◆校長も教員も対等に議論
――昔の教育現場はどうだったんですか?
昭和1ケタから終戦になるまで、こと教育の議論になったら、校長とか教員とかそういう区別はぜんぜんなくて、喧々諤々(けんけんがくがく)の議論をしよったよ。
戦時中であれだけ軍の統制が激しい時代に、互いの教育観とか、この教材で何を教えるかとかね。校長やからというのは、その場では認められんの。校長もそれだけの勉強をしとかんな。
――戦時中にですか?
そう、戦時中よ。一つの単元を教えるにあたって、たとえば電圧と電流と抵抗の関係をどう指導したら、よりわかりやすく理解できるかということをね、いろんなやり方があるわけやろ。それが議論になるわけ。
教師としての実力となったら、校長も教員もぜんぜん関係ない。
そら、戦時中で戦争に関わることでどうするか、子供を鍛えないかんから、どんな訓練をするかということになると、上から言うてきたことに従わせないかんけどね。だから、その先生同士の議論がね、今ないのが残念なんよ。
――今の現場は、上からの押しつけがきついと聞きます。
僕のおった学校はとにかく会議が多かったから、とくに女の先生なんかはね、帰りが遅うなるからというんで転校してくる希望がなかったよ。尾倉中に行ったら会議が多いぞ、と(笑)。
それでも移動があるから嫌々ながらでも来るやろ。そんな先生が1年経ったら「早うここに来ればよかった」と言うわけ。
――校長からの圧力もないわけですね?
自由に自分の意見が言えるわけ。することに対しても、命令やなくて、みんなで会議しながら納得しながら、やって行けるけね。
会議でも用事のある先生は帰っていいですよと。明日来たら昨日のことはちゃんと言いますからと。だから、安心しておれるわけ。
◆「叱る」ではなく「言うて聞かせる」
昔、僕たちが子供のときに、親戚のおじさんやらが来るやろ、そしたらよう婆さんが言いよったけどね、「修は、もう悪そうばっかりしてから、一つも言うこと聞かんけ、言うて聞かせてくれ」と言うんよね。
「 叱ってくれ」やないんよ。いわゆるモノの道理、世の中の人間関係というかね、人に迷惑かけたらいかんということを言うて聞かせてくれちいうて。
昔はそう言うて子供をしつけよったよね。
――あー、昔はよく聞きましたね。
それから、親が子供を叱るときは、必ず"なだめ役"がおったもんよ。子供の悪いことを納得させてね、母ちゃんが言うことはホントやと。だからことわり言いなさいと。
で、たとえば婆ちゃんが間に立って、こうして反省してことわりを言いよるから勘弁してやっておくれと。そう言うてね、助けてやらないかんわけたい。
それを子供の前で、怒っとる人の立場を考えずに「あげな怒り方をして」とか言いよったら、しつけがパーになるんよね。
――「叱る人」と「叱られる子供」の間に立つ人がいるわけですね。
そうそう。そのやりとりの妙味はね、昔はみんな心得とったわけよ。
だから学校でも、長いこと正座させる先生がおったら昔の子供はね、あんまり長う座っとくと足が痛いし(笑)、「先生、もうこれからはしません。こらえてください」と、ええ頃を見てことわりに行きよったもんよ。今の子供はそれを知らんのよね。
僕なんかはいつも、怒っとる先生に「もうたいがいで、許してやんなさい。俺が子供に言うてきかせるけ、こらえちゃんない」と話をつけとって、
子供には「お前達いつまで座っとるか、先生にことわりに行け。もう、てれーっとして、授業を抜けたんがもうけぐらい思うてからお前、つまらんど。何のために学校来とるか」というて。「ちゃんとことわり言いきるか?」「はい」というて、あれするたい。先生もそういう配慮を知らんね。
そらあ僕が若い頃、5つ6つ上の血気盛んな先生がおってね、柔道何段かちいうような。この先生が怒りだしたら頭から湯気出して、女の子をガンガン言うて怒りよるわけたい。で、その横を通りながら、あの子を殴りでもしたらおおごとやと思ってね、
「ちょっと先生、あんたせっかく叱っとる最中やけど、ちょっと私にその子預からせてください」というて1時間ばかり連れていって。僕もその子には何をしたんか、なんで怒られたかとか、そげなこと何も聞きもせんやったけどね。
1時間ぐらいして「先生、もうほとぼりさめたな?」と言うてから、「あんたよっぽど腹が立ったかも知らんけど、もう連れてきてことわり言わせるけ、こらえちゃんなさい」というてね。
――怒りはじめたら、引っ込みがつかなくなるんでしょうね。
自分で怒りながら、自乗効果でハッスルするわけよ。だから、そんなときは学校でも僕はすぐ間にはいってね、あれしよったよ。
何かそういう人間の心の機微を読み取るちゅうか、理解する人が少なくなってきた気がするよね。
(了)
|