【note:文学が文学でなくなるとき】

◆文学とは何か?という問いをめぐって。

今回は、作家・吉田健一の文学観を中心に
幾人かの批評家や作家の文章も手がかりにしながら
「文学」というやっかいな問題について整理しました。

たとえば、学校の授業で "文学史"を習いますね。
歴史上、とくに評価が高い(とされてきた)
文学作品や文学者の名前が教科書に載っていて
「テストに出るぞ!」なんて言われました。

食べたことない一流料理店のメニューだけを
ただ暗記させられるようなものです。

一部には実際に味わってみる人もいますが、
少なくとも本を読んで感動した経験がなければ
文学なんて理解できるはずありません。

作品は一個の書き物としてはただの事物に過ぎぬ。これを文学と感じるのは読者の心だ。文学の発生はまづ文学を享受する者の心におこる。
(「文学の発生」風巻景次郎 1940)

ひとくちに文学とくくられますが、それぞれの時代、
詩や小説などのジャンル、テーマ(主題)、スタイル(文体)など、
文学作品には限りない多様性があります。

そこに何か、文学と呼ばれる共通の目安があるのでしょうか。

◆純文学と大衆小説のあいだで。

日本の小説には「純文学」と呼ばれるジャンルがあります。
純粋な文学だから「純文学」で、そうじゃない文学は「不純文学」
かというと、そうではありません。

純文学は、娯楽的な「大衆小説」との差別化を図るために
使われてきた言葉でした。純文学は、苦悩する人間の真実を
純粋かつ芸術的に探究する"高級"な小説であり、裏を返せば、
教養のない大衆向けの"低俗"で安っぽい小説とは違う…
そんな構図が文学というコトバの裏に見え隠れしています。

ちなみに、戦後しばらく「純文学」と「大衆小説」の間に
位置している小説は「中間小説」と呼ばれていました。
(松本清張や司馬遼太郎などがその代表的な作家です)

優れた批評家でもあった作家の三島由紀夫は、
1960年代はじめの"純文学論争"についてこう述べています。

私は近ごろの文壇論争※のごときものに全く興味がない。純文学が変質したの、アクチュアリティ※がどうかうしたの、と一人が言へば一人がかみつき、一犬虚に吠えて萬犬実を伝ふるの如き状況だが、その大本は、推理小説が売れすぎて、純文学が相対的に売れなくなつたといふだけのことだから、笑はせる。…そのおかげで純文学が圧倒されたといふのは、菓子屋の繁盛のおかげで酒屋が衰へた、とでもいふやうな変な議論である。 
(三島由紀夫「『純文学とは?』その他」1962,『三島由紀夫全集巻30』)

※文壇(ぶんだん):作家、評論家、編集者たちの社会。文学界。
※アクチュアリティ:小説における今日性、現実性。

菓子屋(エンタメ小説)の隆盛に対して、酒屋(純文学)が
感じていたであろう危機感を、三島はこう分析しています。

一定の基準があつたところの小説の技術的水準といふものの評価があいまいになり、それによつて規格品の評価がぐらついてきて、そういふ意味での検閲機関であつた文壇の権威が崩壊しつつある
(三島由紀夫「日本文壇の現状と西洋文学との関係」『新潮』1957)

文壇の権威者は、○○賞などの審査や文芸時評を通じて、
新人作家に、この小説の文学性は…とお墨付きを与えたり、
低レベルの凡庸な作品だ、などと評価を下す検閲機関でした。

従来の文学のワクに収まらない新しいタイプの小説が登場し、
文壇の評価があいまいになり、ぐらついてきたというのは、
それまでの"文学観"が時代に合わなくなったからです。

たとえば、日本のSFの歴史をふり返ってみても、
「SFは文学か?」といった議論がありました。

SFと文学と星新一
SFノート:02

今から見れば、「文学/非文学」の境目があいまいなのに、
あるジャンルなり、作品を、文学として認めるかどうかなんて
そんなあやふやな議論は、紛糾するに決まっています。

