枝光さくら散歩
2023年4月2日(日)

今回は、枝光の坂をぶらぶら歩いて撮ってきた写真に、
桜にまつわる有名な歌や俳句・和歌・小説・エッセイなどの言葉を
栞(しおり)のように挟みながらレポートしてみます。

まずは、この一句から。

さまざまの事おもひ出す桜かな (松尾芭蕉)

「望玄坂」に面した枝光三丁目公園(旧・長尾公園)の桜。
樹の下にピクニックシートを敷いた家族連れがいて、
若者がバドミントンに興じていました。

生まれて初めての花見は、さて、どこでだったか…。

これまで移り住んできた街で、いろんな桜を見てきましたが、
いつ、どこの桜がキレイだったか…と、記憶をたどれば、
同じ景色の中にいた人を、なつかしく思い出したりします。

春は別れと出会いの季節でもあるし、
桜の花を織り込んだ数多くのラブソングの影響もあったりして、
とくに桜は、大切な人の思い出と結びつきやすいのかも。

さくら舞い散る中に忘れた記憶と 君の声が戻ってくる
(ケツメイシ「さくら」)

坂をのぼる途中、「髪かき分けた時の淡い香り」ではなく、
なんとも香ばしい匂いをあたりに漂わせて
駐車場でBBQを楽しんでいるグループを発見。
実に平和で、のどかな春の日の昼下がりでした。

久方のひかりのどけき春の日にしづ心なく花のちるらむ
(紀友則・古今和歌集)

坂を上って長尾橋を渡れば、小学校の校門が見えて来ます。
今回は左へ折れて、小鳩幼稚園へと向かいます。

前回のロコレポ「さようなら 小鳩幼稚園」の時には、
幼稚園の桜はまだ見ごろではなかったのですが、
すでに満開の時期を過ぎて、散りはじめています。

さくら さくら いざ舞い上がれ
永遠にさんざめく光を浴びて
さらば友よ またこの場所で会おう
さくら舞い散る道の上で

(森山直太朗「さくら(独唱)」)

満開の桜もいいものですが、風に舞う花吹雪もなかなか風情があります。
小さな花びらまで写るかどうか…。風が吹いた瞬間を狙って、パシャ。

桜の花が風に散るさまを「水のない空に波が立っている」という
華麗な比喩(メタファー)で表現した和歌もありました。

さくら花ちりぬる風のなごりには水なきそらに浪ぞたちける
(紀貫之・古今和歌集)


そんな一瞬を狙って、しばらく風を待ったのですが、これが限界でした。

「この目で知った桜も、歌や物語で知ったそれも、
  記憶の世界では区別できない瞬間がある。」

(竹西寛子「花宴(はなのえん)」)

言葉によるイメージの喚起力は、
ときとして目の前のリアルな映像を超えることがあります。
実際の花を見て、こころが揺れた瞬間と
桜にまつわる歌や言葉を通じて感動した体験とが、
記憶の世界では、ひとつに溶け合ってしまうのでしょう。

“花”という比喩を使って、能芸の奥義を伝えようとした世阿弥は、
その口伝のなかで、こんなことを述べています。

「この口伝に、花を知る事、
(ま)ず、假令(けんりょう)、花の咲くを見て、
(よろづ)に花と喩(たと)へ始めし理(ことわり)を弁(わきま)ふべし。」

(世阿弥『風姿花伝』)※假令(けんりょう)=たとえば

言い換えれば、理屈より実感が大事、ということでしょうか。
花の咲くのを見て感動した経験がなければ、
こうした比喩の意味も理解できないということです。

バス道路の坂を上がって、再び枝光小学校へ向います。

後で確認してみたら、前回2016年の散歩の時と
ほとんど同じ構図で撮っている写真が何枚もありました。
同じパターンを繰り返してしまうのも、また人生。

「古今集の昔から、何百首何千首となくある桜の花に関する歌、ーー古人の多くが花の開くのを待ちこがれ、花の散るのを愛惜して、繰り返し繰り返し一つことを詠んでゐる数々の歌、ーー少女の時分にはそれらの歌を、何と云ふ月並なと思ひながら無感動に読み過して来た彼女であるが、年を取るにつれて、昔の人の花を待ち、花を惜しむ心が、決してただの言葉の上の「風流がり」ではないことが、わが身に沁みて分るやうになつた。」
(谷崎潤一郎「細雪」)

花を惜しむ心が「年を取るにつれて」実感されるのはなぜでしょう。
経験を重ねるにつれ、二度と戻らない時間のなかで
大切にしたい思い出が、胸に満ちてくるからでしょうか。

はかなくて過ぎにしかたをかぞふれば花にもの思ふ春ぞ経にける
(式子内親王・新古今和歌集)

