枝光のお正月
2017年1月2・3日
初詣は【枝光八幡宮】へ。

【枝光八幡宮の由来】
◆1194(建久5)年に鎌倉幕府の御家人、下野国の宇都宮氏が花尾城主となり、領地の
鬼門にあたる宮田山に宇都宮八幡大神を勧請したのが「枝光八幡宮」の由来です。
◆豊臣秀吉の九州平定により小早川氏が筑前の領主となった1593(文禄2)年には、小倉
(いまの尾倉)の八幡神が「枝光八幡宮」に勧請され、枝光村の氏神とされました。
◆江戸時代の1627(寛永4)年に、宮田山から現在の諏訪山の地に移って社殿が再建
されました。もともと諏訪山には八幡宮の創立よりも古い「諏訪神社」があり、諏訪
神社を「上の宮」、八幡宮を「下の宮」と呼んで区別していましたが、1918(大正7)年に
現在の社殿が築かれた際に合祀(ごうし)されました。

 下野国(しもつけのくに):いまの栃木県
 ※宇都宮氏:花尾城主となった後に「麻生」と名乗る。
 ※花尾城:皿倉山の西側にある花尾山にあった城。
 ※鬼門(きもん):北東の方位。鬼が出入りする方角であるとされた。
 ※宮田山(みやたやま):八幡東区枝光の"望玄坂"を上った付近。
 ※勧請(かんじょう):神仏の霊や像を新たな土地に迎えること。
 ※小倉(おぐら)の八幡神:八幡東区春の町にある現在の豊山(とよやま)八幡神社。
 ※諏訪(すわ)神社:武御名方(タケミナカタ)の神(=諏訪大神)をまつる神社。
枝光本町の商店街から諏訪町方面へ
まっすぐ行くと八幡宮の階段がある。
(2015年10月3日撮影)
地域の消防団(第5分団)の皆さんが
神前で新年のお祓いをうけていました。
(2017年1月3日)
枝光のお正月の風物詩。
山本工作所の巨大門松(ドラム缶製)
後ろの車と比較するとわかります。
(2017年1月2日:右の写真も)
こちらは枝光北市民センターの門松。
地域のボランティアの方々の手作りで、
毎年、市民センターだけでなく
枝光小や枝光台中の玄関を飾っています。
いまでは「松飾り」をしない家も多く、
「門松」や「鏡餅」という言葉を知らない子どももいます。

「歳神(としがみ)の依代(よりしろ)として飾られる」といった
門松の由来を子どもに聞かせる大人も減って、
神様を待つ(=松)なんて感覚は、
なかなか伝承されなくなってしまいましたが、
枝光の正月には、こんなに立派な門松がありました。