それを避けようとすれば、英文学者の中野好夫(なかの・よしお)の
次のような発言になることでしょう。

文学とはきわめて多様性を内包しており、したがってどこまでが文学で、どこまでが文学でないか、その範囲を定めることはとうてい不可能でしょう。…
たとえ非常に精密な定義をし、これでうまく文学という奴を抑えこんだと思ったところで、かんじんの文学そのものは、いつの間にか、蝶のように向うへ行ってとまっているのであります。つまり、とうていその定義ではつかまらない文学がヒョイと現れてくるのであります。…

そんなわけで文学とは、何かということになると、へたに定義などを下すよりも、いろんな変った種類の文学を、できるだけ広くあげて、こんなのが文学だ、これらを読んで、なにかそこに共通した喜びといったものが感じられるのではないか、それがつまり文学なのだと、まことに不精(ぶしょう)な、不深切な話ですが、そういうより仕様がないのです。結局わかる人にはわかる、わからん人にはわからんということになるのも、どうも致し方ありません。
(中野好夫『文学の常識』1951)

「文学とは何か?」という問いについては、数多くの知識人が、
さまざまな文学観を披露したり、その理論化を試みてきました。

近年では、欧米の文学理論の変遷を解説したテリー・イーグルトン
『文学とは何か』 (Literary Theory : An Introduction, 1983年)が
“二十世紀の古典”と呼ばれるほど評判になったようです。

彼はこの本で「文学とは、純粋に形式的かつ内容空疎な定義、
そこにどんな意味もこめられるような種類の定義」
であり、
文学の"本質"なるものはそもそも存在しないと断言しています。
(『文学とは何か――現代批評理論への招待』
 著:テリー・イーグルトン、訳:大橋洋一 岩波文庫2014)

要するに、文学という言葉は中身が空っぽなので、
誰もが勝手に、そのイメージや定義を語ることができるのです。
(だから、正しい定義をめぐって論争や混乱が生まれます)

ひろく世の中に流通している文学という概念を疑ったり、
その価値は幻想で、虚構にすぎないと指摘する人がいる一方で、
文学という観念を、後生大事に守り続けている人もいます。

で、私としては(誰に聞かれたわけでもないのに)
文学にどういう態度をとったらいいのか…といった問題を
作家・吉田健一の文学観を手がかりに考えてみました。

我々は何よりも文学に就(つい)ては、文学がなくても構(かま)はないものであるといふことを忘れてはならない。或(あるい)は少くとも、正確に言葉を使ふといふ文学の仕事をしなくても、我々は別に死にはしないのであつて、生きてゐるのが我々の根本の目的、或は状態である限り、このことは大きい。併(しか)しそれでも教養がとか、精神生活がとかいふことが言はれる。所が、考へて見れば、教養も、精神生活も、生きて行く上でなくてはならないものではないのである。それならば、何の為に生きてゐるのかと反問するのは一応、筋が通つてゐるやうであるが、それに続いて、我々が教養、或は精神生活の為に生きてゐると言ふことは誰にも許されない。勿論(もちろん)、なくてもいいものがあつて悪いといふことはない。 
(吉田健一「文学概論」『吉田健一集成2』)

「文学がなくても構わない」。すっきり、思い切りのいい発言です。
むやみに文学を崇めたり、もったいつけて語るわけでもなく。
「なくてもいいが、あって悪いということはない」というあたり、
なんとなくユーモラスで、好感がもてます。

吉田健一の簡単なプロフィールを紹介しておきます。

【吉田健一】:1912(明治45)〜1977(昭和52)
評論家・小説家。父は吉田茂。子供時代を中国、パリ、ロンドンなどで過ごし、1930(昭和5)年にケンブリッジに入学するが、文士になることを決意して帰国。その英語はドナルド・キーンをして「現在の若い英国人であれほど美しい英語を話せる人を知らない」と驚嘆させ、またボードレールやランボー、マラルメなどの作品で、感心したものはすべて自在に暗誦したという逸話も残っている。翻訳の仕事を経て戦後に活躍。代表作『金沢』『酒宴』『私の食物誌』『ヨオロッパの世紀末』『時間』など。

