赤瀬川原平の宇宙。(02)
赤瀬川 原平(あかせがわ・げんぺい :1937−2014)
前衛芸術→トマソン→路上観察学。

ゲンペーさんが前衛芸術家だったころの作品と、例の事件について本人から語ってもらいましょう。

◆赤瀬川原平の“前衛芸術”作品

…そこで私は蟹缶を買ってきました。そして缶切りで開けて中の蟹を食べました。蟹は私の体内に収まります。でその蟹缶をキレイに洗いました。それからレッテルを剥がし、もう一度キチンと糊をつけて、その缶の内側に貼り直します。で開けたところをもう一度戻して隙間をハンダ付けで密封します。
その瞬間!この宇宙は蟹缶になってしまう。この私たちのいる宇宙が全部その蟹缶の内側になるのです。そうでしょう。その缶に密封されて、外側に蟹のレッテルを貼られてしまったのだから。【1】

「宇宙の缶詰」
『芸術新潮<赤瀬川原平の全宇宙>』より

さらに、 この『宇宙の缶詰』には面白い理屈がオマケについています。

じつはこの宇宙の梱包にはほんの少しだけ包み残しができてしまう。その缶詰の缶の内側、理論上では外側であるが、その小さな缶空間だけ包めない宇宙が残る。…つまり宇宙の梱包にはどうしてもそのわずかな缶空間が不可欠であり、いわばそれを宇宙に対する認識主体、すなわち一つの自我として考えることができるのではないか。この缶詰をモデルとして、人間もまた梱包体であることを思い知るのだ。人間は中に内宇宙を包み込んだ缶詰的な存在である。

…ところでこの宇宙の缶詰は蟹缶一つだけでなく、鮭缶でも作り、トウモロコシ缶でも作ったわけで、その点が重要である。つまり蟹缶は宇宙のほとんどを梱包しながら、そこにわずかな包み残しができた。しかしそれはもう一つの鮭缶によって宇宙もろとも包まれている。そしてその鮭缶にも宇宙の包み残しはあるのだけど、それはすでに蟹缶によって包まれているのだ。つまりAはBを包みながら、Bから包まれてもいる。同様にCDEがあるのであって、この宇宙はわずかな包み残しを別の缶が補いながら、いまは多重に包み込まれているわけである。【4】

このような“面白い理屈”でつくられた作品を「コンセプチュアル・アート」と呼んだりしますが、世の中の常識や制度(“芸術”も制度の一つです)を超えようとする試みが前衛芸術ですから、ときにそれが社会を騒がせてしまうのは当然といえば、当然です。

◆「千円札の模写」

赤瀬川原平の名を一躍有名にした作品は、なんといっても「千円札の模写」でしょう。

千円札というものの絵筆による模写作業をおこなう一方で、紙に印刷するというそのシステムの模写、全千円札体系の模写作業をはじめたのです。ミスなども含めて四種印刷しました。これはその第二回目です。原寸大の紙に表のみ一色刷り。印刷所に二千円払って千円札を三千枚受け取りました。信念とは恐ろしいもので、これが犯罪になろうとは思ってもいませんでした。【1】

◆生放送のTV番組で…。

私はポケットから千円札を取り出しました。私製のやつです。目の前に灰皿があるので、その上でマッチを擦って千円札に火をつけました。千円札はメラメラと燃えて灰になります。モニターをちらと見ると、それがアップで映っています。大学生はまだ議論をしています。私はまた千円札を取り出して、灰皿の上で燃やします。千円札はまたメラメラと燃えて灰になります。それを何回もやっていると、ずいぶん煙が出ます。それがたなびいて大学生の方にも行ってしまう。こんなことしていいんだろうかと思いました。

終わると局の人が目を輝かせて慌てていました。電話がジャンジャンかかったそうです。どこか横浜の方の警察の人からも電話があって、キツク怒られたそうです。無理もないと思いました。当時まだテレビは白黒だから、目で見れば墨一色刷りの粗悪な千円札でもテレビに映ればそっくりになる。…千円札を何枚も燃やして、けしからん、と思ったのでしょう。私だって同感です。本物の千円札を燃やすなんて、私だって絶対にしません。【1】

◆警視庁の地下室とアルタミラの壁画

私は子供のころ、芸術家だった。「芸術」という言葉を知る前から芸術家だったのである。どのような芸術をしていたかというと、自分で記憶しているのは玄関の魚釣りだ。三歳のころ住んでいた家には玄関の上にベランダがあった。そこから下を見ると、玄関のドアの真鍮の把手が小さく光って見える。それが水中の魚に見えたので、ベランダの上から先っぽに輪を結んだロープを垂らし、その金魚を釣っていたのだ。

