光客のおとす金は外部観光資本がもっていってしまう
これらの現象は戦前に見られた植民地風景とどれほどの差があるのであろうか。
【7】

でも宮本先生、大企業の工場や商業施設や大学などを誘致するのは、地域の発展、地域振興のためだと政治家も行政もアピールしてきました。

資本が地方政治家を買収するのは比較的容易である。地方政治家は表に地方発展のためという標語をかかげて買収にのる。【7】

えーっ、それじゃあ「地方を発展させる」という政策が、かえって地方の衰退を招いてきたということですか。いったいそれは、いつの頃からですか。

明治以来の政策が地方資本を壊滅させ、地方文化発展の芽をとめ、地方の生産エネルギーをうばい、やがて国内植民地をつくりあげて来たのである。【7】

いまの地方の衰退は、明治以来の政策がもたらした帰結で、東京への一極集中も、いまに始まったことではありません。

宮本は「東京への一極集中が、明治維新によって没落した士族の立身出世をにらんだ教育投資によって牽引されてきた」【2】ことを、すでに1964(昭和39)年に指摘しています。

たとえば、地方から上京する学生の学費や生活費は、郷里の親が一生懸命働いて、子供の将来のために投資したお金です。しかし、その子供が地元に帰ってこないと、東京への投資になります。

大学だけでなく、地方の高校を出たものも郷里にとどまる者は少ない。教育投資はそれぞれの家にとっては子孫の生活を安定させるものとして有利であろうが、地方にとっては決して有利な投資ではない。しかもそれを明治初年から今日までくりかえして来た。
そうした端緒をつくったのが士族たちで、新しい時代に適応して生きるための社会的位置づけの努力の中から生れて来た。
【7】

なるほど。将来、高い収入を得られるよう高い教育を受けさせようとするほど、そうした優秀な若者の大半は地方から離れていく、と。しかも日本は、教育への公的支出が少ない※ので、それぞれの家庭に教育費の負担が重くのしかかるし、奨学金(=借金)を返すには、都会に出て稼がなければなりません。

※2018年にOECD(経済協力開発機構)が発表した、各国の教育機関への公的支出(2015年実績)において日本は34カ国中、堂々の最下位。

宮本常一は「地方振興の大きな癌になっているものは人材の不足である」と言います。そして、「学校教育が地域振興のためにほとんど役に立っていない」とも。

地域社会からは明治大正昭和にかけて多くの人材が他出した。そして回帰する者は少なかった。それは一つの社会的傾向であったと思うが、そのことによって地域社会の人材は涸渇していった。しかし出ていった人たちはふるさとのために若干の知恵と力とを藉(か)してくれないものであろうか。ふるさとにりっぱな家を建てる人もある。またりっぱな墓をたてる人もある。それでいてふるさとの新しい開発のために力を藉(か)してくれる人は意外に少ないようである。【3】

では、どうすればいいのでしょう。地方出身者は、地元に帰れ!地元で暮らせ!ということでしょうか。もちろん、決してそんな話ではありません。

「宮本先生は常々、昔から日本人はこの列島のなかを激しく移動していた自分たちが住みやすい場所をつくるのが大事で、出身にこだわることはまったく間違っている、とおっしゃってました」
宮本にとって地域振興とは、地域を博物館化することでもなければ、ローカルに根ざした排他的な集団をつくることでもなかった
。【2】

住みやすい場所を「つくる」というのがポイントのようですね。宮本は「地域は、そこに住む人びとが自らつくっていかない限り、決してよくはならない」と常々語っていました。
しかし、今では「つくる」のは行政や企業まかせで、住民は暮らしたい場所を(買い物をするように)「えらぶ」だけです。経済性や利便性のモノサシだけで住む場所を選べば、その結果が「東京一極集中」になるのもうなずけます。

でも、それしかないのでしょうか。

若い頃に故郷を出て、いろいろと見聞を広めることは、宮本常一の学びのスタイルでもありました。

日本の村々をあるいて見ると、意外なほどその若い時代に、奔放な旅をした経験をもった者が多い。村人たちはあれは世間師(せけんし)だといっている。…明治から大正、昭和の前半にいたる間、どの村にもこのような世間師が少なからずいた。それが村をあたらしくしていくためのささやかな方向づけをしたことはみのがせない。いずれも自ら進んでそういう役を買って出る。政府や学校が指導したものではなかった。【4】

若い頃から日本中を歩き回った宮本常一も、広い意味では「世間師」といえるかも知れません。
ただし今では、地域の活性化や地方創生のためにと、中央のマスコミで評判のエラい専門家やコンサルタントがやって来て方向づけがなされてしまう時代です。たとえば「コンパクトシティ」とか。

