◆枝北中に「べトコン先生」が来た
僕は、北九州市の教職員組合の書記長、専従を辞めて、
枝光北に転勤になったわけ。当時は一ヶ月にいっぺんぐらいは
新聞に僕の名前が出よったもんね。
対教育委員会との交渉が決裂したとかいろいろ。
翌日、新聞に書記長談が出るわけよ。
――当時の組合と教育委員会との火種は何だったんですか?
組合への弾圧、切り崩しね。
もう、組合員を脱退させるわけよ、校長が。
――校長がですか?若い先生を呼んで「出世できんぞ」みたいな?
そうよ。とくに教頭前のね。教頭の受験をするのに
組合に入っとったら絶対通らんのやから。
だからまず組織の切り崩しは「あんたそろそろ教頭前やから、
組合脱退した方がいいばい」ちゅうて。
校長やら教頭やら、親戚の者を通じて言ってきたりする。
――えー、そうなんですか。
だから枝北に赴任するとき(※1971:昭和46年)に、
「ベトコン※が来るばい」と言われて話題になって。
当時ベトナム戦争があったけね。
(※ベトコン:アメリカ軍と戦った南ヴェトナム解放戦線に対する蔑称。
組合活動をしていた吉田先生と対立し、揶揄する人たちがいたらしい )
枝北に行ってすぐ、PTAの副会長をしよった母ちゃんがね、
「先生、面白い話があるよ」ちゅうて。
「先生のこと、ベトコンが来たけ、みんな用心せい」というて
父母の間に広まったらしい。
「そら、面白いなあ」と僕は笑ってね。
ほいで夏休み前にはね、「あのベトコン先生は、面白い先生や。
なかなかモノのようわかる面白い先生や」ちゅうことになって。
――だんだん支持者ができたわけですね。
PTAの理事会に出ようとすると、教頭が
「吉田先生、穴生(あのう)でしょう。わざわざ帰って、
八幡の果てから来んでもいいですよ」と言われて、
「いや、僕は楽しみで来よるんやけ、別に何とも思っとらん」
というてね(笑)。PTAでも、言うたら困るような話は、
俺しか言わんのやもんね、校長はありきたりな話しかできんし、
生徒に関わる細かい問題になったら校長は答えにくいだろう。
一度、PTAの理事会で開き直ったことがあったんよ。
「この学校のPTAの1年間の主な議題を言おうか」というてね。
みんな飲みごとたい(笑)。
4月は新しい校長・教頭が見えたんで、その歓迎会をいつしましょうか、6月頃になったら夏は納涼でどっか行こうか、そげな話。9月になったら運動会の後どうしようか、忘年会はどうしようか、年が明けたら、新年会とお別れ会。そんなPTAでどげんするですか、と言うてね(笑)。
当時は先生もみんなPTAの各部に所属するわけよ、
総務部とか体育部とか教務部とか。なんか入るわけ。
それで「吉田先生なんがいいですか?」と。
教育部と言いよったかね、1年目はそれに入っとったよ。
教育部に入ったらしゃべることが多いやろ、
やっぱ校長や教頭は俺が煙たいわけたい(笑)。
だから2年目は「教育部は希望者いっぱいやから、
吉田先生 代わってください」といわれて。
「あ、俺はどこでもいいよ。どこが空いとるな?」というたら、
「経理部が空いちょる」ち言われて(笑)。
――経理部ですか(笑)?
経理部は何もないたい(笑)。
2ヶ月にいっぺん、ベルマークの整理があるくらいよ。
そいでベルマークに行って、ワーこらワーこら、母ちゃん達と話してね。ま、合間合間に教育論議をするわけたい。まあ四方山話でいい話、悪い話をね。チクっチクっと(笑)
◆出張中に、PTAで大事件が…。
あるとき会議で博多に出張に行くことになって、
その日は、社会科のK先生に
「俺、博多行かんなけ、あんたベルマークを頼むね」と言うて。
で、あくる日に学校行ったら、Kさんがあわてて
「先生、昨日おおごとが起こった」と。
実はPTAの副会長が『うちの学校のPTAは、女性の委員を粗末に扱いよる、軽視しとる、差別しよる』と。で、よその学校を調べたら、枝北のPTAの規約がおかしいので、規約を改正するのをPTA会長に申し入れると、こうなっとるわけたい。
――どのへんが問題だったんですか?
典型的なのは、理事の選出の細則がないわけたい。
あの当時、PTAの理事の選出は、10年以上も会長をしよったMさんがね、1丁目はあの人、2丁目はこの人…って、ぜんぶ名指したい。理事の改選はぜんぶ自分でするんだよ。
それでK先生は、俺が仕組んどったと思い込んで。母ちゃん達に入れ知恵をしとったと思うとるわけたい。で、俺がおらんときに、その入れ知恵が芽を出したと(笑)。
「先生、知らんのですか」
「ぜんぜんそんなこと知らんばい」
「副会長と女性の有志で、会長に申し入れに行こうと思う」と。
僕のいないときに決議しとるわけよ。
――吉田先生はどうされたんですか?
いやだから、それは僕はぜんぜん関係ないと。
それはあなたたちが自分達で思うたようにどうぞと。
で、女性みんなでPTA会長のとこに行ったら、Mさんはもう怒り上げちょるわけたい(笑)。「PTAの会長に向かって、女性部、婦人会がそげな申し入れをするとは何事か!けしからん!」と。「おおかたこれは吉田の入れ知恵やろ」と言うたとか(笑)。で、それが僕の耳に入ったんよ。
それで今度は、僕が押しかけて行ったんよ、Mさんの家に。
「あたかも僕が教唆煽動してね、行かせたような言い方をあんたしたそうやけど、それは心外この上ないと。あんたいつまでPTAの会長をするか、たいがい辞めなさいと僕は思うとったけどね、人を利用してから言わせようなんて、そげな野暮な魂胆はもたん」と。
――以前に、Mさんに直接言ったことは?
うん、ある(笑)。
――じゃあ、もともとMさんも「あの吉田は気に入らん」と
ずっと根に思ってたんですね。
思っとったやろね。僕は文句ばっかり言いよったからね。
あの人、だいたい元は教員やから、僕たちの先輩たい。
――いくつぐらい年が離れていらっしゃるんですか?
20歳以上は離れとるやろねぇ。
――じゃあ、大先輩に当たるわけですね。
うん、大先輩、大先輩。
――よくそんなこと言えましたね(笑)。
俺は、新卒でね、師範学校卒業したときから校長とも喧嘩しよったよ。とくに軍隊から帰ってきてからは、それこそ、平和憲法ができね、学校制度が変わり、民主主義の時代になったから、校長とは毎日議論しよったね。
(つづく)
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