(01) 昭和から令和へと続く、違和。

日本の教育に歴然たる暗雲が垂れ込めたのは、「いじめ問題」がクローズアップされた1980年代である。しかしそれは、“教育の問題”ではない。日本の社会が子供達に明確なる未来を教えられなくなっていたという、日本の退廃と重ねてしかるべきものである。…

“豊かな日本”では、なにも考えなくて生きて行けるはずだったのだ。その日本が傾いた時、“傾く現在”の上にいる大人達には、もう子供や若者達への“未来”が語れなくなっている。…

日本の社会を動かしている人間達は、自分達のなすべきことで手一杯になっていた。そこに“未来”への展望はない。いつの間にかゴールを欠いて、しかし少年達を乗せたベルトコンベアは動き続けていた。動いていればこそ、そのベルトコンベアは“破綻”を示さない。しかし、そのベルトコンベアの先には、なにもないのだ。それが、20世紀最年末の日本である。

(橋本治 『二十世紀』 毎日新聞社刊 2001年)

作家の橋本治が20世紀を1年ずつ振り返って、
101本のコラムに仕立てた著作の中から
「2000年」のページの一部を抜き書きしてみました。

1900年から2000年までは、元号でいうと
明治33年から大正、昭和を経て平成12年までです。

令和の時代を生きる若者が前世紀の話を聞かされても
「ふーん」と思うだけかもしれません。
もっとも「“令和”の意味は、“美しい調和”です」
なんて聞かされても「ふーん」でしょうけど。


著者の橋本さんは、あとがきでこんなことを書いています。

この本は、私がこれまでに書いた本の中で、最も個人的な本です。どう個人的かと言えば、子供の頃の私が、「自分の生きている社会はどっかがへんだ」と思っていて、「どんないきさつで“こんな時代”になったのだろう」ということを、最も強く知りたがっていたからです。
(橋本治 『二十世紀』 毎日新聞社刊 2001年)

どんな時代であっても、生きづらさを感じ、
自分の生きている社会は、どっかがへんだ…」と
漠然と感じている人は、少なからずいるはずです。

社会というより、もっと身近なところで
学校や家庭と言い換えた方がピンとくるかもしれません。
「私が通っている(いた)学校は、どっかへん」
「私の家庭(または親)は、どっかへん」とか。

フツーとか、一般的といった幻想を捨て去ると、
(学校、会社、家族、他者を含む)社会というものは
多かれ少なかれ「ヘン」なものです。

そんな “違和感”が、ものを考えるきっかけになるのですが、
日本の社会は、「おまえはヘン」とか「列を乱すな!」とか
「それがルールだから」とか「バカはだまってろ」とか、
「みんな従っているから」とか「美しく調和せよ!」とか
違和感を押しつぶそうとする“同調圧力”が強いのが特徴です。

ただ同調ばかりだと、何も考えられなくなって、
ベルトコンベアで運ばれていくしかないわけです。
ただスマホで暇をつぶすだけの、なにもない未来に。

たとえば、小学校→中学校→高校→大学といった
教育制度で選別され、社会に運ばれていくプロセスは
ベルトコンベア以外にも、敷かれたレールだとか、
突き出される心太(ところてん)みたいだとか、
さまざまな比喩で語られてきました。

そんな学校教育の現場では、不登校の増加とか、
ブラック校則とか、学級崩壊とか、教師の長時間労働とか、
「指導・管理・支配」をめぐるさまざまな問題が噴出し、
多くの児童・生徒や教師たちがストレスを感じています。

「そういうものだ」とか「しょうがない」とか
考えることをあきらめてしまうのも教育の効果ですが、
どんな時代であれ社会であれ、なにかへんだと違和を感じれば、
どんないきさつで“こんな時代”になったのだろう」と
自分のナットクのいくように学んでいくしかありません。