【Interview】2008年4月18日
この絵が今わからんでも、
大人になって
もう一回見てみなさい。
安永 祐一 先生

◆「美術」を教えることの難しさ

―――美術という教科ならではの
難しさがあると思うんですけど…。


美術なんちゅうのは、作品を作らんことには
授業にならんやないですか。
枝北の頃はそうでもなかったですけど、
だんだん僕がやめる間際の頃になると、
そういう意欲のない子がいっぱいおったからですね。

―――他の教科のような「正解」がないから、
美術はわからんとか、嫌いという生徒もいますね。


そういう子には
なにか興味を持たせて作らせるという風に、
まず持っていかないかんというのがね。
そういう面で苦労するというのがあったですね。
美術なんかは別に教科書の内容を
覚えさせるわけやないじゃないですか。

―――暗記させたり、○か×かではないですもんね。

だから、他の教科の先生から
「美術は受験のために成績を上げないかんとか、
そういうのがないからいいね」とか言われよったですけど、
「美術に興味がない、意欲のない子に
やる気を起こさせるのは難しいよ」とよく言いよったですね。

―――それはたいへんですね。
今あらためて聞くとよくわかります。


とくに美術は受験教科でもないからですね。
だから、どうでもいいやというような、
美術やるなら他の教科を勉強しとけ、みたいな
雰囲気があるやないですか。

―――今の中学生も、美術や音楽を軽くみている子が
多いですね。そういうのを聞くと、さみしいですね。


僕が就職したころは、高校受験の教科のなかに
美術もあったんですけどね。全教科あったですもんね。

―――えー、そうだったんですか。

だから、補習のようなこともしよったです。
教員になって最初の卒業生くらいの頃までは、
高校の入試科目に美術があったですね。
その後、枝北に行ったころにはもうなくなりました。

―――美術は点数をつけるのも難しいでしょうね

通知表は5点法やけど、そんなに差をつけられんです。
当時は相対評価で「5」が学年の何%とかね、
だいたい決まっとるんですよ。
校長のなかには「1点の生徒がおらん」とか
細かく言うひともおったですよね。

でも、それを言われたら困るわけですよ。
「1を7%入れなさい」なんて言われても。
そういう教科じゃないからと、
かなり議論をしてわかってもらいましたけど。
そういう点ではすごく悩む教科ですよね。

―――難しいでしょうね、子供の作品を評価するのは。

一応、評価せないかんやないですか、
作品を見て「この子は何点」とかつけるでしょ。
そしてまた何日かして同じ作品を見たときに、
評点が変わったらいかんのですよね。

―――なるほど。評価の軸がですね。

夏休みなんかあってちょっと間があくと、
2学期が始まってもう一度作品を見直したですもんね。
ちょっと間をおいたら、子供の作品はわからんというか、
子供の作品を見るには感覚を鋭敏にしとかんといかんから。

ただ単にパっと見て点をつけるわけにはいかんというのは、
経験でつかんだことですけどね。

―――難しそうですね。

教師の研修会でいちばん問題になるのは評価ですよ、やっぱり。
美術部会といって、八幡の美術の先生たちが
みんな集まってやってましたけど。生徒の作品を持ってきて
「あんたこれどういう風に見るね」とやりあって、
「俺はこれはいいと思う」とか論議しながら、
そういう見方があるのかとか、我々の研修会はそれが主ですよね。

あと、どういうものを子供に作らせるか、
こんな教材を使いよるとか紹介したりとか。

―――教える側の先生も、つねに勉強なんですね。

先生の教え方で、作品の出来もぜんぜん違うんですよ。
小学校の先生なんかで、生徒にものすごくいい作品を
作らせる人がおるですよね。
やっぱり凄いなと思って、そんな先生には聞いたりしてね。
ただなんちゅうか、美術というのは一人よがりというか、
好みの問題もありますよね。

―――好みですか?

