現代短歌パラダイス!(01)

◆短歌を学ぶ/短歌で遊ぶ

私は一九六〇年代前半に中学生だった。二年生だったか三年生だったか、国語の時間に担当のY先生がプリントを配った。B4版のワラ紙一枚に数十首もの短歌がぎっしりとしるされていた。歌人は二十人足らずだったと思う。…与謝野晶子※も以前から知っていた。しかしダンナさんが与謝野鉄幹※という人であったとは、そのときはじめて教えられた。ふたりの歌は並べられていた。Y先生はまず晶子の歌を朗読した。

※与謝野晶子(よさのあきこ):明治11〜昭和17年
与謝野鉄幹(よさのてっかん):明治6〜昭和10年

 「清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢う人みなうつくしき

そのあと鉄幹を読んだ。

 「われ男の子意気の子名の子つるぎの子詩の子恋の子あゝもだえの子

※男(を)の子

「もだえの子」と先生が口にして教室はどっとわいた。ちょうど色気づく年頃で、とてもなまなましい言葉づかいと思われたのである。のみならず、いかにも口調のよい鉄幹よりも晶子のほうが明らかに巧みに感じられ、こんなできるオクさんじゃダンナはつらかろうと中学生たちは期せずして思ったのである。私たちは戦後の子であり民主の子だった。そうして母親が父親より強い時代の子であった。【1】

いまは小学校の教科書にも「短歌」は載ってますが、やはり短歌のよさがわかってくるのは、思春期以降ですね。とくに恋の歌などは。もっとも短歌よりもJ-POPの歌詞なんかで恋の歌を知る場合の方が多いでしょうけど。
いまでも国語の時間に「短歌」を並べた自作のプリントを配ってくれる先生はいるのでしょうか。はたしてそこには、与謝野晶子や石川啄木の短歌は並んでいるのでしょうか?


  東海の小島の磯の白砂に
  われ泣きぬれて
  蟹とたわむる
       石川啄木

※石川啄木(いしかわたくぼく):明治 19〜明治45年

それ以前、短歌は軟弱というイメージが私にはあった。石川啄木のせいである。小学生の頃、父親が明治文学全集のジュニア版をどこからか借りてきた。ヒマがあったら読め、といった。小学生にもヒマなどはないのだが、義務感で何冊かはページを繰った。当時は、まだ近代文学がこどもの教養課目のひとつだったのである。
石川啄木には感心しなかった。女々しいと思った。私はまだ、啄木の生活と表現に興味を抱くに至ってはいなかった。しかしY先生のプリントにあった短歌は、啄木の女々しさや鉄幹の空元気ばかりでなかった。

  踏切をよぎれば汽車の遠きひゞきレールにきこゆ夏のさみしさ   木下利玄

  曼珠沙華一むら燃えて秋陽つよしそこ過ぎてゐるしづかなる途   木下利玄

※木下利玄きのしたりげん):明治19〜大正14年
※曼珠沙華(まんじゅしゃげ)、途(みち)

木下利玄という歌人のこの二首を、私は不覚にも記憶してしまったのである。
私は夏休みが好きだった。したがって夏休みの終り頃は実に名残り惜しく、その思いは高じて寂しさにつながった。こどもというものは一般にそうなのであろうが、毎年私は無常感とともに秋をむかえた。…そして、秋とは私にとっておとなの象徴であった。それは寂しい場所であった。私は利玄の短歌に、やむを得ずおとなになってしまうつらさと、しんしんたる「さみしさ」を見たのである。
私は作歌しない。が、このとき以来、なぜ自分は不覚にも歌を覚えてしまうことがあるのか、気にしつつ生きている。また、この利玄の遠く離れた時期の二首を中学生にあわせしめたY先生の心事について、あらためて考えることがある。それらは生活者にとって詩とは何かという主題である。同時に日本語とは何かという主題にもかかわっている。そのように私には思われるのである。
【1】

短歌に限らず、詩でも俳句でも小説でも、あるいは広告のコピーでも、何でもいいのですが、心を揺さぶる「言葉」に出会うことがありますね。言葉がぐっと胸にせまるとか、はっとさせられるとか。きれいだなぁとか。吹き出してしまうとか。
そんな体験をもとに、言葉とこころの複雑微妙な関係について、先人たちは思いをめぐらしてきました。短歌にもまた、そんな豊かで不思議な世界へと誘う力があります。

