では、ここからは、戦後生まれの歌人たちです。
◆河野裕子(かわの・ゆうこ):
昭和21年〜平成22年。歌集『森のやうに獣のやうに』『ひるがほ』など。
夫は、歌人の永田和宏。
たとへば君 ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか
いきなり相手に向かって声を発する初句は、字余りによる力強さもあって、読む者を、いっきにその世界へと引き込んでしまう。…「ガサッと落葉すくふやうに」そんなふうに無造作でいいから、「さらつて行つて」ほしい。――さらう、と作者は軽やかに言ってのけるが、これは大変なこと。この恋愛に寄せる決意と責任感とが試される言葉だ。つまりあなたは、私と運命共同体になれますか?という厳しい問いかけなのである。そして問いかけであると同時に、私にはその覚悟があるわ、という宣言でもある。【3】
青林檎与へしことを唯一の積極として別れ来にけり
陽にすかし葉脈くらきをみつめをり二人のひとを愛してしまへり
◆永田和宏(ながた・かずひろ):
昭和22年生まれ。歌集『黄金分割』『やぐるま』など。
スバルしずかに梢を渡りつつありと、はろばろ美し古典力学
「ありと」という上の句の<言いさし>の話法は何を語るのか。「そんな風に言っているが……そのスバルの美しい輝きと同じようにニュートン力学はもはや架空のものとなってしまっているのだ」といいつつ、作者はしかしこのことを悲しんではいない。かと言って現代の理論の不確定性を楽しんでいるわけでもあるまい。わたしたちがすべての仮説に対して抱かざるを得ないような知的感傷ともいうべき感情が、この一首には見事に形象化されている。これはやはり現場の科学者の抒情詩なのだ。【7】
◆小池光(こいけ・ひかる):
昭和22年生まれ。歌集『バルサの翼』『日々の思い出』など。
佐野朋子のばかころしたろと思ひつつ教室に行きしが佐野朋子をらず
一気に吐き捨てるように、しかし愛情を籠めて、しかも憎しみも交えて、「ばかころしたろ」なんて台詞を高校の教師が呟く。そして教室に行く。「行きしが佐野朋子をらず」は明らかに散文の日記体の文体で、短歌の叙情性を敢えて殺している。【7】
しまつたと思ひし時に扉閉まりわが忘れたる傘、網棚に見ゆ
屋上に鍵かけるべく昇り来て黒くちひさき富士しばし見つ
…「佐野朋子のばかころしたろ」という感情もまた、電車の中に忘れた傘とか屋上から見る遠い富士と同じくらい小さくてすぐに忘れられてしまうような、平凡事である。その平凡事に、「ばか」とか「ころしたろ」とか、そう思って生徒を探しに行く教師の行動が並列されているところが、平凡でないのだ。
信長が斃れし歳にわれなりて住宅ローン残千八百万
※斃(たお)れし
パンのみに生くるにあらずラズベリイ・ジャム、フランシス・ジャム右にひだりに
※フランシス・ジャム:フランスの詩人
穴子来てイカ来てタコ来てまた穴子来て次ぎ空き皿次ぎ鮪取らむ
これなにかこれサラダ巻面妖なりサラダ巻パス河童巻来よ
◆山田富士郎(やまだ・ふじろう):
昭和25年生まれ。歌集『アビー・ロードを夢みて』『羚羊譚』など。
恐龍のあぎとのかたちの雲浮びおまへを初めておまへと呼びき
恋人を「さん」づけでもなければ「きみ」でもなく「おまへ」と呼ぶというのは、男のいわば勝利の宣言なのだろうか。いや、違うだろう。愛というものがあるところまで進行したというマイルストーンとして、その日があったのだろう。また「恐龍のあぎと」のような雲だということに、さして大きな意味があるわけではあるまい。それでも、なにものをも噛み砕きそうな顎。そしてその存在がとてつもない太古の生物であるという超現実性。そういったものが寄ってたかって、この歌の浪漫性を高めている。【7】
イースターエッグを置かむうつぶせの白き背中のしろきくぼみに
