【枝光八幡宮の由来】
◆1194(建久5)年に鎌倉幕府の御家人、下野国の宇都宮氏※が花尾城主※となり、領地の
鬼門※にあたる宮田山※に宇都宮八幡大神を勧請※したのが「枝光八幡宮」の由来です。
◆豊臣秀吉の九州平定により小早川氏が筑前の領主となった1593(文禄2)年には、小倉
(いまの尾倉)の八幡神※が「枝光八幡宮」に勧請され、枝光村の氏神とされました。
◆江戸時代の1627(寛永4)年に、宮田山から現在の諏訪山の地に移って社殿が再建
されました。もともと諏訪山には八幡宮の創立よりも古い「諏訪神社※」があり、諏訪
神社を「上の宮」、八幡宮を「下の宮」と呼んで区別していましたが、1918(大正7)年に
現在の社殿が築かれた際に合祀(ごうし)されました。
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