1960年代に中学生だった関川少年の体験から、さらに20年ほどくだって、1980年に高校生だった生徒に与謝野晶子体験を語ってもらいましょう…。

国語のテストにめちゃくちゃな答えを書いたこともある。

  @やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君

※血汐(ちしお)

   @の短歌の作者は誰か。     答 ロドニナ・ザイツェフ
   @の短歌は何句切れか。     答 こま切れ

こんな感じで最後まで回答した。ロドニナ・ザイツェフ※とは、その頃行われていた冬季オリンピックのアイスダンスで優勝したソ連のペアである。うつくしい演技が印象に残っていた。数日後、呼び出されて職員室に行くと、古文のミチコは何か書き物をしていた。しばらく側に立ったまま待たされる。やがて、ミチコはこちらに向き直ると、「私の授業に何か不満があるの、あるならいいなさい」と云った。が、授業に何も不満はないから応えようがない。「じゃあ、この答はなんなの。あなた、ほんとうにこう思って書いたの」。そう言われても、なぜそんなことをしたのか、よくわからないのだ。ほんとうにそう思った、のかどうか、よくわからない。そう思った、ような気もする。どきどきしながら、そんなことをぼんやり考えていると、はっきりしない私の対応に先生は苛立ち始めた。
やがてミチコが震え声で「ロドニナ・ザイツェフって何なの、これは、これはふたりじゃない」と云ったとたんに、私は笑いが止まらなくなって、嗚呼、そのあとどうなったか、思い出せない。
【2】

※イリナ・ロドニナと、アレクサンドル・ザイツェフ

「これはふたりじゃない!」(笑)。
ま、高校生にとって「短歌」なんて(というより国語の授業なんて)その程度の思い出でしかなかったりするワケですけど。
さて、昭和62(1987)年のこと。当時、高校の国語の先生だった俵万智『サラダ記念日』を出版し、空前のベストセラーになりました。

◆俵万智(たわら・まち)
※昭和37年生まれ。歌集『サラダ記念日』『チョコレート革命』など。

  愛人でいいのとうたう歌手がいて言ってくれるじゃないのと思う

  「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

  「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの

  やさしさをうまく表現できぬこと許されており父の世代は

  思い出の一つのようでそのままにしておく麦わら帽子のへこみ

『サラダ記念日』のヒットにより、俵万智は1989年に高校を退職。いまでは、俵万智の短歌は、小学校の国語の教科書にも載っています。

  「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ

  忘れたいことばっかりの春だからひねもすサザンオールスターズ

俵万智は、1995年から朝日新聞の日曜版で、毎週1首ずつ恋の歌を選んで紹介。1997年、連載されたものを一冊にまとめて刊行しました(『あなたと読む恋の歌百首』2001年に文庫化)。

◆俵万智について、劇作家の野田秀樹は…。

こんなこと、私が言うまでもないのだろうけれども、やっぱこの本いいね、いいっすよ、歌を選ぶセンスが。もう、恋の手替え品替えっていうの?方々から、いいところ持ってくるね。恋の手ほどき、手縛り、足鎖?そんなコトバないけど。なんか、全国各地からの恋愛名産物展みたいで。それも、ありきたりの名産物じゃない。長崎ならカステラ、京都は八つ橋みたいな、そういう所でおさまっていない。それでいて、極端にマニアックな名産物でもない。漬物はほら、寺町の裏の通りのあそこじゃなきゃ……そういうマニアックさは、この本には微塵もない。失敗したニューアカデミズムのマニアックさがない。「おい、そこまでアカデミックになって、誰が分かる、誰がついていく、君の後を」風な、大丈夫か浅田彰、みたいなところがない。もちろん、この本の元になる連載が朝日新聞だったという事情もあるのだろうけれども、短歌の世界であったりすれば、陥りそうな隘路を上手く、この本と俵万智は逃れている。

俵万智を恋愛ミーハーであると決めて、これら百首の解説を読んでいくと、うわああ、こいつ本当に真底、掛け値なしの、生まれついての恋愛ミーハーだというのがよくわかる。文法解釈をして時々見せる、元教師の顔、或いは、元国語審議会委員の俵万智よりも、私にはやっぱり、房総へ花を摘みに行くことに憧れていたことをぬけぬけと語る俵万智がいけてる。房総半島へ花を摘みに行くことこそが恋愛であると120パーセント信じている俵万智が眩しい、すげえ。【3】