さんさんと夜の海に降る雪見れば雪はわたつみの暗さを知らず
◆永井陽子(ながい・ようこ):
昭和26年生まれ。歌集『なよたけ拾遺』『楠の木のうた』など。
べくべからべくべかりべしべきべけれすずかけ並木来る鼓笛隊
すずかけ並木や鼓笛隊はもうこれ以外言うことのできないほどぴったしした選択なのである。ちょっと考えてみれば、この歌の上の句の内容は、単なる文法上の助動詞の変化を言っているのではない。「べし」は「なになにすべし」といったふうに、社会的道徳的命令を文語的な古さをこめて言う時の「べし」である。作者はその「べし」を、すずかけ並木を来る鼓笛隊の戦後的風俗によって軽く一蹴したのである。【7】
あはれしづかな東洋の春ガリレオの望遠鏡にはなびらながれ
丈たかき斥候のやうな貌をしてfが杉に凭れてゐるぞ
※斥候(ものみ)、貌(かほ)、f(フォルテ)、凭(もた)れて
ここはアヴィニョンの橋にあらねど♪♪♪曇り日のした百合もて通る
※原作の「♪」の部分は四分音符。
ながれたる歳月にしていつまでも美しからずわが言葉さへ
◆今野寿美(こんの・すみ):
昭和27年生まれ。歌集『花絆』『星刈り』など。
もろともに秋の滑車に汲みあぐるよきことばよきむかしの月夜
※月夜(つくよ)
今野寿美はおそらく、王朝以後の古典女流短歌を巧みに自分のものにしたひとりであろう。…秋という季節は、日本に住むひとびとが皆深い井戸の底から、滑車をつかって秋らしいよいことばを汲み上げ、今は失われてしまった昔の良夜を汲み上げてくる、そのような季節なのだ、といって、昔からの和歌の伝統に繋がりながら、月を愛でているのである。【7】
◆仙波龍英(せんば・りゅうえい):
昭和27年〜平成12年。歌集『わたしは可愛い三月兎』『墓地裏の花屋』など。
極東のスペイン坂のかたすみにわれ泣きぬれず雨に濡れゐつ
「スペイン坂」には、「脚註」がついている。「渋谷区センター街をわきにそれたところにある路地。通称スペイン通り。急な坂になってゐる」 啄木の「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」のパロディだとはすぐにわかる。しかし、「東海の小島の磯の白砂」が一九八〇年代日本では「スペイン坂」という気恥ずかしい呼び名の場所にかえられ、そして仙波龍英は「泣きぬれ」ない。「泣きぬれる」ことができない。風俗と流行の中にたたずんで「雨に濡れる」ばかりである。【1】
夕照はしづかに展くこの谷のPARCO三基を墓標となすまで
※夕照(せきしょう)、展(ひら)く、PARCO(パルコ)
ひら仮名は凄まじきかなはははははははははははは母死んだ
父逝きて二十数年、母逝きて一年余犬逝きて二カ月余(近いほど悲しい)
◆高柳蕗子(たかやなぎ・ふきこ):
昭和28年生まれ。歌集『ユモレスク』『あたしごっこ』など。
つけてくる運命の鰐に向きなおれ私を愛しはじめたあなた
※
鰐(わに)
われわれはアジア的な沼か河の、泥のような流れを泳いでいる。うしろからしずかに大口を開けて運命が近づく。だが一向に事態は深刻でない。漫画的な明るさである。とはいえ、いずれにせよ、運命は鰐であって、いつその大きな口に噛み殺されるかも知れないのだ。「魔女である私を愛するとは、その鰐に向きなおることなんですよ、その鰐と素手で格闘することなんですよ」と言っているかのような歌であるが、どこまでがマジでどこからがジョークなのか、まさに歌集の題名通り『ユモレスク』なのである。【7】
骸骨ら他には何もないからと大骨小骨贈りあう聖夜
殺人鬼出会いがしらにまた一人殺せば育つ胃癌の仏像
自転車で「不幸」をさがしにゆく少年 日は暮れてどの道もわが家へ
早起きの老人ばかりの暗殺団不吉なことは内緒にされる
みんな淋しいのに忘られただけで黴びてあたしの蜜柑の弱虫!