吉田健一は、日本の作家のなかでは特異な位置にある人で、
彼が「まっすぐな」意見を語るほど、世間一般の文学観が
いかに「歪んで」いるかが浮き彫りになる、そんな批評家です。

彼のことが、あまり語られて来なかったのは、
「文学がなくても構わない」と平然と書くその文学観が
多くの作家や文学研究者たちと、あまりにかけ離れていたので
無視されたからのようです。そのあたりの事情について、
作家の丸谷才一(まるや・さいいち)が書いています。

吉田の文学観は極めて正統なもので、近代日本文学の考え方ときびしく対立してゐたし、しかも彼は自分の文学趣味を偽つて妥協することがなかつた。彼は近代日本文学に対する最も過激な批判者となつたが、ただしその批判の方法も明治末年以来のわが文学と対立するもので、知的なユーモアに富んでゐた。そこで彼の評論は、むやみに奇矯なことを言ふ奴が一人ゐる、これはきつと酔つたあげくの冗談か、それともおれの読み違へだらうなんて受取られ、あつさり黙殺されることになつたのだ。

…(吉田は)まづ文学といふ観念があつて、それに合せて無理に作つたものだから豊かな味がない、貧しい、と不満を述べた。そして、しかもさういふ片寄つた文学観の根底には、人生は暗くてじめじめしてゐてみじめなものだ、生きるに値しない詰(つま)らぬものだ、といふ考え方がある、これは感傷的で幼稚な人生観だ、と排撃した。自然主義的文学観をあざやかに葬り去る言論であつたと言はなければならない。
(丸谷才一「吉田健一氏を悼む」『吉田健一集成別巻』)

吉田は「近代日本文学に対する最も過激な批判者」だったんですね。
しかも、「知的なユーモア」に富んだ方法で、というのが凄い。
彼の目には、自然主義文学や私小説(要するに純文学)が
幅をきかせてきた日本文学は「ねじくれている」と映りました。

(ね)じくれてゐるといふのは行き詰りであつて、生きてゐることに喜びなど見出せるかといふ立場の先で待つてゐるものは自殺か、自殺的な行為でしかない。もともとが貧弱な精神活動、或(あるい)は教養、或は生活感情から出発してそれが許すことを尽してしまへば、その後に来るものは涸渇(こかつ)である他なくて、自然主義、私小説、それに続く猥雑(わいざつ)と文学史の上で見られる日本の現代文学の流れを辿(たど)るならば刻々に近づく行き詰りを前にして得られた結論が、生きてゐて碌(ろく)なことはないといふことだつたのは当然だといふ気がする。…

文学の影響を受ける方の責任を問はずにその影響だけを取り上げるならば、明治以後の日本で流された文学の害毒は世界に全く類がないとしなければならない。
(吉田健一「文学の楽み」『吉田健一集成2』)

この部分、はじめて読んだときは笑ってしまいました。
そういえば、芥川も、太宰も、三島も、川端も自殺でしたね。
しかし、世界に類を見ないほどの「文学の害毒」だなんて、
よほど日本の近代文学がお嫌いだったようです。

◆文学について語ってきた者は誰か?

