【Yahata Chronicle】
有営館の謎
帆柱寮(旧有営館)(『八幡製鉄所五十年誌』1950)

【有営館(ゆうえいかん)】
1936(昭和11)年に皿倉山の麓に
建てられた大規模なアパート。
戦時中は、連合軍の捕虜を収容する
福岡俘虜収容所八幡分所となった。
戦後は八幡製鉄所の「帆柱寮」として
昭和50年代まで使われた。

【有営館のあった場所】
←左の地図をクリック(PDF:829KB)
★下記のタイトルをクリックすると、ブログ記事にリンク。
記事
タイトル
トピック・データ
01
・「平野塾」の聞き書き集
・前薗廣幸「有営館について」
02
・有営館オープン直前の新聞記事
 (大阪朝日新聞:1936.11.01)
03
・八幡製鉄所の階層構造
・八幡製鉄所の職夫数の推移
・戦前の<職夫供給人制>
04
・一柳正樹『官営製鐵所物語』
・八幡製鉄所の大争議
05
・「港湾運送業等統制令」(1941)
・日鉄八幡港運設立の経緯
06

・朝鮮人労働者の流入と動員
・下請け労働者への聞き書き
(深田俊祐『新日鉄の底辺から』)
・高度成長期の八幡の「労働下宿」

07

・捕虜収容所八幡分所について
・日本軍の捕虜の扱い
・製鉄所の社員と捕虜との交流
・戦時下の有営館の様子
(沖縄県読谷村史の戦時記録)