◆松平盟子(まつだいら・めいこ):
昭和29年生まれ。歌集『帆を張る父のやうに』『シュガー』など。
甘皮をうつすらと剥がすやうにして男の矜持そこねゐる快
『人魚姫』語りてやりぬ恋ゆゑに滅ぶる終末母が娘にかたる
※終末(をはり)、娘(こ)
アリナミンよりほほゑみが効くなんて言の葉で妻が喜ぶとおもふか
◆栗木京子(くりき・きょうこ):
昭和29年生まれ。歌集『水惑星』『中庭(パティオ)』など。
半開きのドアのむかうにいま一つ鎖されし扉あり夫と暮らせり
※鎖(さ)されし扉(と)
この歌の夫からみれば、半開きのドアのむこうに、見えないプライバシーを抱いた妻がいるということになるのであろう。こういう生活空間に子が生まれる。夫婦と子のあいだにつくられるトライアングルはどのようなものか。栗木は、常にこの問題をかかえて、しかもその時代相応の軽い足取りでうたってゆくのである。【7】
せつなしとミスター・スリム吸ふ真昼夫は働き子は学びをり
天敵をもたぬ妻たち昼下りの茶房に語る舌かわくまで
観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生
※一日(ひとひ)、一生(ひとよ)
◆井辻朱美(いつじ・あけみ):
昭和30年生まれ。歌集『地球追放』『コリオリの風』など。
<ふたたび>と<けつして>の間やすらかに夜の舟は出る 僕を奏でて
この歌の「ふたたび」はアゲインであり、「けつして」はネヴァーモアであろうか。もう一度あるのか、それとも決してないのか、その狭間を夜の舟は出港する。しかもそこに奏でられる音楽は、私そのものである。…地球をテラなどと呼びながらこの作者は、数々の幻想的風景をうたった。しかし十数年経ってみたら、それらの歌は、テレビゲームやプレイランドにおけるヴァーチャル・リアリティを先取りしていたようにも思えてくるから、不思議である。【7】
瑠璃紺の始祖鳥の胸かがやきて宇宙空間に降れるこなゆき
杳い世のイクチオステガからわれにきらめきて来るDNAの破片
※杳(とお)い 、イクチオステガ:魚類から進化して陸上に上った古生物。
◆水原紫苑(みずはら・しおん):
昭和34年生まれ。歌集『びあんか』『うたうら』など
われらかつて魚なりし頃かたらひし藻の蔭に似るゆふぐれ来たる
※魚(うを)
つまり、あなたと私は、ヒトがヒトのかたちとなるずっと以前から、こうして寄り添いあっていた……ということを、とくに肩に力の入った様子もなく、まことにさりげなくさらりと言ってのけている。比喩の内容として、つまり大前提としてそのことが語られているところが、心憎い。「もしかしたら」とか「きっとそうだったに違いない」などという言葉をはさむ余地もないほど、それはあたりまえのこととして、作者のなかにあるようだ。…男として、女として、ひかれあう以前に、何か「同じ種類の人間」として響きあう――そういう恋愛というのが、確かにある。「われらかつて魚なりし頃」には、そういうニュアンスも込められているのだろう。【3】
殺してもしづかに堪ふる石たちの中へ中へと赤蜻蛉 ゆけ
※赤蜻蛉(あかあきつ)
水浴ののちなる鳥がととのふる羽根のあはひにふと銀貨見ゆ
宥されてわれは生みたし 硝子・貝・時計のやうに響きあふ子ら
※宥(ゆる)されて
◆加藤治郎(かとう・じろう):
昭和34年生まれ。歌集『サニー・サイド・アップ』『マイ・ロマンサー』など。
ぼくたちは勝手に育ったさ 制服にセメントの粉すりつけながら
マガジンをまるめて歩くいい日だぜ ときおりぽんと股で鳴らして
荷車に春のたまねぎ弾みつつ アメリカを見たいって感じの目だね