このまま地方からの人口流出・少子化が進むと、全国の市区町村1,799のうち約半数の896の自治体が消滅する可能性があるというニュースが発表されて以来、危機感と不安感を煽りたてる記事がメディアを賑わせています。

※消滅可能性都市:2014(平成26)年に日本創成会議が発表した「2010年から2040年にかけて、20 〜39歳の若年女性人口が 5 割以下に減少する市区町村」のこと。

消滅の可能性を語るまえに、宮本の故郷である周防(すおう)大島の現状をルポした佐野眞一の『大往生の島』(1997年)を見てみましょう。

周防大島の東和町は(※4町合併により2004年より周防大島町)は、1980(昭和55)年以来、17年間にわたって高齢化率日本一の町で、2000年には全国初の65歳以上の高齢化率50%を突破して有名になりました。
※2015(平成27)年現在、周防大島町の人口は17,199人で、65歳以上人口は51.9%。(全国平均26.6%)

高齢化率日本一だけで驚いちゃいけません。一般世帯に占める高齢者単独世帯率、つまりひとり暮らしの老人の比率も42.8%で日本一。子供と離れて暮らす老夫婦だけの世帯も35.5%で、これもおそらく日本一でしょう。高齢化の三冠王ってわけです」【8】とは、当時の東和町社会福祉協議会会長の弁です。

こうしたことから、周防大島はかつてマスコミから"滅びゆく島"として紹介されました。つまり、消滅可能性の高い島というわけです。高度経済成長の頃にこの島で育った人の証言によると…

あの当時は中学を出ると島を出て行くのがあたりまえで、島に残るというと、学校の先生が"お前はバカか。この島はいずれゴーストタウンになるんやぞ"と大真面目な顔でいうような時代でした。【8】

しかし、都会の人々の予想を裏切って、実は「90%近くのお年寄りが、今の生活に満足している」そうです。いったいどういうことでしょうか。

東和町社協がとったアンケート調査によれば、東和町に住む85%の老人が「毎日隣の人と声を掛けあう」と答え、72%の老人が「気楽な友人がいる」と答えている。また「何でも相談できる人がいるか」という問いにも、78%の人がイエスと回答している。【8】

1995(平成7)年の東和町民を対象とした定住志向調査では、ずっと住みつづけたい」と答えた者は9割を超え、島の出身者で町外で暮す人の67%の人が毎年帰省しており、1年以内に帰省の予定があると答えた人が80%に達していました。なんと強い郷土意識でしょうか。

さきほどの社協の会長の話によると、
東和町のお年よりは、都会暮らしをしている子供たちから一緒に暮らそうといわれてもほとんど行きません。最初はちやほやしてくれても、交通事故が危ない、世間体が悪いなどといって家の外には一歩も出さない。…結局最後は鬱病にかかって死ぬのが関の山です。…人間年をとればとるほど生きた証を認めてもらいたい、都会でテレビ漬けにされたり、小遣いをあげられなくなったとたん、孫からきたないといわれたりするより、自分のことを認めてくれる人のいるこの島の方がいいのは当然のことなんです。【8】

ある町議員は「東和町の老人福祉行政はきわめてお粗末です」と語っています。「町長は高齢化日本一でもみんながんばりましょう、といっているだけで、具体的には何もやっていません。高齢化日本一でがんばっているのは、福祉行政からこぼれた当のお年よりたちなんです」【8】

では、島のお年よりの言葉をいくつか紹介しましょう。

◆明治41(1980)年生まれ(取材当時89歳)の島の医者。
年よりにはみんな残された家を必死で守っていこうという気概があるんです。子供に頼ろうとか、医者や薬に頼ろうとすると、人間はすぐ弱くなります。…この地上に理想の楽園なんかありゃしません。ここだってただの年よりだけの島ですよ。ただ、その年よりの気が毎日張っているから、健康で長寿なんです

◆80歳を過ぎて、農業も,大工仕事も,漁もする,現役の消防団員。
ここらはみんな、ひとり暮らしの年よりが多いですけえ、頼まれたら断わるこたあできんですいね。ここには若いもんがおらんでしょ。元気な年よりが若いもんのかわりをして、やっていかんと……

◆給食の弁当を高齢者に配って回る81歳のおばあさん。
給食配達の手間賃がひと月1万5千円になる。ヤクルトも配っているのでそれも足しになっちょる。ここでは月に3万円もいらん。野菜は自分でつくっちょるし、魚は近所の人がわけてくれよる。金は残ってしようがないくらいじゃ。ワッハハハハハ

