【Interview】2007年7月10日
生徒が次に何をやってくるか、
こっちも面白がっとるような
ところがあったね。
吉田 照子 先生

いつも生徒たちに、驚かされっぱなし

―――中央中の次が、木屋瀬(こやのせ)中学ですね。

そう、昭和40年から。
木屋瀬の生徒はワンパクやったけど、楽しかったよー。
もうね、じっとしておらん。あれが子どもの原型よね。
こっちの生徒を押さえたら、あっちがビッ。
あっちを押さえたら、こっちがビッと出るやろ、
もう目が回るごとあったよ。

土曜日の帰りのホームルームなんか、生徒はうずうずして
もう椅子から腰が浮いとるんよ(笑)
「さいなら〜」ちゅうて教室を飛び出して行くやろ。
どこに行くかちゅうたら、遠賀川にうなぎを仕掛けとるんよ。
山には小鳥の罠。そんなのが待ち遠しくてたまらんのよ。

―――今の中学生とは、環境がぜんぜん違いますね。

それでまた、厳しい中央中から木屋瀬に来たでしょう。
当時の中央中の生徒は、家庭もお上品なとこが多いたいね。
そりゃあ授業もやりやすいよ、一生懸命勉強するし。

木屋瀬ではこっちが肝っ玉をつぶすようなことが多かったよ。
ただ、都会の学校のワルとは違うからね。次は何をやってくるか、
こっちも面白がっとるようなところがあったね。

その後、枝光北中に移ってきたときは、
生徒があんまり大人しいもんやから、職員室で
「なんか墓石に向かって授業しよるごとある」と言いよったほどよ。

―――木屋瀬中で、何か覚えているエピソードはあります?

いっぱいありすぎるよ(笑)
る朝、教室に行ったら生徒がマッチ箱をくれるんよ、
開けてみたら、こんな大きいスズメバチが入っとってね。
「先生、これに刺されたら死ぬんバイ」って。
もう死んどるハチやけど、びっくりしたよ。

あるときは、学校の隣にある池から大きな魚を捕まえてきて、
「先生、これ雷魚(ライギョ)ちいうんバイ。
先生んとこの子どもやら、こんなん知らんやろ」って言うから、
「知らん知らん、私も初めて見たよ。」と答えたのよ。
そしたら「先生、これ持って帰り」って(笑)

「こんな大きいのどうやって持って帰るの。死んでしまうよ」
「いや、死なんと。これ強いけ。ちょっと待っとき」って、
新聞紙を濡らしてグルグル巻きにして、
「これで縛って持って帰って、たらいに移したら
すぐに泳ぎだすっちゃ。」って言うんよ。
そうしたら、ホントに生きとってから。

―――その生徒は、ライギョを飼えっていうんですか?

いや、ウチの子に見しちゃれと。町のもんは知らんやろって。
「雷魚は虫がいっぱいおるけ、刺身やらでは食べられんけど、
ぶった切って、みそ汁にしたらおいしいんバイ」と
教えてくれたよ(笑)。

―――都会から来た先生に、いろいろ教えたいんでしょうね。

ね、ほんとびっくりするでしょう。だいたい私も町の子やったし、
そういうこと知らんから、目を回すことばっかりよ。

―――スズメバチ持ってきたり、ライギョ持ってきたり(笑)

私が木屋瀬に行ったもんやけ、中央中の先生から
「理科の時間に解剖をしたいけど、そっちでカエルが
手に入らんかね」と電話かかってきたことがあったよ。

で、放課後にクラスの生徒に聞いてみたんよ、
したら「先生、まかせんね。ちょっと待っとき」と言って、
ピューっとおらんごとなって、30分くらいしたら
食用ガエルの大きいのをバケツに入れて持ってきたよ。

―――食用ガエルですか。

中央中では、普通のカエルが来ると思うとったら、
とんでもなく大きいのが来たもんで、ビックリよ。
生徒が喜んだらしい。解剖がやりやすかったって(笑)

―――それはビックリしたでしょうね。

休日に私が日直をしよったら、
用務員室から、なんかいい匂いがしてくるんよ。
生徒がスズメをとってきて焼き鳥をしよると(笑)
ガスの前で串を回しながら 「先生、焼き鳥しよるんバイ」と
自慢そうにしとったよ。

