人はどんなふうに大人になっていくのでしょうか。
その過程を須賀敦子(すがあつこ)の残したテキストに探ってみます。
まずは、14歳のある夜のこんな経験から。
その日の夜、私は、二階の洋間と呼ばれていた部屋の窓から半分からだを乗り出すようにして外を見ていた。…小さな丸いテーブルのうえのコップにさしたミモザの、むっとするような匂いが、明かりを消した部屋の空気を濃くしていた。春だな。それが、最初に私のあたまにうかんだことばだった。そして、そんなことに気づいた自分に私はびっくりしていた。皮膚が受けとめたミモザの匂いや空気の暖かさから、自分は春ということばを探りあてた。こういうことは、これまでになかった。もしかしたら、こんなふうにしておとなになっていくのかもしれない。論理がとおっているのかどうか、そこまでは考えないままに、私はそのあたらしい考えをひとりこころに漂わせて愉しんだ。【8】
自分が受けとめた感覚とあたまにうかんだことば、その重なりをじっと見つめている女の子。これは、夢見る子どもの「ひとりごと」とはあきらかに違いますし、わざわざ誰かに伝えるような話でもありません。自分のことばを見つけたよろこび。その初々しい瞬間が真空パックされているような文章です。
このとき須賀さんは、「私」という現象の不思議 自分の内と外との境界で生まれる「ことば」が、これからの私をつくっていくことを予感しています。
だが、その直後にあたまをよぎったもうひとつの考えは、もっと衝撃的だった。それは、「きっと、この夜のことをいつまでも思いだすだろう」というもので、まったく予期しないまま、いきなり私のなかに一連のことばとして生まれ、洋間の暗い空気のなかを生命のあるもののように駆け抜けた。「この夜」といっても、その日の昼間がごく平凡であったように、なにもとくべつのことがあったわけではない。それでも、ミモザの匂いを背に洋間の窓から首をつき出して「夜」を見ていた自分が、これらのことばに行きあたった瞬間、たえず泡だつように騒々しい日常の自分からすこし離れたところにいるという意識につながって、そのことが私をこのうえなく幸福にした。たしかに自分はふたりいる。そう思った。見ている自分と、それを思い出す自分と。【8】
“自分”を認知するもうひとりの“自分”がいる。こどもからおとなへと成長していく思春期に、自意識にめざめるなんていいますね。“自分とは何者か?”といった自己同一性(アイデンティティ)の獲得に悩まされる時期でもあります。
かつての思春期の少女は、どのように大人の階段を上っていったのか。
二階の部屋の窓から半分からだを乗り出すようにして「夜」を見ていた須賀敦子は。
たましいが身体から抜け出るように、それまでの世界から「自分」がはみ出たように感じる。あるいは、思春期ならではの反抗心と依存心との葛藤をかかえ、別の世界へ逃げ出したくなる。
親からは“脱線”と呼ばれるかもしれませんが、そんな孤独で不安なたましいを導いてくれたのは、言葉です。須賀さんの思春期にも、こころの地図となり、どちらへ進めばいいのか示してくれる「他者の言葉」との出会いがありました。
当時、中学生になったばかりの私はその文章に心をうばわれ、あまり何度もそれについて考えたので、著者があの短い期間に日本で経験したことどもを、まるで自分が生きてしまったようにさえ思える。私の精神が歩いてきた道を辿りなおすことが可能なら、あのエッセイはその大切な部分に、上等な素材でつくった芯のようにしっかり残っているはずだ。…それを読むまえと読んだあとでは、私のなかでなにかが化学変化をおこしてしまうような、ひとつの「重大事件」にひとしいほどの、めざましい文章だった。【8】
須賀さんが、若いころに読んだアン・モロウ・リンドバーグのまぼろしのエッセイ。そのなかには、夫とともにアメリカから東洋へのルートを探る飛行の途中で、千島列島に不時着し、日本人に助けられたときの体験が書かれてあったそうです。
◆日本語の“さようなら”の美しさ
横浜から出発するというとき、アン・リンドバーグは横浜の埠頭をぎっしり埋める見送りの人たちが口々に甲高く叫ぶ、さようなら、という言葉の意味を知って、あたらしい感動につつまれる。