これは芸術ではないだろうか。違うかもしれない。ただの遊びかもしれない。しかし芸術に少しばかり接近していると思う。ベランダから垂らしたロープが遊びのど真ん中を通りながら、その先の芸術を釣り上げようとしていた。
 と思うのだけど、このような言い方は我田引水というか、美辞麗句というか、科学的態度から遠去かるので少し気をつけた方がいいのかもしれない。
【4】

誰しも子供のころには似たような“芸術”(≒遊び)体験があると思いますが、ゲンペーさんの場合は…

私は社会人となったあとなおもそのロープを垂らしていって、その先を日本銀行の大金庫のさらに奥、大蔵省印刷局の紙幣印刷現場まで届かせてしまった。つまり自分で町の印刷所に発注して千円札を印刷したのだ。
もちろん営利の目的でなく、これは芸術である。しかし説明が非常に難しい。

…ことがことだけに、犯罪とみなされるのは簡単である。そうなれば、ここからさらに深い地下室へ押し込まれて、もう戻れなくなる。私は自分のおこないに面食らってしまった。自分は芸術をおこなっていたはずなのに、どうしてこんな崖っぷちに立っているのか。【4】

警視庁の地下取調室で、赤瀬川氏は、なぜ千円札の印刷が芸術作品になるのか刑事に説明するために、何日にもわたって芸術についての講義を行うハメになったそうです。

私はこんにちに至るまでの芸術の様態を一つ一つさかのぼるほかなく、抽象絵画の前の印象派からその前のリアリズムの発生、その前のロマンチシズムマニエリスムルネッサンスローマギリシャ、とよろよろたどりながら、結局のところアルタミラの洞窟画にまでたどりついた。人類の残した絵の最古のものだ。そこからこの千円札までどれほどの距離があるだろう。それを思って不思議な気がした。

洞窟画から千円札まで複雑に屈折してきたようでいて、二つはほとんど密着している。…私は警視庁の地下取調室でアルタミラの洞窟画を頭に浮かべながら、自分のいる場所がそれとほとんど変わりないものに思われた。【4】

その後、あの有名な「千円札裁判」がはじまるのですが、芸術活動というややこしいものをテーマとするだけに一筋縄では行きません。「芸術」の側は、現代芸術の最前線を説明しようと、作品を抱えて法廷内に乗り込みます。

◆法廷内を展覧会場に。

何でもないただの千円札の印刷を「芸術だ」といって説明するのは非常に難しいことです。これは芸術関係者に向ってでも難しいのに、相手は芸術とは一度も関係していない検事とか裁判官です。芸術の絵といえば富士山かリンゴだと思っている人々です。

…そこでまず私たちは「あれも芸術、これも芸術」という「あれ」や「これ」を法廷の中に持ち込んだのです。つまり仲間たちの作品を証拠品として申請し、芸術の童貞者たちに向って現代における最新芸術の、「ジッタイ」を講義したのです。【1】

法廷内に、さまざまな前衛芸術の作品が証拠品として並べられた。

中西夏之の作品「洗濯バサミ…」も用意され、ここではニイジマ君という生身の青年の肉体をキャンバスにして陳列され、証拠写真に残されました。まるでスズメバチの大群に襲われたように、彼の体中に洗濯バサミがびっしりと食いついています。…
千円札裁判の証拠品(人)
「赤瀬川原平の芸術原論展」図録より

裁判長が声をかけました。「もうあなたの分は終わったのだから、席に帰って下さい」
ニイジマ君はゆっくりと歩くのを止めて、すなおに従おうとしました。でもすなおに考えたら従い方がわからなくなり、質問しました。
「あのう……、ぼ、ぼくは、ど、どこに帰ればいいんですか?」
一瞬、裁判長は絶句しました。そして今度は傍聴席も絶句しました。弁護人も被告も絶句しました。いったいニイジマ君はどこに座ればいいのでしょうか。ニイジマ君は傍聴人であります。だけど一方では芸術証拠品でもあります。証拠品は全部弁護席の後の台に置いてあります。ニイジマ君はそこにしゃがんでいればいいのでしょうか。廷内は全員の絶句ののちに、また爆笑してしまいました。
「…………」
爆笑の中に裁判長の絶句はつづき、ついには答えなかったものと記憶しています。
【1】

