今から見れば、「文学/非文学」の境目があいまいなのに、
あるジャンルなり、作品を、文学として認めるかどうかなんて
そんなあやふやな議論は、紛糾するに決まっています。
それを避けようとすれば、英文学者の中野好夫(なかの・よしお)の
次のような発言になることでしょう。
文学とはきわめて多様性を内包しており、したがってどこまでが文学で、どこまでが文学でないか、その範囲を定めることはとうてい不可能でしょう。…
たとえ非常に精密な定義をし、これでうまく文学という奴を抑えこんだと思ったところで、かんじんの文学そのものは、いつの間にか、蝶のように向うへ行ってとまっているのであります。つまり、とうていその定義ではつかまらない文学がヒョイと現れてくるのであります。…
そんなわけで文学とは、何かということになると、へたに定義などを下すよりも、いろんな変った種類の文学を、できるだけ広くあげて、こんなのが文学だ、これらを読んで、なにかそこに共通した喜びといったものが感じられるのではないか、それがつまり文学なのだと、まことに不精(ぶしょう)な、不深切な話ですが、そういうより仕様がないのです。結局わかる人にはわかる、わからん人にはわからんということになるのも、どうも致し方ありません。
(中野好夫『文学の常識』1951)
「文学とは何か?」という問いについては、数多くの知識人が、
さまざまな文学観を披露したり、その理論化を試みてきました。
近年では、欧米の文学理論の変遷を解説したテリー・イーグルトンの
『文学とは何か』 (Literary Theory : An Introduction, 1983年)が
“二十世紀の古典”と呼ばれるほど評判になったようです。
彼はこの本で「文学とは、純粋に形式的かつ内容空疎な定義、
そこにどんな意味もこめられるような種類の定義」であり、
「文学の"本質"なるものはそもそも存在しない」と断言しています。
(『文学とは何か――現代批評理論への招待』
著:テリー・イーグルトン、訳:大橋洋一 岩波文庫2014)
要するに、文学という言葉は中身が空っぽなので、
誰もが勝手に、そのイメージや定義を語ることができるのです。
(だから、正しい定義をめぐって論争や混乱が生まれます)
ひろく世の中に流通している文学という概念を疑ったり、
その価値は幻想で、虚構にすぎないと指摘する人がいる一方で、
文学という観念を、後生大事に守り続けている人もいます。
で、私としては(誰に聞かれたわけでもないのに)
文学にどういう態度をとったらいいのか…といった問題を
作家・吉田健一の文学観を手がかりに考えてみました。
我々は何よりも文学に就(つい)ては、文学がなくても構(かま)はないものであるといふことを忘れてはならない。或(あるい)は少くとも、正確に言葉を使ふといふ文学の仕事をしなくても、我々は別に死にはしないのであつて、生きてゐるのが我々の根本の目的、或は状態である限り、このことは大きい。併(しか)しそれでも教養がとか、精神生活がとかいふことが言はれる。所が、考へて見れば、教養も、精神生活も、生きて行く上でなくてはならないものではないのである。それならば、何の為に生きてゐるのかと反問するのは一応、筋が通つてゐるやうであるが、それに続いて、我々が教養、或は精神生活の為に生きてゐると言ふことは誰にも許されない。勿論(もちろん)、なくてもいいものがあつて悪いといふことはない。
(吉田健一「文学概論」『吉田健一集成2』)
「文学がなくても構わない」。すっきり、思い切りのいい発言です。
むやみに文学を崇めたり、もったいつけて語るわけでもなく。
「なくてもいいが、あって悪いということはない」というあたり、
なんとなくユーモラスで、好感がもてます。
吉田健一の簡単なプロフィールを紹介しておきます。
【吉田健一】:1912(明治45)〜1977(昭和52)
評論家・小説家。父は吉田茂。子供時代を中国、パリ、ロンドンなどで過ごし、1930(昭和5)年にケンブリッジに入学するが、文士になることを決意して帰国。その英語はドナルド・キーンをして「現在の若い英国人であれほど美しい英語を話せる人を知らない」と驚嘆させ、またボードレールやランボー、マラルメなどの作品で、感心したものはすべて自在に暗誦したという逸話も残っている。翻訳の仕事を経て戦後に活躍。代表作『金沢』『酒宴』『私の食物誌』『ヨオロッパの世紀末』『時間』など。
吉田健一は、日本の作家のなかでは特異な位置にある人で、
彼が「まっすぐな」意見を語るほど、世間一般の文学観が
いかに「歪んで」いるかが浮き彫りになる、そんな批評家です。
彼のことが、あまり語られて来なかったのは、
「文学がなくても構わない」と平然と書くその文学観が
多くの作家や文学研究者たちと、あまりにかけ離れていたので
無視されたからのようです。そのあたりの事情について、
作家の丸谷才一(まるや・さいいち)が書いています。
吉田の文学観は極めて正統なもので、近代日本文学の考え方ときびしく対立してゐたし、しかも彼は自分の文学趣味を偽つて妥協することがなかつた。彼は近代日本文学に対する最も過激な批判者となつたが、ただしその批判の方法も明治末年以来のわが文学と対立するもので、知的なユーモアに富んでゐた。そこで彼の評論は、むやみに奇矯なことを言ふ奴が一人ゐる、これはきつと酔つたあげくの冗談か、それともおれの読み違へだらうなんて受取られ、あつさり黙殺されることになつたのだ。
…(吉田は)まづ文学といふ観念があつて、それに合せて無理に作つたものだから豊かな味がない、貧しい、と不満を述べた。そして、しかもさういふ片寄つた文学観の根底には、人生は暗くてじめじめしてゐてみじめなものだ、生きるに値しない詰(つま)らぬものだ、といふ考え方がある、これは感傷的で幼稚な人生観だ、と排撃した。自然主義的文学観をあざやかに葬り去る言論であつたと言はなければならない。
(丸谷才一「吉田健一氏を悼む」『吉田健一集成別巻』)
吉田は「近代日本文学に対する最も過激な批判者」だったんですね。
しかも、「知的なユーモア」に富んだ方法で、というのが凄い。
彼の目には、自然主義文学や私小説(要するに純文学)が
幅をきかせてきた日本文学は「ねじくれている」と映りました。
捩(ね)じくれてゐるといふのは行き詰りであつて、生きてゐることに喜びなど見出せるかといふ立場の先で待つてゐるものは自殺か、自殺的な行為でしかない。もともとが貧弱な精神活動、或(あるい)は教養、或は生活感情から出発してそれが許すことを尽してしまへば、その後に来るものは涸渇(こかつ)である他なくて、自然主義、私小説、それに続く猥雑(わいざつ)と文学史の上で見られる日本の現代文学の流れを辿(たど)るならば刻々に近づく行き詰りを前にして得られた結論が、生きてゐて碌(ろく)なことはないといふことだつたのは当然だといふ気がする。…
文学の影響を受ける方の責任を問はずにその影響だけを取り上げるならば、明治以後の日本で流された文学の害毒は世界に全く類がないとしなければならない。
(吉田健一「文学の楽み」『吉田健一集成2』)
この部分、はじめて読んだときは笑ってしまいました。
そういえば、芥川も、太宰も、三島も、川端も自殺でしたね。
しかし、世界に類を見ないほどの「文学の害毒」だなんて、
よほど日本の近代文学がお嫌いだったようです。
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