結末がわかっていても、何回読んでも、やっぱり面白い。
そんな名作の一つがヴォネガットの長編2作目 (1959)『タイタンの妖女』。
※爆笑問題の太田光さんもファンで、事務所の名前を「タイタン」にしたとか。
ヴォネガットの魅力がいっぱいつまったこの作品から
好きなシーンやセリフを引用していきます。(※以下、ネタバレの記述があります)
◆エピグラフやセリフの面白さ
作品の巻頭や各章の扉に掲げられる「エピグラフ(題辞)」は、話への興味をそそる“謎めいた予言”であり、作品を読み解く“導きの糸”となるもの。ヴォネガットは作品の中でこのエピグラフを好んで使っています。
「短時点的な意味において、さようなら」
ウインストン・ナイルス・ラムファード
『タイタンの妖女』の世界を旅した後、あらためてそのエピグラフの数々を読むと(たとえば、映画のエンドロールで思い出のシーンが流れると感動が深まるような)なんとも懐かしい気持ちになります。
エピグラフだけではありません。作品のあちこちに名言やジョークが散りばめられ、登場人物たちのセリフにも忘れ難いものがあります。
わしがこれまでにまなんだたった一つのことは、この世には運のいい人間と運のわるい人間とがいてそのわけはハーヴァード・ビジネス・スクールの卒業生にもわからんということだ。 敬具 おまえのパパ
ヴォネガット作品の最大の魅力は、“笑いと哀しさ”が絶妙なバランスで混ざり合う点だと思うのですが、その効果が最大限に発揮されるのは、登場人物が絶望的な状況に追い込まれる場面です。
橋本治の言葉を借りれば「誰の身にもしまない絶体絶命がそこにあると、人間てヤツはうっかり笑ってしまうなァ……という詠嘆がヴォネガットだったりもする」ということになりますが、そんな状況の中に置かれた登場人物たちの無垢な愚かさが、せつなく思えることすらあります。
◆アンクとストーニイ
火星の軍隊にて
たとえば、『タイタンの妖女』の中で最も残酷な悲劇
火星の軍隊に送り込まれ、脳から記憶を消されてしまった“アンク”と呼ばれる男(実は地球で大富豪だったマラカイ・コンスタント)は、脳に埋め込まれたアンテナの<痛み>でコントロールされています。
そして相手が誰かわからぬまま、命じられるままに親友のストーニイを締め殺します。
ストーニイが息絶える前に漏らした言葉を手がかりに、後にアンクは「謎の手紙」を発見します。
脳をいじられ「自分が何者で、どこから来て、どこに向おうとしているのかわからない」アンクにとって、この手紙はまさに<文学>なのです。
親愛なるアンク
と手紙は始まっていた。 おれがたしかに知っていることを、そんなにたくさんじゃないが、ここに書いておく。この手紙のおしまいには、おまえがなんとしてでもその答を見つけなきゃならない質問を、ずらっと並べてある。この質問はたいせつだ。おれは、もうおれがこれまでに知っているいくつかの答よりも、その質問のほうをいっしょうけんめいに考えた。そうして、最初にわかったたしかなことは、これだ
(一)もし質問がいい加減だと、答もやはりそうなる。
…
二番目の項目はこうなっていた
(二)おれは生き物というものの一つだ。
第三の項目は (三)おれは火星というところにいる。
第四の項目は (四)おれは軍隊というものの一部分だ。
第五の項目は (五)この軍隊は、地球というところにいるほかの生き物を殺そうとしている。
まるで子供に向かって、この世界をなんとか理解させようとする手紙。書き手の切実さとはうらはらに、そのナンセンスな内容が実におかしくて印象深いシーンの一つです。このほか手紙には、ゴシップ、歴史、天文学、生物学、神学、地理学など、いろんな情報が書き記されていました。たとえば心理学的記述とは…。
心理学
(一〇三)アンク、ばかやろうたちのいちばん困ったところは、利口に立ちまわるなんてことができると信じこむほど、やつらがばかなことだ。
手紙を書いた謎の人物は、どこかにいるはずの親友の名前を教えてくれます。そこには、アンクと親友が過ごした日々の断片が記されていました。手紙を読んだアンクはその親友に会いたいと思い、宇宙船をかっぱらって、どこか平和で美しい土地へ飛んでいきたいと願うのです。
短編小説
