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枝光・八幡および近隣のまちの歴史
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当時の世相・できごと
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10'
平
成
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◆2015(H27):八幡製鐵所関連施設を含む
「明治日本の産業革命遺産」が世界文化遺産に登録される
◆2010(H22):九州国際大学付属高校が男女共学となる
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2014:W杯サッカー(ブラジル)
2012:ロンドンオリンピック
2011:東日本大震災
2010:W杯サッカー(南ア) |
00'
平
成
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◆2008(H20):★枝光小学校が100周年を迎える
◆2007(H19):枝光小学校の新校舎できる
◆2006(H18):東田地区にイオン八幡店がオープン
◆2005(H17):枝光小の校舎建て替えにともない、
枝光小の児童は、旧大場谷小学校の仮校舎へ通う
◆2003(H15):ひびきが丘小学校が開校
( 大場谷小学校と山の口小学校が統合)
◆2003(H15):枝光台中学校の新校舎が完成
◆2002(H14):いのちのたび博物館がオープン
◆2002(H14):到津の森公園がオープン
◆2001(H13):北九州博覧祭2001が開かれる
◆2001(H13):枝光台中学校が開校
( 枝光中学校と枝光北中学校が統合)
◆2000(H12):枝光地区乗合ジャンボタクシー運行開始
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2008:北京オリンピック
2006:W杯サッカー(ドイツ)
2002:W杯サッカー日韓共催
2003〜:イラク戦争
2001:アメリカ同時多発テロ
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90'
平
成
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◆1999(H11):枝光北まちづくり協議会が発足
◆1999(H11):九州国際大学が平野地区へ移転
◆1999(H11):JRスペースワールド駅が営業開始
◆1998(H10):温泉施設シーサイドスパがオープン
◆1997(H9):東田にJRAウインズ八幡がオープン(現施設)
◆1994(H6):枝光八幡宮の創建800年祭
◆1994(H6):北九州八幡ロイヤルホテルがオープン
◆1994(H6):枝光北公民館が現在地に移転(現:枝光北市民センター)
◆1990(H2):東田地区にスペースワールドが開業
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1995:阪神淡路大震災
・地下鉄サリン事件
<1991:バブル崩壊> |
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◆1989(H元):八幡大学が「九州国際大学」へ校名変更
◆1987(S62):若戸大橋の歩道が廃止される
◆1985(S60):西鉄電車の「枝光線」が廃止される
<幸町-浅生-沖台通-牧山-荒手-枝光駅前-枝光本町-山王-中央町>
◆1984(S59):エメラルドタウン枝光できる
◆1983(S58):枝光小に相撲場できる
◆1982(S57):UR都市機構 サンハイツ枝光できる
◆1981(S56):UR都市機構 枝光団地できる
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1989:天安門事件
1989:ベルリンの壁崩壊
1989:昭和から平成へ
<1986〜バブル景気>
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70'
昭
和
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◆1979(S54):黒埼そごうがオープン(〜2000年に閉店)
◆1978(S53):夢二まつりが始まる
( 諏訪1丁目公園に、竹久夢二の歌碑を建立)
◆1978(S53):八幡から高炉の火が消える
(八幡製鐵所 洞岡第4高炉休止)
◆1978(S53):堂山保育所が現在地に移転
◆1976(S51):荒手1丁目の山手住宅街の入居開始
(荒手1丁目公園近辺)
◆1974(S49):北九州市が7区制となり、八幡区から八幡東区となる
◆1974(S49):枝光小が「科学技術長官賞」を受賞
◆1973(S48):枝光小の木造校舎を壊し、給食室、図工室、図書室などが
入る校舎が完成(工事中、2年生はプレハブ教室で過ごす)
◆1971(S46):枝光小にプールができる
◆1970(S45):八幡製鉄が合併により新日本製鐵へ
◆1970(S45):枝光小に体育館ができる
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1976:ロッキード事件
1972:あさま山荘事件
1972:沖縄返還
1970:大阪万博
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◆1969(S44):枝光児童館が開館。
◆1969(S44):枝光小のグラウンドにスタンドができる
<昭和43年の枝光小の児童数1,047名>
◆1964(S39):三子連(枝光第三子ども会連絡協議会)できる
町内ごとに子ども会をつくり、運動会には子ども会リレー、
夏休みにはソフトボールとポートボール(後バレーボール)の
大会が開催される
◆1964(S39):★枝光北公民館が開館(現:大宮町6番)
◆1963(S38):八幡大学(現九国大)付属高校女子部開校
◎1963(S38):五市合併により北九州市が誕生
◎1963(S38):八幡製鐵所の労働者数がピークに(4万3千人以上)
◎1962(S37):若戸大橋が開通(当時は東洋一のつり橋)
◆1961(S36):★枝光北中学校が開校
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1969:大学紛争ひろがる