文学という概念は、明治時代に西欧から輸入されたものです。
それは、コトバによる「芸術作品」を意味するだけでなく、
そうした作品を対象とする「学問」として制度化されたため、
文学の定義や価値について啓蒙的に語ってきたのは、
文学者や批評家などの知的なエリート層でした。

日本文学を代表する人気No.1の文豪、夏目漱石
晩年(大正3年)の講演のなかでこんなことを語っています。

私は大学で英文学という専門をやりました。…とにかく三年勉強して、ついに文学は解(わか)らずじまいだったのです。私の煩悶(はんもん)は第一ここに根ざしていたと申し上げても差支(さしつか)えないでしょう。
…私は下宿の一間の中で考えました。詰(つま)らないと思いました。いくら書物を読んでも腹の足にはならないのだと諦めました。同時に何のために本を読むのか自分でもその意味がわからなくなって来ました。この時私は始めて文学とはどんなものであるか、その概念を根本的に自力で作り上げるより外に、私を救う途はないのだと悟ったのです。

(夏目漱石『私の個人主義』講談社学術文庫)

漱石は日本に大学が一つしなかった当時、東京帝国大学の
大学院に進み、文部省の命令でロンドンに留学したエリートです。
その漱石でさえ「文学が解らなかった」と振り返っています。

彼は33歳のとき「文学とは何か?」という問いに
はじめて向き合い、10年計画の壮大な『文学論』を書きはじめます。
手紙のなかで彼はこんなふうに構想を語っています。

かやうな大きな事(こと)故(ゆえ) 哲学にも歴史にも政治にも心理にも生物学にも進化論にも関係致候(いたしそうろう)故(ゆえ)、自分ながらその大胆なるにあきれ候事(そうろうこと)も有之(これあり)候(そうら)へども 思ひ立(たち)候事(そうろうこと)故(ゆえ)行く処(ところ)まで行くつもりに候(そうろう)。
(三好行雄編『漱石書簡集』岩波文庫)

漱石は、曖昧でつかみどころのない文学の本質を、
他の学問分野のコトバを借りながら客観的なものとして
描き出そうとしましたが、結局、失敗してしまいます。

私の著(あら)わした文学論はその記念というよりもむしろ失敗の亡骸(なきがら)です。しかも畸形児の亡骸です。あるいは立派に建設されないうちに地震で倒された未成市街の廃墟のようなものです。
(夏目漱石『私の個人主義』講談社学術文庫)

その後、夏目漱石は帝国大学の教授という地位を捨てて、
人気作家として創作に専念することになります。

さて、漱石もサジを投げた「文学とは何か?」という問題を
後の文学者たちは、どう受け継ぎ、解決したのでしょうか。
吉田健一は、皮肉なユーモアでこう述べています。

明治の頃に文学といふのが何であるのか解らないままにこれに打ち込むことに決めたものが次第にその数を増して出来たもので、これを明治から今日に掛けて作られてきた日本の文学界と呼んでも構はない。これに属してゐるのが重宝なのはそこでは文学に就て語ることが許されてゐるとともに文学が自分には見当が付かないものであつてもそれに就て語る為の語彙や語法が一つの専門に特有の煩雑な形で用意してあつて、これを使つて言葉を組み合せてゐれば文学は消えてなくなつても自分が文学の性質を究め、何かの分野の開拓といふやうなことを目指してゐるものであることを人に、或は少くとも仲間に納得させることが出来るからである。
(吉田健一「文学が文学でなくなる時」『吉田健一集成2』)

文学が何であるのか、解らなくても大丈夫だったんですね。
(なにしろ空っぽな概念ですから)
日本の文学界には、文学について語るための特殊な用語や
専門家特有の複雑で細かい言い回しが準備してあるので、
そうしたコトバを操って組み合わせていれば、(たとえ文学は消えても)、
研究をしている仲間同士でうなずきあえる、という塩梅です。

外国の文学論の受け売りから出発して議論は幾らでも紛糾し、日本の現代文学の大部分に亙(わた)つてその歴史が主義の交替であるのは論争の絶え間がなかつたといふことの別な言ひ方に過ぎない。これと並行して論文以外のものも論争の風向き次第で持ち上げられたりけなされたりして書かれて行つた。
(吉田健一「文学が文学でなくなる時」『吉田健一集成2』)