運動場の砂場には、マムシがおったことがあってね、
それを用務員さんが捕まえてきてマムシ酒をつくって、
職員室の机の上にでんと置いてあったよ。
先生もみんな呑み助がそろっとるけ、
飲みごろがくるのを待っとるのよ。

―――凄いですねぇ。職員室の机にマムシ酒。

凄いやろ。数えあげたらキリがないけどね。
あるとき、男の子らが家出したことがあってね。
男の先生たちと草っ原のなかを探し歩いていたとき、
ある地点を踏むとなんだかブヨンブヨンするんよ。

笹やらドロやらをのけたら板が引いてあってね、
その下に壕を掘って隠れ家にしとるんよ。
近くの神社から、お神酒やらお供えを
いっぱい運び込んどってから(笑)

地下が見つかったらね、その次は木の上よ。
木の上に掘っ立て小屋みたいなのをつくって基地にしてから。
魚を釣ったり、うなぎや食用ガエルを獲ったり、
山に行けば鳥をとってくるし。

―――たくましいですね。

「この子たちは生活力旺盛やね、どこでも生きていけるね」と
言うたことよ。都会の子の悪さとは、ちょっと違うんよね。
生徒もいい子がいっぱいおるんよ。勉強は全然しなかったけどね。
宿題のプリントやら、教室のゴミ箱に押しこんであったり(笑)

―――木屋瀬中には何年いらっしゃったんですか?

木屋瀬は8年。最初は1年でいいから来てくれと言われたんよ。
性に合ったんやろね。

◆やっぱり生徒、人間相手の方が面白い

―――木屋瀬中の後が、いよいよ枝光北中ですね。
北中の後は、どちらへ移動されたんですか。


その後は香月と則松よ。香月中のときに、心臓が悪くなって
しばらく休職したのよ。このまま辞めなならんかねぇ、と
思うとったけど、なんとか調子がもどって復職願いを出したら、
それが通ったのよ。そしたら則松に転出ということでね。

―――則松中が最後になるわけですか。

ここがまた大変でした。それこそ今の世相の縮図みたいな。
酒、タバコ、女、シンナー、万引き、けんか…、もう何でもありよ。

―――当時はかなり荒れていたんですか?

職員室まで生徒が暴れ込んできよったよ。危なかったよね。
それが警察の少年係の人がやって来たら、
猫をかぶったように大人しくなるんよ。
何歳までは暴れとってもたいした罪にならんとか、
悪知恵がついとってから。

ほいで、あんた、親が子どもにマンションの一室を
借りてやっとるんよ。で、生徒がおらんごとなったというから
探しに行ったら、そこにたむろしとるんよ。

―――やりたい放題なわけですね。

部屋いっぱいにビールの缶やら食べ物やらが散らかって、
いつもの連中が集まってドンチャン騒ぎしよったんよ。
夜に見張りにも行ったことあるけど、
「先生達、危ないから夜までせんでください。
それは自分達の仕事やから」と警察から止められたよ。

―――時代や環境で、生徒もすいぶん違うもんですね。

則松は今、すごくいいんだってね。
自分がおった学校がよくなったときくと、やっぱうれしいわね。

―――先生を辞めようと決意したのは?

もう体力がなくなってきとったからね、3年生を受け持って、
学年の途中でひょっと倒れたら迷惑をかけるし、
かといって最後を副担任で終えるのは癪だからね、
担任をもって最後を迎えたいと思って、58歳で辞めました。

―――振り返ってみて、教師という仕事はどうでした?

弟がまだ仕事をしよったとき、
「退職してからどうな?」と聞かれたことがあってね、
「そうねぇ、退職して一年はなんもかんもが珍しいで、
テレビのCMまで珍しいんよ。家の周りに桜の花が咲いとるのを
この間はじめて気がついたことよ。
でもね(笑)、
2年目からはね、ちょっともう、飽くよ」と言うたんよ。

――飽きましたか?2年目からは。

つまらんかった。1年目は飛んで回ろうごとあった。
なんちゅうことあらせん、すぐ1年過ぎるよ。
やっぱり生徒、人間相手の方が面白い。

―――やっぱ、そうですかね。

はい。私はもう、ひょんなことから先生になったけどね、
会社とか行かんでよかったと思っとる。
金儲けとか、書類相手やったら、あんなん長く続かんよ。
生活がかかっとったらするかも知らんけどね。
先生しよって、嫌なこともいっぱいあったけど、
面白いやら楽しいこともいっぱいあったけね。

(了)