(05) 学校は好きですか? 不登校問題

2019年5月30日のNHKスペシャル で
中学生の“不登校問題”を特集していました。

「シリーズ 子どもの声なき声 “不登校”44万人の衝撃」

44万人の衝撃!と言われてもピンときませんが、
なんと、全国の中学生の約8人に1人だそうです。

ネットで調べてみると、NHKの調査結果をもとにした
4人に1人が“隠れ不登校”なんて記事もありました。
(「不登校新聞」507号 2019/6/1)

“隠れ不登校”とは、不登校傾向のある生徒で
NHKの番組では次のように説明していました。

◎1週間以上の連続欠席(年間は30日未満)
◎保健室などには行くが教室には行けない
◎遅刻や早退が多い
◎学校に通いたくない つらいと毎日感じている

ざっくり言えば「学校がキライ」な生徒ですね。

そんなわけで、今回は不登校問題を切り口に、
いまの教育現場を見つめてみたいと思います。

まず、最新の不登校のデータについて確認しておきます。

文部科学省が発表した2017(平成29)年度の調査では
不登校※の中学生は全国で約10万9千人だそうです。
(※年間30日以上欠席。病気・経済的な理由を除く)

小・中学校の学年ごとの不登校の数はこんな感じです。

文科省「平成29年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について」
 (平成30年10月)
小・中学校の不登校の児童生徒は合わせて14万4031人。
統計史上、子どもの数が過去最低となるなかで、
不登校の数は過去最多を更新して増加中!


中学校の全生徒数に占める不登校生徒の割合は3.25%
30人クラスで1人は不登校という計算になります。
文科省「平成29年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について」
(平成30年10月)
長期的な推移では、1991年から3倍以上に伸びています。

不登校は、いつ頃から増えはじめたのか?
このグラフ以前はどうなっているのか気になって
文科省の「学校基本調査」を調べてみました。


現在の不登校の定義は「年間30日以上の欠席」ですが、
1991年よりも前の調査は「年間50日以上の長期欠席」でした。
欠席の理由として「病気」「経済的事情」という分類の他に、
学校嫌い」という項目を加えて調査を始めたのは、
1966(昭和41)年度からのようです。


調査開始以降、「学校嫌い」(=不登校)の中学生の
割合は0.2%前後で推移していましたが、
それが増え始めたのは1970年代の後半からでした。


(02)で紹介した中学生の校内暴力の推移グラフと並べてみると、
まるで流行の波が入れ替わるように、不登校の割合が増加していることが
よく わかります。
1980年代はじめにピークとなった校内暴力が抑え込まれて、
学校の管理や統制が進んだことと関係があるのでしょうか。


いじめや学級崩壊など、ストレスフルな空気を敏感に感じて、
学校生活になじめない生徒、学校教育を拒否する生徒が
増えてきたという一面があるのかもしれません。


一口に「不登校」といっても、いろんなタイプがあるようです。

◎頭痛や腹痛、微熱などの身体症状が出る場合
◎身体症状はなく、家で元気に過ごしている場合
◎摂食障害、自傷行為、家庭内暴力などをともなう場合
◎いじめやからかい、教師や友人関係に原因がある場合
◎なぜ学校に行けないのか、自分でも理由がわからない場合
◎親とは良好な関係を保ち、親も登校を無理強いしない場合
◎自室に引きこもり、家族とも顔を合わせようとしない場合
◎フリースクールなどの民間の教育施設に通っている場合
etc.


とくに子どもの性格や親の育て方に問題があるわけではなく、
フツーの子どもが突然、不登校になるという話もよく聞きます。


不登校になった本人はつらいし、親も心配しますが、
もしかしたら“学校”とか “教育”というものについて
これまで“当たり前”と思っていたことを考え直してみる
いい機会になるかも知れません。


さきほど紹介したNHKの番組によると、
「学校に行きたくない」と思うようになった原因について
次のような回答が報告されていました。(複数回答)

クラス全体の空気がいや…44%
学校の勉強についての悩み…36%
いじめを除く友人関係…29%
先生との関係…23%
学校のきまりや校則…21%
いじめを受けた…21%


約半数の中学生が2つ以上の理由をあげ、
そのうち35%は3つ以上の理由をあげたそうです。
つまり、何かはっきりとした原因を取り除けば
不登校は解決するといったものではなさそうです。


要するに、数々の原因を生み出している
学校という制度(システム)そのものへの拒絶反応が
“不登校”として現れているような気がします。


また番組では、不登校の原因について教師らが回答した
文科省の調査と、子ども自身が回答したNHKの調査では
結果が大きくかけはなれていることも紹介していました。
学校の先生は、責任をできるだけ負いたくないので
「教師との関係」「いじめ」「部活動」「決まりや校則」といった
教師や学校側に問題があるような回答は避けるでしょう。
逆に「家庭」が原因とする回答のポイントは高くなっています。