◆その後の芸術がたどった運命

芸術の形骸は結局経済のネットワークで包まれることになる。経済はその形骸を買うことによって、形骸に価値を与えてしまった。そこから現代芸術の作品の凋落がはじまる。商品としての形骸が再生産されていったのである。問題はその作業が、なおも芸術の名を冠しておこなわれたことである。それによって芸術の核質は、芸術作品からすっぽりと流れ落ちた。残るのは、その形骸の再生産とその売買を破綻なくおこなうことで、冠する芸術の名を買い支えていくことであった。

その結果、芸術の名の下に抱える空虚が増大し、それをカバーするための舌先が三寸、五寸と伸びつづけていったのである。舌先というより、それはいわゆるポーズといった方がいいのかも知れない。芸術の名を冠する世界はファッションの構造の中へ逃げ込んでいったのである。【4】

もうここまで来てしまうと、私たちにはすでにお馴染みの光景です。経済に包まれた「芸術」、ブランドとしての「芸術」、お勉強や教養、つまり制度としての「芸術」云々。

ファッションにはもちろん美学的要素があってのことだが、その水準が一列に並んでしまうと、あとはブランド、記号の売買である。記号は感覚というよりは勉学のタマモノである。したがって記号を買う人は教養主義の人々である。教養主義者とはつぎのような人々だ。デパートの展覧会で、絵の前を通り過ぎて解説の前で立ち止まる人。【4】

現代芸術の最前線を駆け抜け、気がつくと崖っぷちにも立ってしまったゲンペーさんは、その後「芸術」を超えた無意識の芸術である「超芸術」を路上に発見することになります。

◆「トマソン」というモノサシ

もともと冗談ではじまり、メディアで取り上げられ、講演(スライド上映)を繰り返し、赤瀬川原平みずから「もうほとんど古典落語化している」と語ったトマソンと路上観察学ですが。

このトマソンとか路上観察とかいうものは面白いけれどもまったく役に立たないものなので、これに興味をもつもたないで人間の分類がしやすい。あ、面白い人なんだな、というのがわかる。商売以外の無商売のエネルギーが察知できる、といってもいい。【5】

ご存じない方のために、あらためて説明すると…

【超芸術トマソン】
不動産に付着していて美しく保存されている無用の長物。「純粋階段」「高所ドア」など、さまざまなタイプがある。かつてジャイアンツに在籍した4番打者(三振ばかりで役に立たなかった)ゲーリー・トマソン選手の名にちなむ。

と、言葉で説明するよりも、百聞は一見に如かず。こちらが、1972年に新宿区四谷で発見された歴史に残るトマソン第1号物件「純粋四谷階段」です。

ん?なんだろう?これは。

見ての通り、ただ、上がって、下がるだけ。どこにも通じていない純粋な階段です。
そう説明されて「だから何?」ときょとんとする人や、「それがどうした!」と怒り出す方は残念ながらトマソンや路上観察とは、まったく縁のない人です。笑

この間NHKのテレビコラムという番組に出た。路上観察学のことを写真を見せながらちょっとしゃべったのである。そのとき面白かったのは、撮影中にスタッフが笑っていたことだ。私はそのとき写真で示した物件が面白くて笑っているのかと思ったが、訊いてみると、そんな何でもないものに本気で感動してしゃべっている私があまりにもおかしくて思わず笑ってしまったというのだ。そう聞いて私も笑いそうになった。【4】

今ではネット上に、さまざまなトマソン物件や路上観察関連のサイトができているようです。
(私も、路上観察@枝光をアップしたので興味のある方は、クリック!)

さて、トマソン史上もっとも有名な一枚といえば、やはりあの、麻布の無用エントツでしょう。港区麻布に立っていた1本の煙突。どうやら昔はそこに銭湯があったようだが、建物部分がとり壊されて煙突だけが残り、トマソン(=無用の長物)と化している…。

と、雑誌でそんな報告がなされた後日、ゲンペーさんのもとに、ある写真と撮影者があらわれます。そして、そのときの衝撃を、誌面で臨場感たっぷりにプレイバック。

ところが、私の前に写真@があらわれたのである。
と、いきなりはじまりました。…

「何?これ…」
「エントツですよ」…
「昇って来たんですよ」…
「ええ。で上に昇って撮ったんです」…
「ええ。恐いですよ」…
「ええ。でも避雷針は細くて、もうボロボロに錆びてて……」…
「ええ。でも一度立って撮ったんです」…
「ええ。できるだけ伸び上がって」…
「ええ。できるだけ自分の体を写そうと思って」…
「ええ。つかまれない。つかまるものもないし……」…
「ええ。僕もそれがいいと思って、いちおうやってみたんです」…
「ええ。一脚に魚眼付けて、自動シャッターで」
「くわァーッ」
私はもう呆れて写真の飯村君を見つめました。