  優等生と呼ばれて長き年月をかっとばしたき一球がくる    俵万智


『サラダ記念日』が刊行された当時の衝撃はすごかった。これが短歌だって言ってしまっていいの?みたいな。透明のくすんだカバーを破り捨てたら瑞々しい31音が並んでたみたいな爽快感がありました。この頃から流行した新しい口語短歌はライトヴァースとか、ニューウェーブとか読ばれたりします。

さて、俵万智を出したら、やはり次はこの歌人を紹介せずにはおれません…。

◆穂村弘(ほむら・ひろし)
※昭和37年生まれ。歌集『シンジケート』、『ドライドライアイス』など。

一九九〇年、二十八歳の穂村弘は第一歌集『シンジケート』を出した。少し前には俵万智が登場し、その第一歌集は一説に三百万部という異常な売れ行きをしめして、まさに社会的事件となった。しかし多く見積もってもその千分の一程度しか売れなかった(それでも破格なのだが)穂村弘の歌集も、実は短歌界にとってはそれに勝るとも劣らぬ衝撃だった。【1】

作家の高橋源一郎は、当時、朝日新聞の文芸時評で「俵万智が三百万部売れたのなら、この歌集は三億部売れてもおかしくないのに売れなかった。みんなわかってないね。」と書いた。

  体温計くわえて窓に額つけ「ゆひら」とさわぐ雪のことかよ    穂村弘

熱を帯びて、幼児言葉になって、雪にはしゃぐ彼女。無防備といっていいほど、彼に自分を預けている。そのかわいらしさを受け止めながらも、彼のほうには、やや照れがあるのだろう。「なんだよ『ゆひら』って。それにもう、いい年して、雪ぐらいでさわぐなよ。」結句の、ちょっと面倒くさそうな言い方が、逆に二人の絆の深さを思わせる。口語をうまく使って、恋愛のさりげない場面を切り取るのは、作者の得意とするところ。【3】

  ハーブティーにハーブ煮えつつ春の夜の嘘つきはどらえもんのはじまり

  朝の陽にまみれてみえなくなりそうなおまえを足で起こす日曜

  「猫投げるくらいがなによ本気だして怒りゃハミガキしぼりきるわよ」

  桟橋で愛し合ってもかまわないがんこな汚れにザブがあるから

  「鮫はオルガンの音が好きなの知っていた?」五時間泣いた後におまえは

  抱き寄せる腕に背きて月光の中に丸まる水銀のごと

  終バスにふたりは眠る紫の<降りますランプ>に取り囲まれて

  「あなたがたの心はとても邪悪です」と牧師の瞳も素敵な五月

  錆びてゆく廃車の山のミラーたちいっせいに空映せ十月

  サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい

  自転車の車輪にまわる黄のテニスボール 初恋以前の夏よ


◆「たわいない思いつき」に具体的な力を与えるもの。

堅くて冷たくて濁っていやな匂いのするどんよりした世界が、一本のギターを手にしたとたんに、柔らかくて熱くて透明でいい匂いのするきらきらした場所に変わる。そんな話に憧れていた。たわいない思いつきそのものが駄目なわけではない、と思う。それを信じたためにどんなに傷ついて混乱して困ったことになったとしても、この世にたわいない思いつきに替わるものなどない、とさえ思う。<今、ここ>にほんとうに存在して、次の一瞬を生み出すものは、たわいない思いつきだけではないか。問題は、その思いつきに具体的な力を与える何か、一本のギター、あるいは一台のカメラのような武器がみつからないことなのだ。

 短歌定型が武器になることに気がついたのは二十三歳のときだった。たわいない思いつきを五七五七七の音数に当てはめるだけで、それは全く別の何かに変わる。もしも才能があれば、世界を一瞬で覆すことができる。そうでなくても、世界の扉を一oあけることができる。まったく動かせないのと、一o動かせるのは大違いだ。壁と扉は大違いだ。一oひらけばそこから光が射し込んでくる。
【4】