(八九)アンク、おまえのいちばんの親友は、ストーニイ・スティヴンスンだ。ストーニイは力持ちの幸せな大男で、一日に一クォートのウイスキーを飲む。…やつはおまえに、火星のことで自分の知っているぜんぶを話した。そして、これからはおまえに自分の探りだしたことをぜんぶ話すから、おまえも見つけたことをぜんぶ話してくれとおまえにいった。ふたりだけでときどきどこかで会って、いっしょに物事のすじみちを考えようと、おまえにいった。そして、やつはおまえにウイスキーを一本くれた。おまえたちはふたりでそれを飲み、ストーニイは、おまえがおれのいちばんの親友だといった。いままでしょっちゅう笑ったけれど、おまえはおれが火星で知りあったいちばんの親友だよといった。それからストーニイは泣きだして、もうちょっとで、おまえのベッドのそばで眠っている連中の目をさましそうになった。ストーニイは、ボアズに用心しろとおまえに教え、それから自分の兵舎へ帰って赤んぼうみたいに眠った。
記憶を消されたアンクは、自分の殺した男が親友のストーニイだったとは知らずに、この手紙を読んでいるわけですが、その悲劇をすでに知っている私たち読者は、何もしらない哀れなアンクを思い、さらに「この手紙を書いて勇気づけようとした人物」が親友のストーニイではなく、後にその正体が明かされることで、いっそうウルウルさせられることになります。
◆ボアズとハーモニウム
水星の歌う洞窟にて
その後、地球と火星軍(実際は火星に移住した地球人)との間に戦争がはじまり、火星から地球を攻撃しに向かうはずのアンク(コンスタント)と乗組員ボアズが乗った宇宙船は、なぜか水星に不時着してしまいます。
「あきれたもんだぜ、相棒」と彼は大声でいった。
「おれたち、こんな宇宙の真中でなにしてるんだ?こんな服着てなにしてるんだ?このばかげたしろものの舵をとってるなあ、だれなんだ?なんでおれたちゃ、このブリキ罐に乗りこんだんだ?なんでおれたちゃ、むこうへ着いたらだれかを鉄砲で撃たなきゃならないんだ?なんで相手はおれたちを撃ちにくるんだ?なんでだよ?」とボアズはいった。「相棒、なんでだか教えてくれ」…
それから、彼はどなった。「おれはこんなイカサマなんか、もうこんりんざいごめんだ!」
いったい自分はなぜ鉄砲で相手を撃たなきゃならないんだろう?という素朴な疑問は、いつの時代も為政者たちによって理不尽な戦争に追いやられる若者たちの素直な思いでしょう。
さて、水星の洞窟のなかには不思議なキャラクター“ハーモニウム”がいました。
ハーモニウム
水星でこれまでに発見された、ただひとつの生物だ。ハーモニウムは、ほら穴に住んでいるんだよ。これよりも美しい生物はちょっと想像できない。
いろいろなふしぎと、なにをすればよいかの子ども百科
「ハーモニウム」は、ひし型をした半透明の薄っぺらな生物で、4つの吸盤を使って尺取虫のように這い、振動(音)を受け止め、それをエネルギーにして生きています。彼らは集まって壁に模様を描くのが好きらしいのです。なんとも不思議な生物ですね。
この生物は、洞窟の中の歌う壁にくっついている。
そうやって、彼らは水星の歌を食べる。 水星の洞窟の奥まった所は、暖かく居心地がよい。 水星の洞窟の奥まった壁は、燐光を発している。黄水仙のような光を放っている。
この洞窟に住む生物は、半透明だ。彼らが壁にくっつくと、壁から出る燐光はそのまま彼らの体を通りぬける。しかし、壁からの黄色の光は、この生物の体を通りぬけるとき、あざやかな藍玉色(アクアマリン)に変わる。
自然とはすばらしいものだ。
なんとも美しい!ハーモニウムは
飢え、妬み、野心、不安、怒り、宗教、性欲
とは無縁で、他の生物を傷つける手段も、傷つける動機も持っていません。彼らがお互いに伝えあうメッセージはたったの2つです。その単純なメッセージとは、
「ボクハココニイル、ココニイル、ココニイル」
「キミガソコニイテヨカッタ、ヨカッタ、ヨカッタ」
可愛いキャラを登場させて美しいファンタジーを描く一方、ヴォネガットはブラックな笑いも忘れません。
おいしいお茶菓子として、若いハーモニウムを筒型に丸め、金色のコテージチーズを詰めたものはいかがでしょう。
ビアトリス・ラムファードの宇宙お料理読本
水星に不時着した若い黒人兵ボアズは、ハーモニウムたちが可愛くなってしまい、世話をしはじめます。そして、時折こんな風にハーモニウムを叱りつけるのです。
「なんだって?」とボアズは心の中でいった。彼の住んでいる真空の中では、どんな音も伝わらないのだが、首をかしげ、聴きいるふりをした。「ふうん、『おねがいです、ボアズ王さま、わたしたちに<一八一ニ年序曲>※をかけてください』だって?」