たとえば香月中のときは、美術の先生が二人おって、
版画をさせるのに一人の先生は多色刷りで、僕は単色が好きやった。
生徒から「先生なぜ違うの?」と聞かれても、
「これはもう、好みの違いよ」という感じで(笑)。

―――それこそ、趣味の問題ですね。

若い頃は、浮世絵なんかに受け継がれた
伝統的な技法を教えたいという思いがあるもんやから、
半紙のようなのに版下絵を描かせて貼らせたりしよったけど、
それよりも直接板に下絵を描かせたほうが、
むしろ面白い作品ができるとかあるんですよね。
そういうジレンマがあったり。

―――いろんなやり方があるんですね。今の先生は
いろんな情報をネットで調べられるからいいですよね。


資料集めは楽かも知らんですね。我々のころは
インターネットもないし、鑑賞するといっても
スライドくらいしかなかったですからね。

―――美術の鑑賞もまた、難しい授業でしょう?

なにしろ中学生の頃は、まだわからんやないですか。

たとえば僕は、ピカソの「ゲルニカ」を模写させよったです。
反戦的なものもあるし、ピカソを理解してほしいという
気持ちもあったから、「この絵が今わからんでも、
大人になったらわかるから描きなさい」とか、
そういうことなんですよね、結局。

「ゲルニカ」パブロ・ピカソ 1937
―――教科書で見た名画とか、大人になって
「あ、これは…」というのがありますもんね。


だから、ああいう絵は、
やっぱり教科書に載せてほしいなぁと
僕たちもよく言うんですよね。
生徒にも「今はわからんかもしれんけど、
大人になってもう一回見てみなさい」とかね、
そういう言い方しかできんけど。

枝北のころまで、美術鑑賞の本を買ってさせよったですね。
歴史的な鑑賞がなくなって、それじゃあいかんと思って、
だいぶ続けたですもんね。

―――そういえば、安永先生の美術の時間に、
法隆寺の五重塔の上についている相輪(そうりん)の話、
水煙とか、鎌があるなんて聞いたのを今も思い出します。
ほんと、何が残るかわからないですね(笑)。

◆絵以外の、いろいろな作品に挑戦

―――安永先生の美術の時間には、土笛を作ったり、
絵を描く以外にもいろいろやった記憶がありますが
相輪

いつも、なんかいい教材がないやろかとかね。
あの笛は、ちょうど僕が笛を初めて試してた頃やったからね、
音の鳴るものを作るというたら、
普通は焼くかなんかしないといかんけど、
あれは粘土のときから音が出る笛でね。

―――なかなか音が出なくて苦労しました。(笑)

まず僕自身が覚えて教えないかんから、
いろんなところから資料をそろえたですよね。
教科書会社や北海道の先生から
資料を送ってもらったこともあります。

―――陶芸もやりました。

僕が枝北におるときに、陶芸室を作ったですよね。
技術室の向こう側に。
あれは僕が枝北に行って作ってもらったんです。
それまでは、前の美術の先生が買った窯だけがあって、
小屋がなかったんですよね。
職員室にロクロを持ち込んでやりよったら、
他の先生も面白がって一緒に作ったりとか(笑)。

―――焼くのにも技術がいるんでしょう?

焼くときは、前の日から作品を窯に入れとってですね、
学校来たらすぐに火をつけて、授業の合間にときどき
様子を見たりして、5時ぐらいまで焼きよったですね。

せっかく生徒がつくった作品やから、
できるだけ割れんように焼いてやらないかんやないですか、
急に温度を上げたりすると割れるからね、
じっくり焼いてやらんといかんですね。
それはもう、こっちが体で覚えなしょうがないですよ。

―――美術の先生も、なかなかたいへんですね。

そういう技術を自分が一つずつ覚えんといかんからね。
ま、結局自分の好きなことやから、いいですけど。
教える方も、いろいろやらんと面白くないですもんね。

(了)