それにしても、最大で50倍の開きとは、ひどいですね。
学校側と生徒たちの意識には、これほどズレがあるわけです。
子どもたちが見えていない、ということがよくわかる調査ですが、
それは、教師の仕事が忙しすぎることも関係しています。


不登校の原因は、学校にあるのか?
あるいは家庭環境(親)に問題があるのか?と争う前に、
そもそも「不登校は、悪いことか?」と
考えてみるのも無駄ではないかもしれません。


不登校は「よくないこと」、不登校になるのは「ダメな子」と
つい考えてしまうのは、「学校に通うのは当然だ」という
明治以来の常識に私たちが縛られているからです。


実際に自分の子どもが不登校になった経験をきっかけに、
小学校の教師を辞めてフリースクールをつくった奥地圭子さんは、
「不登校」になることが問題なのではなく、
「不登校は問題とみるまなざし」が問題なのだと語っています。


さまざまな個性と生きてきた歴史をもつそれぞれの子どもが、学校というすでに用意された制度の枠にぶつかり、その中に収まるわけにはいかなくなって学校と距離を取っているわけですが、それを学校に通って当たり前だという価値基準からみると問題行動に感じられてしまいます。しかし、個々の子どもの視点に立てば、不登校は、必要なこと、大切なことであり、自然なことであったといえます。
(『不登校という生き方』 奥地圭子 NHKブックス)
不登校は、学校という場を拒絶しているわけですから、
学校が絶対に正しいと信じる“学校教”の信者からは
信仰心のない者や異端者に見えるかもしれません。


“学校ファシズム”と呼びうるものがあるとすれば、
不登校の生徒は、亡命者や難民と呼べるかもしれません。
学校側はなんとか奪還し、管理しようとするでしょうが。


学校をよくすればいい、よくするから登校しなさい、という施策には、もう子どもも親もうんざりしているのです。そうそう学校は変われないし、学校に裏切られた気持ちの子はいっぱいいます。また、どんなに立派に、学校をよくしたところで、全ての子どもにいいようにするなどということはできません。子どもの方が多様です。…ですから、「学校は絶対いいところだから、信じなさい」とか「学校をがんばれないでどうするの」などと傲慢にならず、「学校が全てではない」「学校だけが育つ場ではない」と、学校を相対化して考えてほしいのです。
(『不登校という生き方』 奥地圭子 NHKブックス)


不登校の要因として、クラスの空気友人関係
あげていた回答がかなり多かったようでした。
学校生活は、勉強ができなくても、先生がキライでも、
仲よしの友だちがいれば、なんとかやり過ごせます。


しかし、中学生にもなって良好な友人関係を築くのに
学校の教師に、はたして何ができるでしょうか。
クラスの空気が悪いのは、担任のせいでしょうか。
生徒の友人関係まで管理し、干渉すべきでしょうか。


教師の力量がどうあれ、幼稚な生徒が増えたせいで
生徒同士の関係でストレスがたまり、弱い者や繊細な子が
クラスからはじき出されて不登校になるという面もあります。


一方、家庭で甘やかされてきた生徒ほど、規則ずくめの
学校生活がわずらわしくて、不登校になる可能性もあります。


学校制度?教師の指導力?友人関係?家庭でのしつけ?
教育問題のむずかしさは、いろんな要因がからんでいて、
責任の所在があいまいになってしまうというところです。


ただガマンして学校に通えばいいという話でもありません。
大切なのは、一人ひとりの学びの実質であり、成熟です。
少なくとも、学校だけが学びの場ではないことは確かです。


2017年の2月から、不登校の子どもたちを
国や自治体が支援することを初めて明記した
教育機会確保法」が施行されています。
(ほとんど知られていないようですが)


不登校の子どもは「学校を休んでもよい」と認められ、
民間のフリースクールや公立の教育支援センターなど、
学校以外の場での学習」の重要性も認められました。
また、教育の機会を確保するために国や自治体が
必要な財政支援を講じることも求められています。


ただ、当初法案に盛り込まれていた「学校以外の学習」も
義務教育として認めるという規定は、国会審議の中で削られ、
すべての子どもに自由な教育機会を保障する法律とは
なっておらず、不登校生徒への対処法でしかないという
課題も残されています。


また、行政がどこまで支援できるかという課題もあります。

「行政がフリースクールを支援すれば不登校が増える」
「まずは公立の学校に税金を入れて、体制改善を図るべき」
「財政援助するなら、フリースクールを管理・監督すべき」
といった意見が根強くあるからです。


“学校至上主義”の壁は分厚いようで、おとなの議論をよそに
子どもたちが学校からどんどん離脱している状況というのも、
なかなか皮肉なものではあります。