ボアズはびっくりした顔つきになり、それからきびしい表情になった。
「なにかが、ほかのなによりも気持がいいというだけで、それが体にいいと思ったらまちがいだぞ」
※チャイコフスキーの「大序曲1812年」: ナポレオン軍に勝利したロシア民衆の凱歌を表現した曲で、砲兵部隊の活躍を表すのに「大砲」のパートがある。1882年の初演では、実際に大砲が使われた。
まるで思春期の男の子を諭すようなボアズのセリフ。ハーモニウムに大砲の音なんて、病みつきになるほどの快感だったことでしょう。
それから…水星の洞窟で3年間の足止めをくった後、ボアズは水星に残って「ハーモニウム」と暮らすことを選びます。実はボアズは地球で孤児として育ち、それまでずっと一人ぼっちだったのです。
ボアズは、四地球日まえに彼のねぐらの外の壁へ、そのメッセージがどんなふうに現われたかを示そうと、両手をひろげた。
「『ボアズ、イカナイデ!』ってやつさ」ボアズはいって、照れたように目を伏せた。「『ボクラハ アナタヲ アイシテルヨ、ボアズ』そう書いてあったんだ」
ボアズは両手をおろすと、耐えられないほどの美しさから顔をそむけるように、顔をそむけた。 「おれはそれを見たんだよ。ひとりでに頬っぺたのたががゆるんじまった。…
そこで、おれは自分にいった。『おれはこれまでいっぺんも人間どもによくしてやったことはないし、人間どももいっぺんもおれによくしてくれたことはない。だったら、なんでおれは人間どもがうじゃうじゃいるところへ自由になりにいくんだ?』…
「おれはなにもわるいことをしないで、いいことのできる場所を見つけた。おれはいいことをしてるのが自分でもわかるし、おれがいいことをしてやってる連中もそれがわかってて、ありったけの心でおれに惚れている。アンク、おれはふるさとを見つけたんだ。
◆サロとラムファード
土星の衛星タイタンにて
土星の衛星タイタンには、この作品の鍵を握るキャラクターであるトラファマドール星人の“サロ”が待っています。
サロは、身長4フィート半(約140cm)、3つの目と3本の脚(脚はゴムのように膨らみ、しぼむと吸盤になる)を持つミカン色の機械で、宇宙の端から端へ、あるメッセージを届ける任務の途中でタイタンに不時着し、交換部品が到着するのを20万年も待ち続けていました。
太陽系にやってくるまで「友情」というものを見たことも聞いたこともなかったサロは、その「友情」とやらを経験したくてたまらないのですが…友人だと思っていたラムファードは急に不機嫌になり、サロに冷たくあたります。
「なにかわたしにできることはあるかい、スキップ?」とサロ。
ラムファードはうめきを上げた。「みんな、いいかげんにその厭ったらしい質問をやめてくれないのかな」 「すまん」とサロ。いまや彼の足は完全にしぼみきって、くぼんだ吸盤に変わっていた。その足が、磨き上げられた敷石の上で、スポッスポッと音を立てた。
「どうしてもそんな音を立てなきゃいけないのか?」ラムファードが気むずかしい声でいった。
サロは死にたくなった。友だちのウインストン・ナイルス・ラムファードが彼にそんなひどい言葉を吐いたのは、はじめてだった。サロはとても耐えられなかった。…
実はラムファードは、トラファマドール星人の地球に対する仕打ちをサロから聞き出し、そしてこれまでの人生で自分の身に起きたすべての出来事のほんとうの意味を悟り、ひどいショックを受けていたのでした。そしてサロを傷つける言葉を吐いてしまいます。
「ほう?」ラムファードは厭味たっぷりにいった。「そういう微妙な心理は、機械にはちょっと把握しにくいだろうと思ったんだがな」
これはまさしく、ふたりの関係における最低点だった。設計され、製造されたというところからも、サロはたしかに機械である。彼もその事実を隠してはいない。しかし、これまでのラムファードは、決してその事実を侮辱には用いなかった。…
サロは痛ましいほどこの非難に傷つきやすかった。ラムファードがこれほど彼を傷つける方法をよく心得ているのは、一面からいえば、彼とラムファードがかつて分かちあった精神的親密さの証左でもあった。
サロはまたもや三つの目のうち二つを閉じ、空翔るタイタンつぐみを見上げた。その鳥たちは地球のワシほども大きい。サロはタイタンつぐみになりたいと思った。
