【追悼の辞にかえて】 

何か思い出のエピソードを書こうかと思ったのですが、
しんみりしちゃいそうなので、東京在住の折に送った手紙を掲載して
照さんの笑顔を偲びたいと思います。
(同窓会WEB担当:矢原)

吉田照子様。

 朝、仕事に出かけるときにポストをのぞいたら、先生からの手紙が届いていました。封筒をそのままポケットに入れて電車に乗り、待ち合わせの喫茶店に30分ほど早く到着したところで封を切り、ゆっくり一言一言を味わいながら読みました。読み終えた後、「ほーっ」と大きく息をつき、思わず天井を見上げ、しばらく余韻にひたっていました。
「人の言葉がこんなにも魂を動かすとは…」という先生の言葉。何と表現してよいやら、うれしくてなりません。日々、広告の駄文を弄している私にとって、国語の先生からお墨付きをいただいた気分です。なんつって。
 お手紙、面白かったです!「単なる年寄りの繰り言」だなんて、とんでもない。今とは違う時代の話だからこそ興味深いですし、「遊び好き」とおっしゃる先生の話は、いつだって楽しいですよ。
  手紙を読んだ後、そういえば照さんって、“先生らしくない”魅力があるんだよなぁ…なんて、そんなことを思ってしまいました。恩師をつかまえて、魅力うんぬんだなんて無礼をお許しください(笑)。歌舞伎が大好きで、授業を終えたその足で京都南座の顔見世興行に直行したとか、喫茶店のインベーダーゲームにハマったとか、水上スキーに挑戦したとか、いわゆるお堅い先生とは一味も二味も違う魅力。人生を楽しむことにまっすぐで、つまらない日常や良識を乗りこえるような魅力といいますか。…そう、たとえば、遊泳禁止の場所でもフェンスをくぐり抜けて泳ぎにいってしまうような。あくまで譬えですよ、譬え。
 
先生の幼少期のお話を聞いて「あー、やっぱり」と、妙に納得したせいもあるかもしれません。たとえば、魚町の屋根の上を飛び回ったり、紫川で溺れて死にかけたというお転婆ぶり。
 びしょ濡れになった白い襟の黒ビロードの洋服。習字の道具をもって待ち構えていた女中さん。花札に興じる使用人たちの猥談。横丁の一銭駄菓子屋。グリーン色のクリームソーダ水。十銭玉や五銭玉が詰め込まれた引き出し。ラムネ玉、パッチン、釘さし。小間物屋で買った綺麗なペンダントや指輪。お祖父さんが描いてくれた魚の絵…。
 数え上げるとキリがありませんが、こうした雑多なものが放つ色や匂いが、とても懐かしく感じられるのはなぜでしょう。なかでも私が笑ったのは、小さな女の子だった照ちゃんが、お店の高い台に伸びあがり、寿司職人に向かって
「にぎり作って。ワサビきかせてよ」
と言い放つエピソードです。今でも目の前に浮かぶようです。私が体験したわけでもないのに(笑)。ほんと、言葉って不思議ですよねぇ。私としては下手な感想をさしはさむより、ただただ、よき聞き手でありたいと願うばかりです。
 生徒にとってホントにいい先生とは、知識の量が多いとか、授業の進め方がうまいとかいったことではなく(それはそれで大切なのでしょうが)、“先生らしくない”ところまで含めての人間味、のような気がします。そういう魅力的な先生のことは、生徒はいつまでも覚えているものです。ただ「先生も、先生である前にひとりの人間で、いろいろたいへんなんだろうなぁ」とわかるのは、大人になってからなのですが…。
 のほほんとしていた中学生のころには想像もできなかったことですが、今こうして、先生の言葉を受けとめ、投げ返すことができるようになったことが、とてもうれしいです。お暇があれば、これからも遊んでくださいね。また味気ないワープロ文字ですみません。それではご自愛くださいませ。

二○○一年 三月吉日 矢原政徳