【近藤魁先生の新聞投稿より 11994(H6)年12月14日 朝日新聞「声」

キノコ雲切手 説明文が問題
 米郵政公社が戦勝五十年を記念して発行を予定していた記念切手の「キノコ雲」図柄が変更されることになった。政府首脳も「日米友好のため」と、高く評価している。しかし、私にはこの対応は納得できない。
 記念切手の重大な問題点は図柄にあったのではなく、「原爆が戦争終結を早める」という説明文にこそあった。むしろ、図柄のキノコ雲は合成写真でなく、広島、長崎上空の、真実の「雲」を使ってもらいたかった。
 切手は地球をくまなく回る。米国民にも、世界中の人々にも、五十年前の無差別殺人の事実を思い起こしてもらう絶好の機会であったはずだ。もちろん、説明文は「原爆が人類の終末を早める」と訂正しなければならない。
 切手に書かれているのは単なる説明ではなく、主義、主張である。米国は原爆、つまり核兵器の使用を正当化し、既成の事実として世界に押しつけようとしているのではないか。たとえ図柄をトルーマン大統領に変更しても、この主張はなくならないだろう。
 我々は約三十万人の原爆犠牲者のためにも、米国の主張を見過ごすことはできない。彼らの死を無意味にしないために、日本政府は弱腰にならず、毅然として核兵器廃絶の主張の先頭に立つべきである。
 私はトルーマン大統領の図柄の説明が、「原爆投下命令書にサイン中の」とならないことを、祈らずにはいられない。
【近藤魁先生の新聞投稿より 2】 1995(H7)年1月10日 朝日新聞「声」
ローマ字化は言葉混乱招く

 梅棹忠夫氏が四日の「論壇」で次のような大胆な提案をされた。これからの文明の基礎は情報である。そこで情報の伝達には非能率的な「漢字かなまじり」書きより、能率的、簡単な「ローマ字書き」が絶対有利である。日本語もローマ字表記に変えなければならない、と。
 しかし、表記だけをローマ字にして、日本語の情報の効率が上がるだろうか。古今東西の文明の権威である梅棹氏には失礼であるが、「否」としか思われない。
 私のようなワープロの初歩的レベルにいる者から見ても、五十音、JIS,ローマ字の三つの方法で「正月」を入力するには。前記二法はキーを五回打てばよいが、ローマ字法では八回打たなければならず、非能率的である。
 言葉を大切にしなければならないアナウンサーの中に、「JR」の「J」(ジェイ)でさえ正しく発音できない者が多い現在、ローマ字表記化は日本語の話し言葉、書き言葉に更に混乱を招き、逆に世界の情報競争にとり残されてしまうとしか思われない。
 歴史的に見ても、自分たちの言葉、文字を奪われた民族は、物質生産、文化創造の活力を失っている。日本語のローマ字化には反対である。

【近藤魁先生の新聞投稿より 3】 1995(H7)年8月29日 朝日新聞「声」
小学校で英語 早過ぎないか

 小学校での英語授業の研究開発校が、来年度は四十七都道府県に一校ずつとなり、将来は全国の小学校で英語を教えることになりそうだ。
 ゲームや寸劇を通して日常会話を中心に教えるので、英語を話すことに抵抗がなくなるという。これで英語の話下手な日本人もなくなると期待されているが、果たしてどうか。
 カナダで保育園、現地校に通い、五年ぶりに帰国した孫が、今夏の実用英語検定を受け、小学六年の男の子が二級(短大程度)、小学四年の女の子が準二級(高校程度)に合格した。英語だけは、同年齢の日本の児童より力はついている。が、反面、大事な日本語の読解、表現、漢字力はかなり遅れている。
 外国語の習得には日本語、文化の基盤が必要である。日本語もまだ身についていない小学生から英語を始めるのは危険である。
 それより、英語希望者だけに中学で日常会話、文法の初歩を教え、高校で毎年夏休みに英語だけの合宿集中訓練をした方がいい。大学でも三回の夏期合宿集中訓練と、四週間の英語国での生活と英語研修を必修にすれば、かなり高度な英語による発表、討論ができるようになると思う。

【近藤魁先生の新聞投稿より 4】 1996(H8)年11月1日 毎日新聞
ベルリンで子供のすりに遭った
 ヨーロッパ旅行中の先月17日朝、ベルリンですりに遭った。少女1人、少年3人のグループ、あるいは姉弟かもしれない。
 景色に見とれていると、1人が新聞紙を1枚持ち、小さい声で「ペーパー」とか言い、全員で近寄って来た。
 「ノー」と言って無視していると、新聞の下に隠していた手が私のポケットに触れた。瞬間、隣の妻が新聞の上からたたいた。日本人ガイドも大声を上げた。
 4人はゆっくりと私たちから離れた。何事もなかったように。数分後、4人は外国人男性のグループにも近付いたが、また失敗したようだ。あの子供たちは今日何を食べ、どこに帰るのだろうかと、可哀そうになった。
 日本でも敗戦後、多くの戦災孤児が町にあふれた。世界には、今でも、生きるために盗まなければならない子供たちがいるのだ。
 今年は国連による「貧困撲滅の国際年」。成果を祈らずにいられない。
【近藤魁先生の新聞投稿より 5】 1997(H9)年3月16日 朝日新聞「声」
「街道をゆく」映像化に期待
 司馬遼太郎氏が昭和46年(1971)、「湖西のみち」から書き始めた「街道をゆく」全73街道を、NHKが映像化するという。瞬間、果たして可能だろうか、と驚くと同時に期待した。
 制作者は「世界から日本を見る」をテーマに、氏の心象表現に重点をおく、と言われる。しかし、文章と映像では次元が異なる。その上、氏の名文は字間、行間に余韻があり、街道は例の魅力ある「余談」の集大成でもある。これらをどのように融合、処理されるのか。
 氏の小説は動、街道は静、と思う。小説は、氏の若々しい心を発散させる場であり、街道は、風土の中で静かに思索にふける場ではなかったろうか。その心象は、どのように映像化されるのか。期待も大きいが、課題も多い。
 また、司馬文学ファンとしては、氏が歩かれた道。氏を案内された土地の人々。ゆかれる前に読まれた史料などは、ぜひ見たいものだ。さらに海外の街道モノには、その国の言葉でナレーションをつければ、司馬文学紹介の糸口になる。
 最後に、この街道は追悼などではなく、いつまでも若さを望んだ氏のために、青年司馬遼太郎の視線で映像化してもらいたい。