【追悼。吉田 修先生】
平成24年6月16日、吉田修先生が逝去されました。
先生の在りし日を偲んで、思い出のアルバムと記事を再アップします。
【吉田 修先生】 1923(大正12)−2012(平成24)
昭和18年、福岡第二師範学校を卒業して半年後、
昭和19年3月に出征。戦後は、黒崎小学校教諭を
振り出しに、昭和57年に花尾中学校で退職するまで、

市内の中学校理科教諭を歴任し、
一貫して民主教育の普及に尽力する。

退職後は穴生地区の自治区会、社会福祉協議会や
公民館、児童館などさまざまな地域活動に携わる。
「北九州市に夜間中学をつくる会」の会長として奮闘し、
貧困や戦中戦後の混乱などで教育を受けられなかった
在日コリアンや日本人高齢者に
日本語の読み書きや理科を教え続ける。
修先生のインタビュー記事(2007年6月)は、こちら→
思い出のエピソード:修先生の「天文年鑑」→
枝光北中の同窓会にて
(2004年)
穴生まつりの会場にて
(2002年)
◆2009年12月9日、吉田修先生、NHKの番組「福祉ネットワーク」に登場!
【番組紹介の記事を、そのまま引用させてもらいます】 
 
「ハルモニたちの教室 −北九州・自主夜間中学の日々−」

夜7時、北九州市立穴生(あのう)小学校の図書室は、
「自主夜間中学」の教室になる。生徒は70代が中心。
その多くは、戦時中、父親や夫が徴用された在日韓国朝鮮人である。
ボランティアの手により、15年前週1回の授業として始まった試みで、
月曜から金曜まで、日本語の読み書きや算数、音楽の勉強などをしている。
その学びの場に、新たな動きが出てきた。
貧困や戦後の混乱などで教育を受けられなかった日本人、
フィリピン出身の若い女性など、
学びたい理由や、国籍も年齢も多様化してきたのである。
授業だけでなく、毎年恒例のイモ掘りなどの行事や旅行もあり、
学校に通い、仲間と会うこと自体が生きがいとなる人も多い。
番組では青春学校の日常を追い、歴史に翻弄され、
あるいは社会の狭間で、学ぶ機会を奪われた人たちが、
今ようやく学べる環境を手に入れ、
互いに支え合いながら暮らす日々を見つめる。