|
<1960年代>
|
「星新一
= ショート・ショート = SF」という図式ができる
|
|
◎(1960年の直木賞候補になった頃)
「当時の印象としては、あれはなんだかわからない、といった受け止め方です。星さんの名前はまだほとんど知られてないときで、直木賞は正直なところ、はじめからとれないと思っていました。というのも、以前は探偵作家といっていましたけど、推理作家でさえ社会的地位が低くて直木賞がとれない時代だったのですから。」
(編集者・作家:小林信彦)
◎1961(昭和36)年、新潮社から初の作品集『人造人間』が出た。当初、若い編集者が星の作品を出版したいと相談したとき、出版部長は「なんだ、それは。小説じゃないじゃないか」と、まったく取り合わなかった。
◎(直木賞の選考委員の基準では)しょせん頭で書いたもんじゃないかというところではないでしょうか。日本の文学はどろどろしたところがないと評価されないですから。それよりも当時、日本人にもこういうのが書けるのかという驚きがあった。」(日本探偵クラブ作家の佐野洋)
◎「星さんはある種の、芥川龍之介なんですよ。芥川の場合は中国の古典を取り入れましたけど、星さんの場合はアメリカ文化のフレンドリーさとスノビズムを導入した。ぼくが読み始めたころの星新一はもう、才気突っ走るって感じでピカピカ輝いていた。なんといっても言葉遣いが新しいでしょう。誰でも書けそうだと思って真似して挑戦してみるけど、何本も書けないことはすぐにわかるんだよね。つまり、星新一はアメリカの雑誌の短編小説のエクリチュール(文体)を輸入した人です。ぼくたちは、植草甚一と並んで認識していましたね。カリスマ性がありました。ぼくたちの先生です。」(作家:荒俣宏)
◎週刊誌の隆盛と同時に、ショートショートの掲載される場が増えた。当時は、SF=ショートショートだと誤解され、文芸誌では作品が掲載されてもページ調整のためのいわゆる埋め草扱いだった。 |
|
<1970年代> |
教科書への採用が増え、読者が低年齢化
星新一の作品を軽んじた文壇や編集者たち
|
|
◎1968(昭和43)から、星新一の作品が小中学校の教科書に採用されはじめる。
◎1971(昭和46)の『ボッコちゃん』を皮切りに、次々と文庫が刊行され続けた。
◎星のショートショートは、SFとしてはそれほど実験的ではなかったため、
新奇な作品を求める大人のSFファンは、次第に離れていった。
◎「小松さん※以降、半村良が登場して、スケールの大きな嘘八百が受けた。科学技術に忠実なハードSFが衰退して、伝奇SF、スペースオペラが流行るようになった。そういう流れの中で、おそらく星さんは生きにくくなっていかれたのではないでしょうか。」
(SF雑誌編集者の菅原善雄) ※小松さん→小松左京
◎読者層の中心が大人のマニア的なSFファンから、一般の高校生、中学生へと急速に低年齢化していた。…読者の低年齢化によって、星新一のショートショートは子供が読むものというイメージが広がった。デビュー直後のように、新一の作品が文芸時評や新聞の書評欄で大きく採り上げられることはなくなっていった。(最相葉月)
◎…銀座で吉行※や編集者たちに会えば、酒の勢いを借りて愚痴をこぼさずにはおれなかった。
「なんでぼくには直木賞くれなかったんだろうなあ」
…それはまぎれもなく、新一が編集者たちに不満を抱いていることの証でもあった。さんざん自分をおだてて酷使しておきながら、どこかでショートショートを軽んじている彼らへの抗議のようでもあった。(最相葉月)※吉行 →吉行淳之介
|
|
◆筒井康隆による追悼の辞
◎星さんの作品は多くの教科書に収録されていますが、単に子供たちに夢をあたえたというだけではありませんでした。手塚治虫さんや藤子・F・不二雄さんに匹敵する、時にはそれ以上の、誰しもの青少年時代の英雄でした。お伽噺が失われた時代、それにかわって人間の上位自我を形成する現代の民話を、日本ではたった一人、あなたが生み出し、そして書き続けたのでした。そうした作品群を、文学性に乏しいとして文壇は評価せず、文学全集にも入れませんでした。なんとなく、イソップやアンデルセンやグリムにノーベル賞をやらないみたいな話だなあ、と、ぼくは思ったものです。(『不滅の弔辞』「不滅の弔辞」編集委員会)
|
|
◆星と親交のあったタモリの言葉
◎SFの人たちは文壇の評価はたしかに低かったと思いますけど、それよりも大勢の人にわかりやすい小説を目指す、そのことを信念としてもっていて、それでよしとされていたんじゃないでしょうか。大衆を相手にする職業に就くと、どうしても受けようとしたりして俗っぽいことになるでしょう。でも、星先生にはそういうところはひとつもなかった。それでいながら、俗を相手にしているというのは人物が清らかなことの証明ですよ。ただひたすら、原稿用紙十枚程度のショートショートを淡々と書き続けただけ。ぼくから見ると、それはとても清らかなことに思えるんです。 |