はかなく過ぎてしまった時間を数えると、
花を見てあれこれ思い出す春ばかりであった…。

そんな感慨が、花を惜しむ心と重なるからでしょうか。

現代人の中には、つめこんだ理屈で風流がってみせる人もいれば、
逆に、反発心や余裕のなさから無感動にやり過ごす人もいます。

「私もそうだった。お花見なんて。そんな毒にも薬にもならないことに浮かれているヒマはないんだ、という気持の、嫌な若者だった。そういうときは頭が理屈でいっぱいなもので、私はその理屈の方から桜に近づいたのだ。…(中略)…近づくうちに本当に桜が好きになった。ひらひら舞う桜を、
「いいなあ」
なんて眺めるようになったのは、歳をとった証拠か、それとも理屈が焦げついて粉になって飛んでいったのか。」

(赤瀬川原平「仙人の桜、俗人の桜」)

ひらひら舞い飛ぶ花びらに誘われて、右の階段を上っていけば、
九国大付属高校と枝光台中学校の正門に通じる道路へ。

毎年この時期、中学校の坂道は桜の花びらで敷きつめられます。

何十年ものあいだ、繰り返し散ってきた花びらを幻視しながら
「さくら散る」と題された草野心平の詩をどうぞ。

はながちる。
はながちる。
ちるちるおちるまひおちるおちるまひおちる。

光と影がいりまじり。
雪よりも。
死よりもしづかにまひおちる。
まひおちるおちるまひおちる。

光と夢といりまじり。
ガスライト色のちらちら影が。
生れては消え。
はながちる。
はながちる。
東洋の時間のなかで。
夢をおこし。
夢をちらし。

はながちる。
はながちる。
はながちるちる。
ちるちるおちるまひおちるおちるまひおちる。

(草野心平「さくら散る」)

横書きではうまく伝わりませんが、縦書きの詩で
「ちるちるおちるまひおちるおちるまひおちる。」と読むと、
ひらがなの花びらが一文字ずつ、ひらひら
舞い落ちる姿が浮かびます。

ところで。
日本の代表的な桜の品種として親しまれている「ソメイヨシノ」は、
手入れをしないでいると、60年ほどの寿命しかないという説があります。

国内には樹齢140年以上のソメイヨシノもあるそうですが、
もし “60年寿命説”が真実だとすれば、高度成長期に数多く植えられた
日本の桜の樹も、深刻な高齢化問題を抱えていることになります。

京都の有名な植木職人、佐野藤右衛門さんは、
「ソメイヨシノ」の流行についてこう述べています。

「ソメイヨシノが主流になってしもうて、桜も本来のよさがなくなりました。どこへ行ってもソメイヨシノばかりなんですわ。どこへ行っても景色が一緒なんです。おもしろ味も深味も何もないですわ。…(中略)…ソメイヨシノは接ぎ木がしやすい、生長が早い、それで、どこで植えても同時に咲くんです。個性がない。人間につくられたものやから個性がないんです。」
(佐野藤右衛門「桜のいのち庭のこころ」)

個性がないのも当然で、全国各地のソメイヨシノは、
最初の1本から接ぎ木で増やされたクローンであり
同じ遺伝子をもつ栽培品種であることが判明しています。

ぐるっと回って、中学校の北側の土手の桜を見に行きましょう。
数年前、幹が傷んだ何本かの古い桜が切り倒されました。

佐野藤右衛門さんは、桜の老木についてこう語っています。

「姥桜(うばざくら)というのは女性蔑視の言葉ではないんですよ。姥桜というのは、なるほど、もう幹はしわくちゃですわ。でも幹には風格が出てまっしゃろ。わずかに残った枝に、ものすごきれいな花を咲かすでしょ。…老木というのは、まあ、年がいったらみな老木になるのやからね。…幾星霜、どうやって今日まで耐えてきたのかを考えて、称(たた)えて花を見るのやったらいいですけど、こりゃ古いねえていうだけではあかんのです。…姥桜は、自分で枯らしながら、大きくなっていくんですわ。自分で調整しとるんです。全部が大きくなってしまうと、体がもたへんですからねえ。どこかは枯らすけど、どこかには新しい花をつける。それが木の知恵や。」(佐野藤右衛門「桜のいのち庭のこころ」)

無理をしてでも大きく成長させようとする時代を過ぎて、
これから先は、老木の知恵に学ぶべきかもしれません。

さて、近代になって個性のない「ソメイヨシノ」が主流になる以前、
古典作品に登場する桜といえば、「ヤマザクラ」でした。

皿倉山の頂上付近に、多くのヤマザクラがあると聞いたのですが、
枝光から遠目に見える白いまだら模様が、ヤマザクラなのか、
あるいは別の種なのかは、まだ確かめていません。

「本居宣長は、けっして散る桜を歌わなかった。
「敷島の大和心をひと問はば朝日に匂ふ山ざくら花」
ーー
匂いは、嗅覚だけのことではない。花咲く山桜の周りの風景へのみごとなとけこみを「匂う」と表したにちがいない。」

(中井久夫「桜は何の象徴か」)

古典のヤマザクラと、現代のソメイヨシノでは、
その「にほひ」がずいぶん違ってしまったことでしょうが、
いつの時代であろうと、花を愛でる思いは同じだろうし、
そんな先人たちの心と言葉に共感できることが
「もののあはれ」を知ることか、そんなふうに思います。

締めにふさわしいのは、やはりこの句でしょうか。

散る桜 残る桜も 散る桜 (良寛)