まずは、前回引用した鎌田慧(さとし)のルポの続きから。
『教育工場の子どもたち』1983年の「あとがき」で
鎌田さんは、書名についてこう説明しています。
競争が前面に押しだされるのにともなって、学校での不自由さについて無感覚になってきたのは、産業社会での価値観の反映ともいえる。…この本の題名を「教育工場」としたのは、産業社会に似せて「経営」されている学校を見直してみたかったからである。
(『教育工場の子どもたち』鎌田慧)
産業社会の価値観を、一言でいえば“生産性の向上”です。
市場のニーズに合った製品を効率的につくるということですね。
鎌田さんによれば、当時の父母や教師たちの
最大の関心事(ニーズ)は「非行防止と成績向上」でした。
今でもそれは、変わっていないのかもしれません。
産業社会に似せた学校経営とは、たとえば次のようなものです。
1980年代、愛知県岡崎市の教育委員会が作成した
小学校教師向けの指導マニュアルの序文には、
当時の教育長によるこんな言葉が記されていました。
「自動車は、ラインを通ることによって、計画通りに鋲が打ち込まれ、溶接されて完成された車になる。教師も一時間一時間の授業によって、確実に子どもたちをつくりあげていかなければならない。どの先生が教えても子どもたちが間違いなく力がつく。そうならなくては教師は専門職だと言えたものではない」
(『教育工場の子どもたち』鎌田慧)
あるいは、千葉県教育委員会の指導課長が書いた
『教育実践の手びき』には、こんな一節がありました。
「学校は一つの組織体であり、全職員がある程度の共通理解がなければ、円滑な運営ができるものではない。製造工場の組織工程にミスがあれば、欠陥のある製品が生まれるように、学校においても、校内の不調和は、必ず児童生徒に欠陥として現れる。従って、理論の対立が人間の対立にならないように、お互いに謙虚さを失ってはならない」
(『教育工場の子どもたち』鎌田慧)
どちらも、現場の教員に向けて書かれた文書です。
つまり1980年代には “教育工場”において子どもたちが、
教師からきびしく管理されたように、その教師たちもまた
文部省(当時)や地方の教育委員会(地教委)から管理されました。
なぜ教員は、文科省や地教委の管理に従順になったのか。
行政と対立すると昇進が危うくなると恐れたからか。
産業社会の組織で、社員が会社や上司の命令に
逆らえないのと同じような意識だったのでしょうか。
少し視点を変えて、教員の世代交代について考えてみます。
戦時下の“軍国教育”から戦後の“民主教育”へと
世の中の価値観がひっくり返る体験をした世代がいます。
太平洋戦争のさなか、学校の先生たちは黒板に
“米英撃滅” や“神州不滅”などと書いて、お国のために
教え子を戦地へと送りだす重要な役割を果たしましたが
1945年8月15日に戦争が終わって二学期になると、
手のひらを返して“民主主義”と書いたという話があります。
戦時中の教育を知る世代は、国の方針で“教育”が
支配・統制される恐さを身をもって実感していたはずで、
そんな教育行政に異議を申し立てた組合派の教員たちが
退職を迎えたのが、ちょうど1980年代にあたります。
その一方で、地教委の採用試験に合格する教師の多くは
きびしい受験競争をくぐりぬけた元優等生たちであり、
彼らは「非行防止と成績向上」を目標とする教育工場で
生徒を管理し、また自らも管理される工員となっていく…。
もともと制度に従順な、マジメな人間が教員となって、
管理職へと昇進していくだけの話かもしれません。
「教育工場」でも、やはり、労働者たる教師には発言の自由はなく、「自主管理」された教師たちは、教育の高能率生産に疑いを抱くことなく、子どもの品質管理に血眼(ちまなこ)になっているのである。「不良品」となったり、あるいは不良品を発生させた場合、彼の「出世」は、そこで終りとなる。
(『教育工場の子どもたち』鎌田慧)
教員たちは、よかれと思って管理しているのですが、
生徒も教員も、生きた人間ですから無理も生じます。
校内暴力や学級崩壊、いじめなどの問題が発生するたび
教育現場には、さらなる徹底した管理が求められます。
1980年代初めの学校現場をルポした鎌田さんは、
約30年後の2007年に文庫化された序文のなかで
教育現場の変化をこう記しています。
…いまや管理と統制は、ごく当り前の、空気のようにとらえどころのない、時代の雰囲気になりはじめた。
“管理と統制”があたりまえのシステムとなり、
生徒も親も教員も教育委員会も、産業社会と同じように
「効率化」の価値観にがんじがらめになりました。
子どもたちにたいする管理が徹底されるにつれて、生徒の管理をおこなう教員自身が、校長、教頭(副校長)に管理され、校長、教頭たちがこんどは教育委員会の官僚に支配されるようになる。この串刺しダンゴのような管理の重層構造は、政府の狙いもあって、いまはさらにひろく、体制的なものになった。
(『教育工場の子どもたち』鎌田慧)
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