【Interview】2007年9月19日
生徒会の活動で
いちばん取り組んだのは、
男子の長髪の問題よ。
近藤 逸子 先生
【プロフィール】
1938(昭和13年)枝光生まれ。八幡高校→京都女子大を卒業後、1960(昭和35年)から1997(平成9年)まで市内各地の中学校を歴任(担当教科は社会科)。枝光中には5年間、枝光北中には1972(昭和47年)〜1981(昭和56年)3月までの10年間在任。生徒会の指導にもあたる。退職後の現在は、地元枝光で夫婦水入らず、悠々自適の日々。
◆家から歩いて10分の枝北中に赴任

―――逸子先生は、枝光生まれなんですね。
地元の北中に赴任したときは、いかがでした?


なにしろ家から10分もかからんで行けたからね。
下の子がまだ乳飲み子で、 上の子が小学校に
入ったばかりやったから、そっちを重視して来たのよ。
上の子が北中を卒業するのと、
私が出たのが一緒だったから、足かけ10年おった。

だから私、子供の保護者会でも行きよったよ。
北中の階段を降りていったら、すぐ枝光小だから。
他の先生たちに時間割を入れ替えてくださいと頼んだら、
嫌とかいう先生おらんやったもんね。
で、5時間目をあけて授業参観やら行きよったもんよ。
そういう意味でも、みんなに助けられたわね。

―――北中時代で、よく覚えているエピソードは?

とりたたて「こんな事件があった」というのがないのが
北中時代やった感じがするね。
何か事件が起きて授業を中断しなきゃいけない、
なんてことがほとんどなかったから、
毎日落ちついて授業ができた。他の中学ではあったからね。

―――他の校区に比べていかがでしたか?

枝光には地域独特の、落ちついた雰囲気があった気がするね。
人の出入りがあんまり激しくなかったし。
親たちも、常識があって学校にも協力的だしね。
これはとっても大事なことなんよ。
家に帰って子供の前で先生たちの批判ばかりしとったって、
何もいいことはないよね。

―――それは大事なことですね。

◆生徒会で何年も取り組んだ"長髪問題"

―――北中ではずっと、生徒会の指導もされていましたね。

生徒会の活動でいちばん取り組んだのは、男子の長髪の問題よ。

―――北中では長い間、校則で男子生徒はみんなボウズ頭でした。

そうよ。わたしが赴任したときから
ずーっと生徒から長髪の要望があがっとって。
私が生徒会をするようになって、3年間くらい取り組んで
やっと認められたのよ。

―――僕たちが入学するまでにそんな経緯があったんですね。

中にはね、長髪に反対という考えの生徒会長もおったのよ 。
「長髪はいけんと先生が言うとるから、そういう活動はしません」って。

―――生徒会長がですか?


そうなんよ。だからその子にね、生徒から要望があって
多数決で通ったら、それを取り上げるのが生徒会の役目なんだと。
自分が反対だから運動せんのは間違っとるよ、と言うてやって。
ちゃんと職員室まで要望することはしなきゃいけない、
やるべきことはやらんといけん、と。

―――生徒会の代表として、ですね。

だから、要望を出すのに、親の意向を聞くこともやったし、
それから生徒会執行部をみんな校長室に連れていって、
校長と交渉させることも何回かやった。

校長もね、生徒の話を聞いてやってくださいと要望したら、
ちゃんと聞いてくれよったわけよ。
でも、そのとき頑固に反対しとったある先生には
「わがままもん」って言われたよ。

―――えーっ。

それは生徒には言ってないけどね。
その先生に 「わがままもん」となじられて、
「え、それはちょっと違うんやない?」と思ったよ。
わがままというのは、自分の思うことを通すのがわがままやろ?
私はルールにのっとって、生徒に民主主義の手続きを
教えよるわけよね。私としては、結果はどうでもいいのよ。

―――で、その先生にはなんと?

だから私「どうしてですか?」って言ったけど、
まぁ、話の通じん人よ(笑)。
私はそれ以上、その先生とは何も論争はしなかった。
したって無駄やから。

「やり方が間違っとるよ」と言うなら、
「どう間違っていますか?」と聞きようもあるし、
「校長まで持ってくる前にあんたが押さえんと」と言われたら、
またそれなりの反論の仕方があるよ。
それを「わがまま者」と言われたら…。

―――議論にもなりませんね。

ならんやろ?で、またあるときは、別の男の先生と
議論をしよってね、何の話だったか中身は忘れたわ。
で、向こうは返す言葉がなくなったあげくに
「女のくせに。」って。

―――うわっ、出た。

言ってから、向こうも「しまった!」と
いうような顔をしとるんよ。

―――感情的になって、本音が出たんでしょうね(笑)。

「わがままもん」も、それと同じようなことよね。
「女やけ、引っ込んどけ」よ。そんなこともあったよ。
私は何も、女権を振り回すタイプやないんやからね、
ただ納得がいかんやったら、納得するまで言うわけたい(笑)。

―――生徒たちもいい勉強になったでしょうね。

そうね、ちゃんと手続きを踏んで、プリントを配って
親からアンケートをとったり、いろいろやったからね。

―――そういう経緯があって、長髪が許されたんですね。

生徒会が取り組んだ上で、職員室にとりあげてもらうまで、
やっぱり何年もあるわけよ。
なんでも突然、天から降ってくるわけじゃないからね。

―――教員時代を振り返って、いかがですか?

今でも卒業生たちになんかの行事で会ったりすると、
みんなちゃんと相手してくれるわ。
どうかしたら、生徒の方が「自分は悪かったから」とか
なんとか言ったりするけどね。こっちはこっちでね、
この子にとっていい先生やったかな?とか思ったりね。
もっとあの時、やりようがあったろうけどな、とか
今頃になって思ったりする部分もあるよ。

(つづく)