岸田 秀 (きしだ・しゅう):1933−
精神分析学をもとにした"唯幻論"で
本能が壊れた人間の諸相を解き明かす
(心理学者、精神分析者、エッセイスト、和光大学名誉教授)
フロイトの精神分析学をもとにした独自の唯幻論(ゆいげんろん)で
歴史や性、人間などのさまざまな事象を解釈するエッセイを発表。
(大学教授らしからぬ?)知的な刺激に満ちた文章がウケて、
1980年代のニュー・アカデミズムのブームにも影響を与えた。
作家情報↓クリック
わたしの考えは、要するに「すべては幻想である」という一言に尽きるのであって、それ以上は何も言うことがないのだが、念仏のようにこの一言を繰り返しているだけでは、みんなに納得してもらえないので、いろいろ例をあげて理屈をこねまわしたに過ぎない。
(岸田 秀『続 ものぐさ精神分析』あとがき)
世の中の一般常識と岸田秀の「唯幻論」の違いを
表にして比較してみました。(PDF:140KB)→
【岸田 秀の“唯幻論”の原点とは?】
わたしが唯幻論をつくったのは、真理の探究のためでもなく、学者とか思想家とかになりたいからでもなく、ひとえに、自分の人格障害を何とかしたいという切羽詰まった揚句の極私的な動機からであった。
(『唯幻論大全』あとがき)
 → 岸田秀は、中学生の頃から「強迫神経症」と「幻覚症状」と「抑鬱」に悩まされた。大学時代には心の葛藤の解決を求めて、精神分析関係の本を手当たり次第に読む。その後、自分の神経症の原因が幼少期からの「母親との関係」にあると気づく。そうした経験をもとに自分自身の人格構造を分析したり、自我を説明する理論が、独自の"唯幻論"へとつながった。
「わたしの原点」『ものぐさ精神分析』より
…ある日ふと、この強迫的禁止はわたしが自分と無縁な世界の人間になるのを望まなかった母の声がわたしの心に内在化されたものではないかと気づいたとたん、あれほど頑強だった強迫症状がまるで嘘のように消えてしまった。これは、いったん気づいてみれば、なぜこれまでこんなことに気づかなかったのかが不思議なほど簡単なことであった。だが、これに気づき得るためには、その前にまず、母とわたしとの関係の徹底的分析が必要であった。

…やさしく献身的、自己犠牲的で、どんな苦労もいとわず、何の報いも求めず、ただひたすらにわたしを愛してくれていた母というイメージの背後から、ただひたすらおのれのために、わたしがどれほど苦しもうがいっさい気にせず、あらゆる情緒的圧迫と術策を使ってわたしを利用しやすい存在に仕立てあげようとしていた母の姿が浮かびあがってきた。要するに、母は自分の都合のことしか言わなかった女であった。母のこの姿こそ、わたしの場合の「抑圧された真実」であり、わたしが神経症という代価を払って否認しつづけてきたところのものであった。

【“唯幻論”は、ふまじめな理論?】
ぼくの考えはある種の人たちには癪に触るらしい。 (『仏教と精神分析』)
僕は、学生のときは教師を殴ったことがなく、教師のときは学生を殴ったこともないのだが、学生のときは教師に殴られ、教師になると学生に殴られ、その逆の目に会いつづけているわけで、それはひとえに僕が終始一貫、確乎不抜としてふまじめであるためらしい。しかし僕は、伊達や酔狂でふまじめをやっているわけではないから、殺されれば別だが、殴られたぐらいで、「はい、そうですか」と、ふまじめをやめるわけにはゆかないのである。
(「我発見被殴打的根本原因」『ものぐさ精神分析』)
わたしの講義を聞いていると、一部の学生は、世の中が何となくむなしくなってき、この先生は本気でそう思っているのだろうか、もしそうなら、何のために生きているのかだろうか、まるで人生はそのために生きるに値する価値などどこにもないみたいではないかなどと疑問に思うらしい。
 まったくその通り、わたしは本気でそう思っている。まさかふざけて、幻想だ、幻想だとわめいているわけではない。そして、そのために生きるに値することなんかどこにもないと思っている。
…ほかならぬこのわたしにしても、むなしい、むなしいと言いながら、そのむなしさを全面的に直視し得ず、気がひけつつもこそこそとある種の価値を心の隅のどこかで信じており、だからこそ、このような文章も書いているのである。
(「価値について」『続 ものぐさ精神分析』)
【"唯幻論"も一つの幻想である】
ぼくの考えが、オリジナルなものであるとは全然思ってない。こういう考えは、昔から実にたくさんの人が言っているわけで、新しさがあるとすれば、そういう考え方の裏づけに精神分析を持ってきたというその一事だけだと思います。
ぼくは唯幻論も幻想であると言っているわけですから、ぼくの理論自身が幻想なわけですけども、ある幻想を持っている人に話をするためには、こっちも幻想を幻想と知りつつ持たなきゃいけない。いわば岸田理論というのは一つの便法である――人を見て法を説けじゃないけれど――と思ってますから。
矛盾のない理論というのは、主体としての自己を無視した理論です。すべては物理科学現象である、すべては客観的実在であるという前提に立って説明すれば、理論自体は矛盾がないけれど、人間の主体としての我というものを取り入れると、もう、その理論自体が矛盾を孕むわけですよ。 
どこまで識(し)ったって幻想であって、識ったということは自分に納得できるように現象を理解したというだけですね。それが本当かどうかなんてのは、だれも分からない。識ったと思っているだけだとぼくは思いますね。だから科学というのも、世界を説明する一つの理論で、それが自分で納得できて、人類がこう発生したんだ、世界はこうなってるんだ、ああなるほど、と思えばそれでいいんで。
『仏教と精神分析』岸田秀・三枝充悳(1997年)より
岸田秀の本を読んで、影響を受けた人や
ファンになった人たちのコメントはこちら →