【Interview】2008年3月4日
英語の授業が終わったら
生徒はみんな「はぁ〜」ちゅうて、
ため息をつきよったね。(笑)
近藤 魁 先生
【プロフィール】
1924(T13)小倉生まれ。大阪外語(支那科)を卒業後、豊橋第一陸軍予備士官学校へ。1945(S20)広島で被爆。戦後1946(S21)より飯塚の日鉄二瀬鉱業所に勤務。1949(S24)から中学校の英語教師に。高見中→中央中→尾蔵中→枝光北中(S48〜)を最後にS57年に定年退職。その後、九女大附属高校に勤め、1993(H5)に退職。現在も趣味で英語と中国語の勉強を続ける。

◆退職後も、英語と中国語を勉強中

―――朝日新聞の「声」欄への投稿は以前から?

いちばん最初に新聞に載ったのが平成5年。
退職した頃かな。こないだの朝日で58回目。

―――58回もですか!それはすごいですね。

初めの3〜4年は毎月、朝日と毎日の両方に、
ぜんぜん違うことを書いて出すわけね、すると両方とも
載ったりするのが続いて、回数が多くなったわけ。

―――今日は、英語のクラスがお休みだったそうですが、
英語を教えていらっしゃるんですか?


いいや、習っている方。

―――それは、向学心旺盛ですね。

向学心というか、暇つぶしやね(笑)。

―――中国語も習っていらっしゃると聞きましたが。

意外にね、忙しい(笑)。英語は2つあるんよ。
毎週火曜日と、もう一つは日曜日。日曜のは月に二回。
こっちの方がちょっと難しい。生徒が15人くらいいて、
順番に英語でスピーチをせないかんの。

―――英語でスピーチですか?

今度の朝日に投稿したやつをね、日曜の英語のクラスで
話をせないかんわけよ。
で、英語に直して講師の先生に見てもらうと、
あちこち訂正がしてあるんよねぇ(笑)。
おっ、と思って。やっぱりこういう言い回しの方が、
英語らしいんやなとか思って。

―――その講師の先生は、ネイティブの先生で?

そう。フィジーから来てる先生なんやけど、
フィジーは昔、イギリス領で。今も公用語は英語なんよね。
ちゃんとイギリス英語を話すし、
いいかげんなアメリカ人よりも正しい英語よ(笑)。

―――先生は今は教える方は?

今はぜんぜん。人に教えるのは、ものすごく難しいね。

―――僕も今、中学生を相手にしていますが、
教えるほどに難しさを感じています。


1のことを教えるのに少なくとも10は知っとかないかんね。
ホントは50から100くらい知っておかないけんのやけどね。

―――僕なんか、単語帳をつくろうとか、勉強のやり方から教えていますけど。とにかくまぁ、みんなめんどくさがってですね(笑)。

これは一般的な傾向だろうけど、今の子どもは
自分から苦しんでやろうという気持ちがないみたいね。
僕たちのころは、勉強というのは苦しい、
でも一応やらないかんという気持ちが
どっかにあったような気がする。今はぜんぜんないみたいね。

―――英語に限らず、学校の先生は大変でしょうね。

今にして思うと、僕も中学校で、もっとこういうふうに
教えてやればよかったなとかね、いろいろあるね。
反省ばっかりや。時々、夢に見ることもあるよ(笑)、
ああ、しもたぁと思ってね。

―――えーっ、今でも夢にですか。

僕の授業はすごく厳しいというか、緊張感があったように思う。
授業中は、ちょっとでもよそ見しとったらいけん、
いつも僕の方を見とかないけん。
だから授業が終わったら生徒はみんな「はぁ〜」ちゅうて、
ため息をついてね(笑)。
それを聞いたとき、みんな緊張してくれてるんだなと思ったけどね。
あれもあんまりよくなかったと思うね。
なんでもそうやけど、息抜きがないといけんね。

―――ああ、それは大事かも知れませんね。

人生には息抜きが必要(笑)。だから子どもにもね、
50分の授業の中でそういう機会を与えないかんかも知れんね。

(つづく)