やはたクロニクル
[Yahata Chronicle]
八幡空襲と米軍のビラ(伝単)について
◆1945年8月1日ごろ(?)に八幡にまかれたビラ◆

「米軍機がまいた宣伝ビラ」として
『北九州市史』に掲載されているほか、
数多くの伝単をまとめた図録の一つである
『紙の戦争・伝単―謀略宣伝ビラは語る』(1990)
にも収められているので、
各地にまかれたビラのようです。

図録には「武士(大和魂)がアメリカの戦闘機と
闘うことの愚をイラストで現わしたもの
」と
説明があります。

八幡空襲の体験者の方(当時中学3年生)が、
昭和20年の8月1日頃に自宅の物干し台で
抜刀した武者と米軍機が描かれたビラを拾ったと
証言を残しています。

約12p×20cm
◆1945年8月5日に八幡にまかれたビラ◆

約14p×21p

このB-29の写真を使ったビラは、八幡だけでなく日本各地の都市に
7月28日、8月1日、8月5日の3回にわたって合計198万枚が撒布されました。
同じデザインで、空襲の候補となる12カ所の都市名を入れ替えた
3パターンのビラが作られました。

日本でまかれた日
ビラがまかれた都市
1945年7月28日
久留米、宇和島、津、函館、青森、大垣、
宇治山田、西宮、一宮、名古屋、郡山
(※東京の名前も記されていたがまかれなかった)
1945年8月1日
高岡、八王子、大津、長野、水戸、久留米、
郡山、福山、前橋、富山、舞鶴、西宮
1945年8月5日
佐賀、八幡、都城、今治、鳥取、岩国、
高山、浦和、福島、八戸、秋田、小樽
◆1945年8月10日に八幡にまかれたビラ◆
約11p×14p
8月6日の広島への原爆投下の後に作成されたこのビラは、
9日に大阪、長崎、福岡へ、
10日に東京、熊本、大牟田、八幡、横浜に投下されました。

当初は人口10万以上の都市に、9日間毎日360万枚投下される計画でしたが、
8月10日になって日本政府がポツダム宣言受諾の意向
を示したため、
撒布が中止され、2日間しかまかれませんでした。

"原爆投下予告ビラ"とも呼ばれるこのビラでは、
日本へのさらなる原爆使用について言及されていますが、
次はいつ、どの都市にといった具体的なことは書かれていません。

◆他にもさまざまなビラがまかれたと思われます

8月8日の八幡大空襲の前に米軍がまいたビラには、
「八幡市民に告ぐ」、「八幡のみなさん、逃げてください」、
「新型爆弾を北九州に落とす」などと書かれていたと
記憶にもとづいた証言が残されています。
しかし、八幡に限らず、ある特定の都市の住民に向けての
メッセージを記したビラは、管見ながら見当りませんでした。

◆米軍のビラを持っていると、最大で懲役3ヵ月。
当時は、米軍のビラを見つけたらすぐに警察に届けるよう義務づけられ、
その内容を口外することは流言飛語として禁じられていました。
内務省令では、敵のビラを所持している人は3カ月以下の懲役
または100円以下の罰金と定められていました。
(「敵ノ文書、図画等ノ届出等ニ関スル件」昭和20年内務省令第6号)
※昭和20年当時の100円は、平成27年現在の
1万4000円ほど。
<参考文献>
◎『北九州市史 近代・現代 行政社会』 北九州市史編さん委員会/編1987
◎『紙の戦争・伝単―謀略宣伝ビラは語る』 平和博物館を創る会/編 1990
◎『戦場に舞ったビラ 伝単で読み直す太平洋戦争』 一ノ瀬俊也/著2007
◎『宣伝謀略ビラで読む、日中・太平洋戦争 空を舞う紙の爆弾「伝単」図録』 一ノ瀬俊也/著2008
◎『対日宣伝ビラが語る太平洋戦争』 土屋礼子/著2011