これはもう馬鹿です。いや馬鹿は失礼だけど、ほとんど馬鹿と紙一重です。天才と狂人は紙一重だというけど、あれと同じで、ほとんど馬鹿と紙一重の冒険。

いや冒険とはみなそういうものでしょう。私は唸りました。冗談では言う。エントツに昇ってその自分を自分で撮ったら、なんて。しかし言うだけですよ、ふつうは。だけど飯村君は言うだけでなく、それをやってしまった。モロに。

凄い。感動です。馬鹿への感動。いや馬鹿といってはやはり失礼だ。しかしこの感動の前には失礼も吹っ飛ぶ。これはやはり馬鹿と紙一重の冒険というほかはないでしょう。その紙一重の紙が、もうほとんど破れかけている。【6】

この衝撃写真は、『超芸術トマソン』(ちくま文庫)の表紙になっていますので、興味のある方は書店でどうぞ。

◆トマソンから、路上観察学会へ

いずれにしろ、このような、ちょっと変なものを見つけて歩く学問である。学問ではないという人もいる。では表現かというと、自分では何も表現していない。だけど異常に面白いのだ。これを始めたときには、あまりにも面白くて知恵熱が出た。芸術を紛失したあとだから、その楽しさもひとしおだった。

世の中は深いと思った。もうすべて見尽くして倦怠していた、と思っていた世の中なのに、まだ誰も知らない密林がひろがっている。もちろん知ってもしょうがない密林である。ちゃんとした杉や檜が採出できるわけではない。分け入れど分け入れどゴミだらけの密林である。だけどそこで拾い集めたいくつかのゴミが、私たちの目には宝石のように光りはじめる。【7】

「芸術」が経済のネットワークに包囲されて、ファッションやブランドの世界に逃れてしまった後、赤瀬川さんたちは、路上を歩き回って「ちょっとヘンなものを見つける」学問(というか遊び)で大いに盛り上がります。いわゆる“路上派”の人々です。

では、路上観察学の一分野である<ハリガミ>から、名作のほんの一部をご紹介しましょう。

燃えないゴミは(金)だけです

これは港区麻布の高級住宅街で見つけたものだ。もちろん、曜日のことを言っているのだが、しかし一読して、思わず唸らされる。唸らない人もいるだろうが、しかし台所にうんざりするほどゴミの(金)が積み上げられている、そんな幻の光景が目に浮かぶ。【7】

 

町を行くあの子もこの子も私の子

ある町の少年補導協会による看板である。町内の児童への博愛を訴えかけてのものだろう。しかしよくよく考えてみて、あの子もこの子も私の子、つまりこの「私」というのは町のほとんどの子供の父親である。となると、ここは何か大変に性道徳の乱れた町内と思えるではないか。という曲解的な面白がり方にも「見立て」は紛れこんでいる。【4】

 

Don’t ウンコ

これは広尾の辺りの住宅街だ。近辺にあった他のハリガミから類推して、やはり犬の糞禁止であろう。しかし二ヶ国語である。インテリでなければわからない。ところが実際にこの辺りは外人の住民が非常に多く、チリガミ交換もスピーカーから英語と日本語の二ヶ国語を流しているという国際御町内なのだ。
…しかしあらためて考えてみて、これは日本語のわからぬ外人には意味不明だし、英語のわからぬ日本人にも意味不明である。やはりこのハリガミを見るには二ヶ国語の教養がなければならない。
【4】

 

単なる散歩、犬の散歩

これも非常に難しい。前にもよそで話したことがあるが、つまり犬に関するハリガミはその排泄物の始末に起因するものがほとんどである。といってハリガミというものは何を訴えても効果が薄いという無力感があり、しかしそこの住人としてはハリガミででも注意せずにはおれないというイキドオリがあり、その二つの力がせめぎ合いながらハリガミ表現というものは横滑りしつつ爛熟していく、その結果、もう一度見て下さい。

「単なる散歩、犬の散歩」

もはや主義も主張もないこのハリガミが、静かな寺の境内にポツネンと張り出されているのを見るとき、人は深い何というか、深いその、とにかくもはやメッセージを超えた無我のハリガミ境地に突き当たってしまうのである。【8】