  卵産む海亀の背に飛び乗って手榴弾のピン抜けば朝焼け   穂村弘


穂村弘は新しい「言文一致」で書こうとしている。だが、そのことばもまた歴史的なものにすぎないこと、そしてそこで獲得される「素顔」もまた「仮面」の一種にすぎないことをかれは熟知している。だから、かれは近代文学者たちと同じ道を歩むことはないだろう。わたしたちは歴史をその程度には信じていいのである。【5】


と、稀代の読み手である高橋源一郎が評価する一方で、歌人の石田比呂志※が穂村弘を罵倒。

※石田比呂志(いしだひろし):歌人。昭和5年生まれ

短歌という不自由な形式のなかで自由を得た二十代の穂村弘には、いくらでも歌ができた。ところが、そうしてつくりあげた『シンジケート』を石田比呂志に罵倒された。「人間としてだめだ」「死んでも認めない」といわれた。こんな歌、こんな歌人が主流になるのなら、「私はまっ先に東京は青山の茂吉墓前に駆けつけ、腹かっさばいて殉死するしかあるまい」とまで石田比呂志はいった。【1】

もしかしたら私の歌作りとしての四十年は、この一冊の歌集の出現によって抹殺されるかもしれないという底知れぬ恐怖感に襲われた」というくだりを読んだ穂村弘は、「ショックで頭の中が白くなった」。一度も会ったことのない相手に、「人間としてだめだ」「死んでも認めない」といわれたのである。また「歌人論」であるはずなのに、そこには引用歌が一首もないのである。それはまさに激震的体験であった。そして同時に、「異質な作風の存在が人間性や人生そのものの否定に直結する詩型の特異性を強く感じた」のだった(「はだかの<私>」穂村弘)【1】

なんでしょうか、この対立というか断絶の大きさは。
いったい石田比呂志の短歌観・文学観はどんなものだったのでしょうか?

短歌は、石田比呂志によれば「真剣勝負」である。「私は歌を作るために歌をつくっているのではない。自分とは何か、生きるとは何かがわからないから、歌を作ることによってそれを教えて貰いたいから歌を作っている一人の旅びとである」と書く石田比呂志は、歌人や文学者というより、「漂白の求道者」あるいは「武者修行の剣士」のようである。石田比呂志の生きかたそのものが、この自恃と歌への執念をもたらしたのである。【1】

短歌に限らず、かつては「文学」という行為が政治的な立場や思想性、生き方と分ち難く結びついていた時代もあったそうです。世代の違いというべきか、あるいは価値観のギャップというか。さらに1996年には、19歳の女子学生の歌集が話題になりました。

◆岡しのぶ(おか・しのぶ)
※昭和51年生まれ。19歳(旭川高専の学生時代)に
第一歌集『もし君と結ばれなければ』(ネスコ)を発表。

 もし君と結ばれなければ月のでる夜にだけ咲く桔梗になろう

 触れてよと願う心に手のとどかず触れるのはどうでもいいようなたとえば乳房

 雨の日はいつも決まって熱かった 君の唇 君の掌

 初めての肉の重さを全身で噛みしめているあなたの下で


この若い歌人、 岡しのぶに対しても「文学畑」の方からこんな批評があったそうです。

合評の時間になり、同席した女性評者が、こういう本は許せない、と私にいった。彼女は私と同年配の大学の外国文学の先生であった。詩人でもあった。その彼女が、みんな必死の思いで詩を書いている、若い子がさらさらと苦労もなく書いたものをとりあげるのはよくない、とやや血相かわった感じでいいつのるので、少なからず驚いた。そうか、みんな必死の思いでつくっているのか。詩は体に悪そうだ。文芸は命賭け、というのもひとつのイデオロギーである。【1】              

◆さすがアマチュア!気負いがない。

「文学」の看板を背負う方々とは一線を画す、同人誌の世界をのぞいてみましょう。
下は9歳から上は82歳まで、漫画家、主婦、プロレスラー、小学生、大工、オリンピック選手、OL、映画評論家、女優など多彩な顔ぶれが参加するファックス同人誌『猫又』。送られてきた作品を前に、短歌のプロ二人(穂村弘東直子)と主宰者の沢田康彦が座談形式で語った『短歌はプロに訊け!』(本の雑誌社)、『短歌があるじゃないか』(角川書店)からどうぞ。

ああいたい。ほんまにいたい。めちゃいたい。冬にぶつけた私の小指(←足の)

 すず ※千葉すず(元オリンピック選手)