「ね」「さ」「だぜ」といった助詞の口語性の活用。これはやはり一人称単数を俺と言ったり僕たちと複数形で言ったりするのと同じで、そこから、若さを匂わせる語法であろう。かと言って、そう単純な青春歌謡ではない。「いい日だぜ」と言っているが、高揚した気分を一瞬掬い取っているその楽しさの向こう側には、やたらに明るいだけのむなしい半植民地風の平和が繰り広げられていた、ということかも知れないのだ。【7】
バック・シートに眠ってていい 市街路を海賊船のように走るさ
もうゆりの花びんをもとにもどしてるあんな表情を見せたくせに
◆荻原裕幸(おぎはら・ひろゆき):
昭和37年生まれ。歌集『青年霊歌』『あるまじろん』など。
まだ何もしてゐないのに時代といふ牙が優しくわれ噛み殺す
誘へどすぐさま拒む人生のたとへば「ペンキ塗りたて」の椅子
※誘(いざな)へど
フランスパンほほばりながら愛猫と憲法九条論じあふ
しみじみとわれの孤独を照らしをり札幌麦酒のこの一つ星
※麦酒(ビール)
青年たちは人生に腰を掛けてゆったりと何かを考えたいのに、人生はペンキ塗りたての椅子のようにしばらくのあいだ自分たちを拒むのだと思っている。かといって彼らはそのことに悲しみを抱いているわけではない。彼はフランスパンを頬張りながら愛猫と憲法第九条について論じ合ったり、しみじみと自分の孤独を照らすのはサッポロビールを象徴するラベルのひとつの星なのだよと嘆いてみせる。塚本邦雄の強い影響下に出発しながら、いち早く塚本調を脱却して、独特の気だるいような歌調を編みだしているのも、彼がまれにみる技巧家であり、短歌の韻律の根本を若くして掴んでしまっているからなのだろう。【7】
顎つよき愛犬を街にときはなつ銀色の秋くはへてかへれ
ほらあれさ何て言ふのか晴朗なあれだよパイナップルの彼方の
間違へてみどりに塗つたしまうまが夏のすべてを支配している
◆東直子(ひがし・なおこ):
昭和38年生まれ。歌集『春原さんのリコーダー』『青卵』など。
廃村を告げる活字に桃の皮ふれればにじみゆくばかり 来て
初めてこの歌を目にしたときの衝撃は忘れ難い。私はこれを相聞歌として読んだが、そのような読みを最終的に成立させているものは、最後に置かれた「来て」の二文字に過ぎない。だが、この「来て」の強烈さはどうだ。…濡れたナイフ、果実、丸まった皮、滲む「廃村」の活字から、作者はおそろしい真実を感受してしまう。すなわち、過去や未来、人との絆、この世のすべてはただ一瞬の譬えに過ぎない。この震えるような把握は、瞬間的に幾つもの感覚を呼び起こす。(今しかない)(こわい)(何もいらない)(これだけ)。耳鳴りのような感覚の響き合いのなかで、眼前の、しかも遥かな一人に向けてたったひとつの言葉が選ばれる。「来て」と。【4】
ははそはの母の話にまじる蝉 帽子のゴムをかむのはおよし
※「ははそはの」:母の枕詞。
そうですかきれいでしたかわたくしは小鳥を売ってくらしています
電話口でおっ、て言って前みたいにおっ、て言って言って言ってよ
◆林あまり(はやし・あまり):
昭和38年生まれ。歌集『MARS☆ANGEL』『ナナコの匂い』など。
生理中のFUCKは熱し
血の海をふたりつくづく眺めてしまう
このFUCKの歌も、従来の近代短歌の概念から言えば、およそ乱暴な作り方で、ずばずばと太い描線で描かれた男女抱擁の図である。「血の海」などという大げさでマンガチックな言葉は、それがリアルでないだけにあまり嫌らしさもない。歌としては、
今日言った「どうせ」の回数あげつらう男を殴り
春めいている
のような歌の方が短歌的と言えるであろうし、
ネクタイを一瞬に抜く摩擦音
男の首は放熱しはじむ
のような一瞬の把握の方が気持ちよく読めるのもたしかである。しかし掲出歌の暴力的な印象にはおよばないだろう。フェミニズムを理論や主張としてではなく、感覚において軽くクリアーしてうたっている歌人が現れたのである。【7】
◆紀野恵(きの・めぐみ):
昭和40年生まれ。歌集『さやと戦げる玉の緒の』『閑閑集』など。