面白さを感じとる波長は人それぞれ、トマソンや路上観察に対する反応も人それぞれ。意味と無意味の境目にある不思議な物件は、何がなんでもそれを意味づけようとする困った人々の精神構造まで浮き彫りにします。

たとえば路上観察の報告が雑誌に掲載されると、その所在地が明らかな場合など、テレビや週刊誌のグラビアといったメディアが、これはいける、二分はもつ、見開きになる、というので直ちに現場へ駈けつける。そしてそれを前から後から大っぴらに撮影するのはまあいいとして、
「何故こんなものがここに出来てるの」
という質問を住人にぶつけて答えを得ようとする。

そんな様子を見ていると、子供のころから受験地獄を歩きつづけて形式上の正しい答えを得ることだけを身につけてしまった精神の典型を目撃しているような悲しい気持になるのである。
とくに社会部の記者など、一件落着を使命として、ひたすら落着だけを求めて動き回る。 路上観察というのはまるで役立たずのものだから、そこでは正しい答えの空しさがよけいに際立ってしまうのである。
【4】

「正しい答え」を得て安心しようとする態度は、受験勉強の副作用なのかも知れませんね。たとえば、メディアに「正しい答え」(らしきもの)があふれかえっているのは、そんな考えをもった記者が書いているからか?
たぶん「そういうものが売れる(はずだ)」という経済のネットワークにメディアもまた包まれているからですね。笑

そんな「正しい答え」だけが議論される席での「スライド・バカ受け →討論無視」というお決まりの反応に唖然とするゲンペーさん。

昨年の春、日仏会館で都市を考える日仏のシンポジュウムがあった。…私はその時間に路上観察物件をスライド上映しながら話をした。通訳のフランス語がイヤホーンで流れるのだが、場内は爆笑のバカ受けで、フランス人の笑い声もしっかりと混じっていた。

さて一通り終ってから討論に入るのだけど、この路上観察に関する論議は皆無だった。結果的には無視である。…スライドのときにはあれほど感じ入って笑ったものが、論議のときにまるでその一カケラも出てこないのを見るとき、その論議とはいったいなんだろうかと思うのである。【4】

とはいえ、ことさらに主張しないのがゲンペーさんらしいところ。この路上観察学はさらに発展を続け、大学にはゼミが生まれ、文学と結びついて「超私小説」※という概念を生み出します。
もちろん冗談半分ですけど。(※「超私小説」についてはvol.04へ)

東大にとうとう路上観察学のゼミが出来た。単位に計上されるそうである。こうなるほかはなかったのである。藤森照信助教授のもとに、一日目は六十人も集まったというから、やはりこうなるほかはなかったとはいえ驚く。いずれ路上観察学を専攻する文部大臣、なんて生れるかも知れない。

いっぽうそのころ、私は文学講座で路上観察学を講義していた。私は文学の方の尾辻克彦と同一人物であるところから、岩波書店の市民セミナーで超私小説とういものを論じたのである。つまり考現学※→トマソン→路上観察学というベクトルを文学にくっつけたら、私小説というものが自然観察になってしまって超私小説という概念が生れてしまった。【6】

※【考現学】大正時代に今和次郎が提唱。考古学に対し、現在の風俗や生活を観察・記録する学問。

東大にゼミ。冗談半分とはいえ、凄いですね。いや、冗談半分だからこそ、凄いのか。
でも
今では、学問の世界も経済のネットワークに包囲され、「金」にならない=役に立たない人文学系の学部がどんどん整理されていると聞きます。実に残念です。

(03)へつづく
<引用したTEXT>
【1】『東京ミキサー計画』 ちくま文庫 (解説:南伸坊)
【2】『優柔不断読本』 文春文庫 (筆名:尾辻克彦)
【3】『いまやアクションあるのみ!』 筑摩書房
【4】『芸術原論』 岩波書店
【5】『常識論』 大和書房
【6】『超芸術トマソン』 ちくま文庫
【7】『千利休 無言の前衛』 岩波新書
【8】『科学と抒情』 青土社
【9】『超私小説の冒険』 岩波書店
【10】『仙人の桜、俗人の桜』 日本交通公社
【11】『常識論』 大和書房
【12】『ぱくぱく事典』 中央公論社(文:尾辻克彦)
【13】『ステレオ日記 二つ目の哲学』 大和書房
【14】『少年とオブジェ』 ちくま文庫
【15】 『純文学の素』 ちくま文庫 (解説:久住昌之)