これは何だ。短歌か?おもしろくないことはないけれど、やっぱりへんだ。誰も短歌の約束事を知らない(五七五七七はいちおう知っているらしい)のに、「作品」を送りつけてくるのである。そして恐るべきことに、みなつくりたがるのである。【1】


たとえば、「嫉妬」の題では…。

 愛こめてどうか不幸であるように君無き春の我無き君へ
 
                          吉野朔美(※マンガ家)

 道ばたのネコをかまうその背中ににゃあにゃあうそ鳴きしたけどだめだ
                      鶯まなみ(=本上まなみ※女優)

 「ずいぶんね!」ひれ伏して泣き気がつけば はだがづばってぐるしい「しっど」
                         本下いづみ(※絵本作家)

 「あ、妬いた?」「何を?しいたけ?炒めたわ」「ふうん、そうかあ」「なにがそうかよ!!」
                               本下いづみ


」の題では…。

 「七草のさいごのひとつ何だっけ?」午前3時の電話の口実  よしだかよ

 やれ寝るか草木も眠るウシミツどき妻の寝言は「ちよのふじ」なぜ? 国見太郎

 君といたねこじゃらし公園の夏よ 六時間目自習のような   沢田康彦


  《六時間目自習》という比喩がいいなあ。
穂村 《ねこじゃらし公園》という名前もいいです。作りですか?
沢田 いや世田谷に実際あるんですよ。
  《六時間目自習》の開放感。学校にいなきゃいけないけど、何をやっても自由という。それと、今ここに《君》といる時間の自由さがよく合ってると思う。「〇この回想歌の少年感。《六時間目自習》なんて言葉、もう忘れていました」(長濱)。「〇思い出せそうで思い出せない部分の観点を、こしょこしょと刺激されました」(本下)。
穂村 なんか《ねこじゃらし公園》に微妙なエッチさがありますね。
  ありますね。明るめの(笑)。これから何をするのかな、って。
穂村 ねこじゃらす。
沢田 腹這いになると隠れられる。これ、高校生の同人・中村のり子ちゃんから昼休みにメールが来て、「五時間目は自習です」って書いてあったんで、あいいな。いつか使おうと。
【6】

なんだか楽しそうですね。プロの歌人を含めてみんなで合評。
そんななか 「草」の題で東直子(ひがしなおこ)プロの作品は…。


 ふたりしてひかりのように泣きました あのやわらかい草の上では  東直子

今回も『猫又』投票では人気トップ。「〇はらはらとこぼれる《ひかり》の粒。凍る音。無声映画なのに《泣き》声が聞こえた感じがしました」(響一)。「〇神々しい」(戸所)。「△《ひかりのように泣》く?不思議な感覚です。東さんの歌はいつも透明感があふれていますね」(長濱)。…
穂村  …文句なしの◎です。これは『猫又』の評で沢田さんが完璧な読みをしています。「◎一見普通で実は異常。《ふたりしてひかりのように》と来たら普通は「笑う」ものである。(《ふたり》と《ひかり》は親戚のような言葉ですね)。結句にしても、普通なら《あの》〜《草の上で》なのに《では》と来た。普通なら「ふたりしてひかりのように笑ったね あのやわらかい草の上にて」なのでしょうが、そうなったらがぜん退屈。そこに短歌の秘密があるのかな?」(沢田)。……その通りですね。《ふたり》《ひかり》といった音の感じだとか、この微妙な語法のおかしさ。…
【6】


一人であーでもない、こうーでもないと言葉を吟味して歌をつくることも面白いのでしょうけど、人の歌を解釈するのも、そこに自分なりの意味を発見し、意味をつくり出すことです。自分がつくった歌が人からどんな思いがけない解釈を受けるかも、わくわくするでしょうね。

次回は、さらに多様な現代短歌の世界に迷い込んでいく予定です。

(02)へつづく
<引用したTEXT>
【1】関川夏央『現代短歌そのこころみ』NHK出版
【2】穂村弘『世界音痴』 小学館
【3】俵万智『あなたと読む恋の歌百首』 朝日文庫(解説:野田秀樹)
【4】穂村弘『短歌という爆弾』小学館
【5】高橋源一郎『文学じゃないかもしれない症候群』 朝日新聞社
【6】穂村弘・東直子・沢田康彦 『短歌があるじゃないか』 角川書店