ゆめにあふひとのまなじりわたくしがゆめよりほかの何であらうか
夢の中でひとに会う。もとよりこのひとは男性であろう。そのひとのまなじりのきりりとした涼しげな印象よ、などと浮かれているわけではない。読者はあっと言う間に肩透かしを食って、作品の中へ倒れこんでしまう。倒れながら振り返ると、「このわたくしという存在こそがだれかが見ている夢そのものなのですよ、それ以外に考えられないではありませんか」と言って作者は微笑む。まあそんなところではあるまいか。全体がひらがなで書かれて、「何」という字だけが漢字になっている。こうした表記の上の古典風の出で立ちも、紀野恵が第一歌集を出した八〇年代の中葉には常識となりつつあった。
白き花の地にふりそそぐかはたれやほの明るくて努力は嫌ひ
※かはたれ:夜明け時
のように、第四句まで古典調で流して来て、第五句に突然口語的な発想を挿入する。そして「努力は嫌ひ」などということを、面白げに言い放つ。
あはれ詩は志ならずまいて死でもなくたださつくりと真昼の柘榴
※柘榴(ざくろ)
のように、およそ詩を志とする思想からは身を遠ざけているのに、言葉による美の創造についてははっきりとした自負を持つ。世紀末風と言えば世紀末風、古風と言えば古風な歌である。【7】
◆枡野浩一(ますの・こういち):
昭和43年生まれ。歌集『ますの。』『ハッピーロンリーウォーリーソング』など。
1995 年、角川短歌賞に応募した短歌が「最高得票落選」として話題に。その落選作が「週刊SPA!」などで大きく取り上げられた。
毎日のように手紙が来るけれどあなた以外の人からである
真夜中の電話に出ると「もうぼくをさがさないで」とウォーリーの声
前向きになれと言われて前向きになれるのならば悩みはしない
殺したいやつがいるのでしばらくは目標のある人生である
もっともなご意見ですがそのことをあなた様には言われたくない
こんなにもふざけたきょうがある以上どんなあすでもありうるだろう
歌人の穂村弘さんは、桝野浩一の短歌について「意識的な散文化によって、私の<想い>と<うた>の間にあるレベル差を消す文体」と述べていて、1990年代後半からの若者の短歌には「想いと等身大の文体」が目立つようになったと分析しています。
現時点での一応の整理を試みるなら、90年代の後半から時代や社会状況の変化に合わせるように世界観の素朴化や自己意識のフラット化が起こり、それに基づく修辞レベルでの武装解除、すなわち「うた」の棒立ち化が顕著になったのではないか。
◆斉藤斎藤(さいとう・さいとう):
昭和47年生まれ。歌集『渡辺のわたし』『人の道、死ぬと町』。
リモコンが見当たらなくて本体のボタンを押しに寝返りを打つ
いけないボンカレーチンする前にご飯よそってしまったお釜にもどす
雨の県道あるいてゆけばなんでしょうぶちまけられてこれはのり弁
女子トイレをはみ出している行列のしっぽがかなりせつなくて見る
イェーイと言うのでイェーイと言うとあなたそういう人じゃないでしょ、と叱られる
この世代の歌人のなかでは、斉藤斎藤の言葉にもっとも新鮮な「反」の感触があると思う。どの角度からもアイロニーに見えてしまう真情の提示、同情の余地のない貧しさの受容、勝手に塗りつけられた幻想の削ぎ落としなど、言葉の敗戦処理を引き受けているような印象がある。これは「零(ゼロ)の遺産」ならぬマイナスからの歌作りではないか。その不毛さに驚きつつ、絶望に希望を上書きするような作家スタイルが生み出す異様な緊張感に惹きつけられる。
とりあえず、 以上。
今回紹介した歌人と選んだ歌は、かなり偏ってますけど、「現代短歌」のバリエーションと面白さは、感じてもらえたのではないかと思います。まあ、はるか古代から連綿とつらなる和歌の伝統を思えば、三十一音の歌の世界はさらに広がるわけですが。