ひどく傷つけられ、悲しんでいるのに、脚の吸盤がスポッスポッとまぬけな音を立ててしまう三つ目の異星人サロ。「サロはタイタンつぐみになりたいと思った」の一文が、実にせつなく、また同時に笑わせてもくれます。
◆ そして物語は美しいエピローグへ。
すべてはたいそう悲しかった。しかし、すべてはたいそう美しかった。
衛星タイタンで暮らすようになったコンスタント(アンク)と妻のビアトリスは、ともに年老いていました。息子のクロノは家を出て、タイタンつぐみの仲間入りをしました。
妻が死ぬ前の一年間だけ、コンスタントは彼女の愛を勝ち取ることができました。
ビアトリスは本を書いていました。ある時、本のなかに付け加えたい考えが彼女の頭にうかびます。
「だれにとってもいちばん不幸なことがあるとしたら」と彼女はいった。
「それはだれにもなにごとにも利用されないことである」 この考えが彼女の緊張をほぐした。
彼女はラムファードの古ぼけた曲面椅子に横たわり、背すじの寒くなるほど美しい土星の環
ラムファードの虹
を見上げた。
「わたしを利用してくれてありがとう」と彼女はコンスタントにいった。
「たとえ、わたしが利用されたがらなかったにしても」
「いや、どういたしまして」とコンスタント。
誰にも必要とされないのは不幸なことではないか?深い孤独がそのことを気づかせてくれる。誰にも利用されない不幸と、誰かに利用されることで起きる悲劇、
はたして救いはあるのでしょうか。もし救われることがあるとしたら、それはどのように訪れるのでしょうか。
死を目前にしたコンスタントが、最後に連れて行ってくれとサロに頼んだ都市は、合衆国インディアナ州のインディアナポリス(ヴォネガットの生まれ故郷)でした。なぜそんなとこへ? とサロに聞かれたコンスタントの答えはこうでした。
「インディアナ州インディアナポリスは、合衆国ではじめて、白人がインディアンを殺した罪で絞首刑にされた土地なんだ。インディアンを殺した罪で白人を縛り首にするような人びと
」とコンスタントはいった。「それこそおれの仲間だよ」
身寄りのない老人にとって決して理想的とはいえない土地で、幸福な最期を迎えられるようにと、サロはコンスタントに後催眠をかけてあげます。
「きみは疲れた、ひどく疲れたね、宇宙のさすらいびと、マラカイ、アンク。遠い遠い星を見つめるのだ、地球人よ、そしてきみの手足がどれほど重くなったかを考えてごらん」
「重い」とコンスタント。
「きみもいつかは死ぬんだよ、アンク」とサロはいった。「気のどくだが、それは事実だ」
「事実だ」とコンスタント。「気のどくがらなくてもいい」
「きみが死の近づいているのを気づいたときにはね、宇宙のさすらいびと」とサロは催眠的な口調でいった。「すばらしいことがきみに起こるよ」それからサロは、コンスタントの生命の火が燃えつきようとする直前に彼が想像するだろう幸福なことを、コンスタントに話してきかせた。
インディアナポリス郊外のバス停に座って、コンスタントは待っています
。
誰を? それはもちろん…。(※ぜひ小説でお確かめください)
すべてをつつんで降り積もる雪のラストシーンの、なんと美しいことか!
“親切は勝つ”の作家にふさわしく、サロが最期を迎えるコンスタントにかけてあげた温かい「嘘」は、そのままヴォネガットの小説にもあてはまると思うのですが、いかがでしょうか。
◆ヴォネガット自身による成績表
最後に、ヴォネガットが自分の作品につけた成績表(ただし1981年までの作品のみ)を掲載しておきます。出典は『パームサンデー
自伝的コラージュ』ハヤカワ文庫より
。
※(年)はアメリカでの初版年です。
B:『プレイヤー・ピアノ』(1952)
A:『タイタンの妖女』(1959)
A:『母なる夜』(1961)
A+ :『猫のゆりかご』(1963)
A:『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』(1965)
A+ :『スローターハウス5』(1969)
B− :『モンキーハウスにようこそ』(1968)
D:『さよならハッピーバースデイ』(1970)
C:『チャンピオンたちの朝食』(1973)
C:『ヴォネガット、大いに語る』(1974)
D:『スラップスティック』(1976)
A:『ジェイルバード』(1979)
C:『パームサンデー』(1981)
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