◆Uターンして福祉員の仕事をしている元国鉄職員(68歳)
この仕事(※福祉員)をやるようになったのは、御恩返しのつもりでした。というのも、この島に生まれながら、仕事の関係で40年も家を留守にし、私の両親がその間、故郷のみなさんに大変お世話になってきたからです


著者の佐野氏は、この島の歴史と風土から、島全体が一種の"拡大家族"のような相互扶助の精神をもっていることを指摘しています。

たとえば、東和町の社協では「ゆうあいサービス」とよばれるボランティア活動を行なっています。これは、民生委員の有志が介護から家事から修理全般まで引き受ける、いわば老人版の「なんでも屋」です。そんな活動を続けている74歳の末武さんのお話。

車の油代、電話代、消耗品などを考えると、完全に赤字じゃ。やればやるほどマイナスになる。でも商売だけでやっちょるつもりはないんじゃ。生活のためならやりゃせん。一応一時間五百円となっちょるが、五百円でももらえん場合もある。賞味期限の切れたモミジまんじゅうとか、台所にあった豆腐を二丁渡されて帰ったこともある。なにしろひとり暮らしのお年よりじゃから、トンチンカンなことも多いんじゃ。テレビが映らないというから行ってみると、コンセントが抜けているだけなんてことはザラじゃ。逆にチャッカリした年よりもいて、本職の大工さんに頼むと一日一万五千円ぐらいはかかろうが、あんたに頼めば一時間五百円、八時間でも四千円ですむので、その値段でミカン倉庫を建てかえてくれんかのう、なんて申し出もあった。…まぁ、使命感いうたら大層な話じゃが、とにかくワシは修理して回っちょるのが根っから好きなんじゃ」【8】

佐野氏は、ボケや死の問題すら、屈託なく笑い飛ばす島の人びとの明るさとたくましさに次第にひかれ、「近代化によって忘れられた土地と庶民のなかに、否定的要素ではなく、あえて肯定的要素を見出し、そこに生きる人びとを明るく励まして歩いた宮本民俗学の根底には、温暖で明るいこの島の風土が決定的な影響を与えているに違いない」【8】と記しています。

また、京都の堀川病院で出前医療を実践してきた早川一光(かずてる)医師は「あの島はたしかに宝石のような輝きをもってます。…いまや地方もすべて都市化され、年よりに対しては延命治療と薬づけの医療だらけです。ところが幸か不幸か都市化の波をかぶらなかったあの島だけは辛うじてそれを免れた」【8】と語っています。

ボケの問題は、たしかに、かかえた家族でなければわからん深刻な問題です。けれど、むつかしいかもしれんが、あまり深刻に考えたらいけん、というちょるんです」【8】と語る社協の会長のことば同様に、高齢化問題も、消滅可能性都市も、あまり深刻に考え過ぎるのはどうか、という気がします。

一方、生まれ故郷へ帰る「Uターン」、生まれ故郷と近い地方都市で暮らす「Jターン」、生まれ故郷とはぜんぜん縁のない土地に移住する「Iターン」など、都市を離れて地方へと移住する若者の動きも着実に見られます。地方の人たちが都市の人々と交流しつつ、自ら住みやすい場所を「つくる」活動をどんどん発信している時代でもあります。

たとえば、かつて"滅びゆく島"と呼ばれたこの周防大島に限ってみても、近年、若者たちの手によって新たな動きが起きています。

◆子供たちのキャリア(=経験)教育に力を入れるユニークな取り組みが実践されていたり(「離島経済新聞社」の記事へ)、◆おいしい野菜や果物&カフェなどが並ぶ「島のむらマルシェ」が開催されたり、◆元「銀杏BOYZ」のギタリスト中村明珍(なかむら・みょうちん)が移住し、農業に取り組むかたわらイベントを開く「寄り道バザール」など、注目を集めるさまざまな活動が行われています。(クリックして各サイトへ)

では、最後は宮本常一の言葉で締めたいと思います。

歩く事に後悔したり、歩く事を拒否したり、仲間からはずれても、時は、人生は待ってくれない。時にしたがい、時にはそれをこえていく。そして倒れるまであるく。後からきたものがわたしたちのあるいた先を力づよくあるいて行けるような道をつくっておこう。【2】

(了)
<引用したTEXT>
【1】佐野眞一『宮本常一が見た日本』NHK出版
【2】佐野眞一『旅する巨人』文藝春秋
【3】宮本常一『民俗学の旅』講談社学術文庫
【4】宮本常一『忘れられた日本人』岩波文庫
【5】宮本常一『家郷の訓』岩波文庫
【6】赤松啓介『夜這いの民俗学・夜這いの性愛論』ちくま学芸文庫
【7】『宮本常一著作集2 日本の中央と地方』未来社
【8】佐野眞一 『大往生の島』文藝春秋