1969:アポロ11号月面着陸
1968:三億円事件
1964:東京オリンピック
1960:安保闘争
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50'
昭
和
・
戦
後
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<昭和33年の枝光小の児童数1,755名>
1958(S33):この頃、小学校は二人掛け机で、
男子児童の多くが学生服を着用。枝光小には野球部もあった。
◆1958(S33):八幡大学(現九国大)付属高校男子部開校
◆1957(S32):堂山保育所が開所
◆1956(S31):この頃、枝光小の修学旅行は別府へ
◆1953(S28):小鳩幼稚園が開園
◆1950(S25):八幡大学が開学(現:九州国際大学)
◆1947(S22):枝光中学校が開校
<昭和22年の枝光小の児童数919名>
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<電化製品の3種の神器>
白黒TV・洗濯機・冷蔵庫
<1955〜:高度経済成長>
1951:サンフランシスコ講和条約
1950〜53:朝鮮戦争
1946:日本国憲法公布
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昭
和
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◆1945(S20):8月8日、八幡大空襲 ★【八幡空襲の記録】
◆1944(S19):8月20日、北九州上空で日本の戦闘機が敵機に応戦。
日本の戦闘機が富坂町(現:山王3丁目)の民家に墜落。
◆1944(S19):6月16日、★【枝光空襲】
枝光が日本で初めてB29の空襲を受ける。
◆1942(S17):九州電気軌道が「西日本鉄道」と改名
◎1941(S16):小学校が「国民学校」となる
◆1941(S16):この頃、枝光小の修学旅行は船で宮島へ
運動会では6年の女子が「なぎなた」の演武を披露
◆1940(S15):大場谷尋常小学校が開校(現:ひびきが丘小)
◆1939(S14):枝光小に「日々是建設」の碑が建つ
◆1932(S7):九州電気軌道(現:西鉄)が到津遊園を開園
◆1930(S5):八幡製鐵の炭滓(たんさい)線(現:くろがね線)が開通
◆1929(S4):九州電気軌道(現:西鉄)の「枝光線」全線開通
<幸町-浅生-沖台通-牧山-荒手-枝光駅前-枝光本町-山王-中央町>
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1945:原爆投下
・ポツダム宣言受諾(終戦)
1941〜:太平洋戦争
1937〜:日中戦争
1931:満州事変
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<1928(T15):枝光小の児童数1,506名>
◆1923(T10):九州電気軌道(現:西鉄)の「中央町-枝光駅前」開通
◆1921(T10):山の口尋常小学校が開校。(現:ひびきが丘小)
◆1920(T9):「幸神(さいのかみ)」の石碑が立つ(現:荒手の三石碑)
◆1919(T8):枝光尋常小学校が、現在地に移転
◆1918(T7):八幡宮(下の宮)が諏訪山に移転(現:枝光八幡宮)
◎1917(T6):八幡町から八幡市になる。(前田・高槻・荒生田合併)
◆1914(T3):旭硝子の牧山工場ができる
◆1912(T元):安田製釘所(現:安田工業)の工場ができる(設計:辰野金吾)
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◎1914:第一次世界大戦
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<明治42年の枝光小の児童数503名>
◆1909(M42):★枝光尋常小学校が開校(現:宮田公園)
◆1908(M41):枝光駅が営業開始
◆1901(M34):官営八幡製鐵所が操業開始
◎1900(M33):八幡村から八幡町になる
★【明治30年頃の八幡・枝光の様子】
◎1889(M22):遠賀郡八幡村となる(枝光村・大蔵村・尾倉村が合併)
◆1874(M7):枝光村小学校が開校(現:枝光八幡宮社務所)
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◎1904:日露戦争
◎1894:日清戦争
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近世
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◆1807(文化4):「與玉神(おきたまのかみ)」の碑が立つ。(現:荒手の三石碑)
◆1703:貝原益軒の「筑前国続風土記」に枝光村の記述あり。
◆1627(寛永4):枝光の諏訪山(現在の枝光八幡宮)に
八幡大神を移して社殿が再建される。 |
◎1603:江戸幕府開かれる
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中世
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◆1356:枝光で南北朝の争いの一つ「麻生山の戦」が起きる。
(麻生山は、現在の九州国際大学付属高校付近の高台)
◆1194年:花尾城主となった宇都宮氏(のちの麻生氏)が、
枝光の宮田山に宇都宮八幡大神を祀る。(後に社殿が焼失)
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◎1392:南北朝の合一
◎1338:室町幕府開かれる
◎1192:鎌倉幕府開かれる
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古代
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神話
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◆仲哀天皇が神功皇后と筑紫に向かった時、この地の豪族であった「熊鰐(わに)」が
賢木の枝に、三種の神器(鏡・剣・玉)を下げて出迎えた(「日本書紀」)。
枝光八幡宮の由緒によると、この賢木は熊本山(現在の高炉台公園あたり)から
採られたもので「枝三」が「枝光」の地名の由来だとか。。。 |
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