「さようなら、とこの国の人々が別れにさいして口にのぼせる言葉は、もともと「そうならねばならぬのなら」という意味だとそのとき私は教えられた。「そうならねばならぬのなら」。なんと美しいあきらめの表現だろう。西洋の伝統のなかでは、多かれ少なかれ、神が別れの周辺にいて人々をまもっている。英語のグッドバイは、神がなんじとともにあれ、だろうし、フランス語のアディユも、神のみもとでの再会を期している。それなのに、この国の人々は、別れにのぞんで、そうならねばならぬのなら、とあきらめの言葉を口にするのだ」【8】
愛する者との別れ。慣れ親しんだ世界との別れ...人生で避けることのできない別離の経験は、そのたびごとに私たちが抱えている孤独を浮き彫りにします。そんな場面で日本人が口にする別れの言葉(当の日本人さえ忘れ去ってしまった「さようなら」の意味)に驚くアン・リンドバーグ。その文章を読んだ須賀は、「自国の言葉を外から見るというはじめての経験に誘いこんでくれた」と語り、「ともすると日本から逃げ去ろうとする私に、アンは、あなたの国には「さようなら」がある、と思ってもみなかった勇気のようなものを与えてくれた」と告白しています。
他者の言葉や文章が、ただの知識としてではなく、「私」を変容させるモノ、自分の生き方を左右するほどの力を持つことがあります。須賀さんにとって、アン・リンドバーグはそんな特別な書き手の一人だったようで、アンのもう一つのエッセイ『海からの贈物』についてはこう記しています。
『海からの贈物』というその本は、現在でも文庫本で手軽に読むことができるから、私の記憶の中のほとんどまぼろしのようなエッセイの話よりは、ずっと現実味がある。手にとったとき、吉田健一訳と知って、私はちょっと意外な気がしたが、尊敬する書き手があとがきでアンの著作を賞賛していて、私はうれしかった。【8】
尊敬できる他者の言葉に導かれるという幸福な体験は、人が成長する上で欠かせません。それはなにも偉大な作家の文章だからとか、エライ先生の言葉だからといった権威主義や教養主義からではなく、たとえば親友からもらった手紙を読みかえすときのように、誠実さと親愛の情がこもった言葉はいつでも人を勇気づけてくれるからです。
須賀さんの尊敬する書き手である吉田健一は、訳者あとがきで『海からの贈物』をこう紹介しています。
ここで語っているのは経歴などというものを一切取捨てた一人の女であり、また一家の主婦であって、語られているものは、その女が自分自身を相手に続けた人生に関する対話である。一人のアメリカの女と言い直す必要さえなくて、ここでは、現代に生きている人間ならば誰でもが直面しなければならない幾つかの重要な問題が、著者の生活に即して、というのは、世界のどこに行っても今日では大して変りがない日常生活をしている一人の人間の立場から、自分自身に語り掛ける形で扱われている。(吉田健一)【10】
ここで語られていることは、須賀敦子の作品にも言えるかも知れません。ある一人の女性が自分自身の「記憶」を手がかりに続けた人生に関する対話。須賀さんの文章にも、現代に生きている人間が直面する幾つかの重要な問題が扱われています。
少し脱線して、アン・リンドバーグの『海からの贈物』から、大人になるためのポイントを幾つか引用してみます。
女は自分で大人にならなければならない。これが、
この一人立ちできるようになるということが、大人になるということの本質なのである。女は他のものに頼ったり、自分の力を験(ため)すのに他のものと競争しなければならないと思ったりするのを止めなけらばならない。【10】
「女は」とありますが、男だってそうです。他のものに依存したり、人とくらべて自分を卑下したり、弁解したり、相手を責めたりしているうちに、大切な時間が失われてゆく。
ま、わかっているけど…といったところでしょうか。
今日では、私たちは私たちの孤独の世界に自分の夢を咲かせる代りに、そこを絶え間ない音楽やお喋りで埋めて、そして我々はそれを聞いてさえもいない。それはただそこにあって、空間を満たしているだけなのである。この騒音が止んでも、それに代って聞こえてくる内的な音楽というものがなくて、私たちは今日、一人でいることをもう一度初めから覚え直さなければならないのである。【10】