日本の近代文学の世界は、欧米の文学作品や理論をモデルとし、
【ナントカ主義】※と呼ばれる流行の思想に次々に"かぶれた"ため、
知識の有無や立場が異なる者の間で論争が絶えませんでした。

※【啓蒙主義】【古典主義】【ロマン主義】【写実主義】【自然主義】
【耽美(たんび)主義】【象徴主義】【社会主義】【実存主義】などなど。

また、そうした専門的な言説を理解して、あやつる術を学ぶことが
いつしか文学的なふるまいだと勘違いされるに至りました。
吉田健一は、そんなアカデミックな文学観に異を唱えています。

文学は学問ではない。ここのところが大事である。…大学でも、町でも、活字の上でも、文学は鹿爪らしく研究したり、鑑賞したりするものになつて、言葉のやうな生きものはこれに恐れをなして死に、或は、そこをもう少し具体的に説明すれば、正確に解釈して鑑賞しなければといふことが先に来て、もとの言葉はいぢくり廻されてゐるうちにただの活字に変り、それで文学の名で通るものが書き易くなつたとも言へる。
(吉田健一「文学の楽み」『吉田健一集成2』)

◆制度として捏造された文学。

一般に文学は、"価値が高い"と思われていますが
その価値とは、作品内に存在しているわけではありません。
それぞれの読者がもつ価値観によって評価されることで、
作品の価値はその都度、つくりあげられていくものです。

いわゆる「文学の正典」とか、万人の認める「国民文学」とか「偉大な伝統」というのは、構築物とみなすべきということだ、つまりそれはある時代に特定の理由から特定の人びとが捏造(ねつぞう)したものにすぎないということだ。誰かが口に出したりするようになった評判とはいっさい無関係に、それ自体で価値ある文学作品とか文学的伝統といったものは存在しない
(『文学とは何か――現代批評理論への招待』
 著:テリー・イーグルトン、訳:大橋洋一 岩波文庫2014)

文学という制度の既得権益を分け合う人たちについて、
蓮實重彦(はすみ・しげひこ:評論家、後に東大総長)も、
吉田健一に負けない強烈な皮肉をかましています。

「文学者」たちが、みずから積極的な利潤の生産に参画することのない「貧しさ」をたがいに曖昧にうなずきあってうけいれ、誰もが容認しうる虚構の価値としての「文学性」といったものを捏造しながら、「文学」たることの困難をやりすごしているという現実からして、「文学」が「文化」的諸制度のうちにあっても典型的なものたりうるのだ…。
(『表層批評宣言』蓮實重彦 1979)

虚構の価値としての「文学性」をでっち上げるとは、
万人が認める文学の価値など存在しないにもかかわらず、
もっともらしい専門的な言説を繰り返すことで
文学という制度を支えてきたということですね。

たとえば「文学とは何か?」と問うてしまうこともまた、
文学という制度のコトバを模倣する身振りにつながります。

「文学とは何か?」と問うことは、それが急進的=前衛的=根源的な衣装をいかにまとおうとも、「制度」確立に奉仕する反動的な言辞しかかたちづくることがない。
(『表層批評宣言』蓮實重彦 1979)

といっても、多くの文学者たちは今さらそんなことを
わざわざ問題にはしません。考えたこともないのか、
ただ口をつぐんでやり過ごしているのか知りませんが。

たとえば現在、文学は学校や大学などの教育現場や
シニア向けのカルチャースクールで細々と流通しています。

マジメな教養主義の人たちにとって「高尚な文学」は、
制度化されたブランドであり、鑑賞とよばれる消費の対象です。

日本の学問、文学作品の読まれ方の実態について
古典文学研究者の藤井貞和(ふじい・さだかず)は、
こんなふうに行き詰まりを感じています。

『源氏物語』は、教室でも、研修会でも、セミナーでも、読書会でも、さまざまなレベルで読まれている。もちろん、研究者の書斎でも読まれている。…頂点から下にずっと階段があり、一番下にビギナーがいる。中間にもたくさん人がいて、ビギナーをいびったり、ひっぱりあげたりする。ビギナーが、すこしずつ学問がすすんで、知的エリート化してゆくと、その下にはまた新しいビギナーが待っている。文献や知識を頂点にした底辺の広いピラミッドが日本の学問の体系になっている。言いかえると優等生の構造になっている。こんなことを考えていると行きづまってしまいます。
(藤井貞和「叙事詩と『源氏物語』」1996)