まるで今日のメディア環境のことを言ってるように聞こえますが、この『海からの贈物』が書かれたのは1955年のこと(日本ではまだテレビも普及していない頃)です。いまでは、孤独な空間を満たしてくれるコンテンツがあふれてますから、ますます一人でいることを覚え直すにはきびしい環境です。
我々が一人でいる時というのは、我々の一生のうちで極めて重要な役割を果たすものなのである。或る種の力は、我々が一人でいる時だけにしか湧いてこないものであって、芸術家は創造するために、文筆家は考えを練るために、音楽家は作曲するために、そして聖者は祈るために一人にならなければならない。しかし女にとっては、自分というものの本質を再び見いだすために一人になる必要があるので、その時に見いだした自分というものが、女のいろいろな複雑な人間的な関係の、なくてはならない中心になるのである。【10】
これも女性に限った話ではなく。「自立」というのは、仕事などの経済的な面と切り離せませんし、恋愛などの感情の問題ともつながっています。どんな大人だって、いろいろ間違ったり、悩んだり、危機に見舞われることがあります。大人になるためには(大人になったあとも)自分というものの本質を見出すために、自分と対話する時間が必要だという話ですね。
では引き続き、コネティカット州在住の主婦アン・リンドバーグさん(49歳)の「愛」についてのご意見です。
「自分だけが愛されることを望むのは構わないのですよ」とその哲学者は言った。「二人のものが愛し合うというのが愛の本質で、その中に他のものが入って来る余地はないのですから。ただ、それが間違っているのは時間的な立場から見た場合で、いつまでも自分だけが愛されることを望んではならないのです」というのは、我々は「二つとないもの」、
二つとない恋愛や、相手や、母親や、安定に執着するのみならず、その「二つとないもの」が恒久的で、いつもそこにあることを望むのである。つまり、自分だけが愛されることの継続を望むことが、私には人間の「持って生まれた迷い」に思える。なぜなら、或る友達が私と同じような話をしていた時に言った通り、「二つとないものなどはなくて、二つとない瞬間があるだけ」なのである。【10】
さすが!5人の子の母親。夢見る少女の恋愛論とは一味違います。「いつまでも自分だけが愛されることを望んではならない」という苦い現実。“ロマンチック・ラブ・イデオロギー”を信じる多くの女性からは反感を買うかもしれませんが(笑)。
自分の感情をゆりうごかす恋愛も、思春期の大きな関心事です。恋愛経験が人を成長させる場合もありますが、恋愛や結婚にまつわる幻想から逃れられない人もいます。恋愛や安定への執着が「持って生まれた迷い」だなんて、なかなか言い切れるものではありません。もっといきましょう。
我々の感情や付き合いの「真実の生活」も、やはり断続的なものなのである。我々が誰かを愛していても、その人間を同じ具合に、いつも愛している訳ではない。そんなことはできなくて、それができる振りをするのは嘘である。しかしそれにも拘らず、我々はそういうふうに愛されていることを要求していて、我々は生活や、愛情や、人間的な関係の満ち引きに対してそれほど自信がないのである。【10】
いったいどれだけの人が、「それができる振り」をし、させられていることか(笑)。
嘘だとわかっていても、にっこり笑っていられるのが大人の余裕かも知れませんが。
ともかくアン・リンドバーグは、若き日の須賀敦子にとって、女性らしい知性を代表するモデルとなったようです。早熟で背伸びしたい年ごろの女の子にとっては、さぞかしカッコよく見えたことでしょう。
半世紀まえにひとりの女の子が夢中になったアン・モロウ・リンドバーグという作家の、ものごとの本質をきっちりと捉えて、それ以上にもそれ以下にも書かないという信念は、この引用を通して読者に伝わるであろう。何冊かの本をとおして、アンは、女が、感情の面だけによりかかるのではなく、女らしい知性の世界を開拓することができることを、しかも重かったり大きすぎたりする言葉を使わないで書けることを私に教えてくれた。徒党を組まない思考への意志が、どのページにもひたひたとみなぎっている。【8】
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