こうした優等生の構造、文学を取り巻く不自由さは、
近代の教育制度による"学校化社会"の弊害ですが
文学もまた、その抑圧的な制度の一角を占めていることで
かえって敬遠されたり、反感を招く面があるわけです。

「何で俺が『源氏物語』なんて読みてえかよ?」みたいな。

私たちは文学という観念から、自由になれるでしょうか?
それとも、敬意を払いながら敬遠するだけでしょうか?
「何のために本を読むのか自分でもその意味が
わからなくなって来ました」
と悩んだ夏目漱石に、
吉田健一なら、どんな答えを用意しているでしょうか?

言葉を受け取つて、言葉が我々を導く所に遊び、我々を導いてゐるものを忘れて、現実といふものを我々がこれ程はつきり見たことがあるかと思ふのが文学の、或は本を読む楽みといふものであり、これを置いて文学などといふものはない。
(吉田健一「文学の楽み」『吉田健一集成2』新潮社)

文学とは、ただの知識として覚えた"文学史"の記述、
  料理のメニューや食べログの情報のようなものではなく、
本を読む楽しみという、具体的な体験のなかにしかない、
という至極まっとうな指摘です。

こうした読者の主体的な経験をもとにする文学観は
たとえば、最初に引用した風巻景次郎の言葉    
文学の発生はまづ文学を享受する者の心におこる
とも、響き合っています。

ただし吉田は、文学というワクは私たちが個々の作品やコトバと
直接向きあうのを邪魔するので「精神と言葉の衛生の為に
外(はず)して破壊しなければならないもの
」とも述べています。
(吉田健一「文学が文学でなくなる時」『吉田健一集成2』)

しかし、今さら文学というコトバを消すわけにもいかないので
とりあえず、自分の心に響いた先人の文学観を参考にして、
「文学」というコトバとつきあっていくしかありません。

吉田健一は「文学といふのは、要するに、本のことである」と
述べていますが、作家の橋本治はさらに一歩踏み込んで、
いい本を選んで読むことも、文学を作る力だと語っています。

文学というものは、自分で選んで作っていくものですね。自分で自分にふさわしい文学を作って、そのことをもとにして自分の人生っていうものを作っていかなくちゃいけない。本というのはそういうもんなんですね。…本を選ぶのはセンスで、これはもう本を何冊も読んで磨いていくしかない。…
…いいものを読める、それだけの能力があるということは、書くのとおんなじように、立派に文学を作っていく力なんだってことを、知っておいてほしい。

(『青春つーのはなに?』橋本治 集英社文庫)

ここで語られている「文学」は、あらかじめ誰かの手で
選ばれたものではなく、その範囲(ワク)が限定されていたり、
正しい選び方のマニュアルがあるわけでもありません。

それは、自分のセンスで自由に選び、作っていく文学です。

別に自分だけの狭い文学に閉じこもるわけではありません。
本を読むのは、他者のコトバに触れる体験でもあって、
そんなコトバとの出会いが、人生をつくっていくわけですから。

我々の精神の世界をなしてゐるものの殆(ほとん)どがもしさういふ区別を設けるならば他人の言葉、我々以前に誰かが言つた言葉なので我々はそれに接して自分とか他人とかいふことを考へない。…それが我々自身が探して得たものであつてもその言葉を得て我々自身といふことは消える。我々に言ふことがあるのではない。我々が望むのは言葉に触れて生きる思ひをすることなのである。
(吉田健一「言ふことがあることに就て」『吉田健一集成4』)