やはたクロニクル
[Yahata Chronicle]
昭和19年8月:体当たり攻撃でB29が墜落。
お話:白石孝夫、稲垣登志子、吉田修、二宮輝義、高橋清美、
秋吉智、秋吉勝巳、山崎千代、吉田武文、金崎守(敬称略)
白石:
昭和19年6月は製鉄所内の防空壕に爆弾が落ち、2〜30人の死者が出ました。その記憶があります。この時は製鉄所を対象にした空襲でした。

稲垣:

九州化学や枝光駅の近くが被害を受けたのを覚えています。
吉田修:
B29が落ちたのは、8月の空襲の時でしたかね。
二宮:
19年8月20日でしょう。私が夏休みで東京から帰って来ていた時でした。
金崎:
昭和19年8月20日は日曜日でした。その日、弟と2人で脇田に海水浴に行き、帰りに空襲警報となり、黒崎車庫前の防空壕に入ったのでよく覚えているのです。大きな瓢箪南瓜を2つ買って帰ってきていました。壕の天井は、枕木で作られていました。
白石:
飛行機が落ちたのを養福寺にまで見に行きました。
二宮:
8月20日の出来事は、日本の戦闘機がB29の4機編成の先頭機に体当たりし、その破片が飛び散り2号機に当たり、2機とも落ち、うち1機は今の永犬丸運動場に落ちたのです。
稲垣:
飛行機のエンジンが瀬板に落ちていました。
吉田修:
落下傘で飛行士が樋口町に落ちたですね。
高橋:
秋吉智さん宅の横に落ちました。私は見に行きましたですよ。
秋吉智:
今の職業訓練所のところでした。
秋吉勝:
私も見に行き、皆が騒いでいましたが、日本の軍隊が来てやっとおさまりました。
白石:
八幡工業のところにも落下傘で落ちましたよ。
二宮:
落下傘で落ちたのは3名で、2名はすぐ捕まり、1名は3日間飲まず食わずでどこかに隠れて、やっと捕まったのです。
山崎:
陣の原の瀬板側に警察署があるでしょう。そのすぐ裏のスリバチ状になったところにエンジンが落ちてきて、バラバラになった人の足を見ました。
稲垣:
日本の戦闘機は、山ノ口の方に落ちました。
吉田武:
B29の1機は体当たりされ、バラバラになって落ちるのを見ました。もう1機は垂直尾翼を取られ、真っ逆さまに永犬丸に落ちたようでした。乗っていたのは5人のようでした。
日本の戦闘機は1機しかなかった。B29は10機編隊で来ました。これでは戦いようがないのです。
二宮:
B29は中国四川省成都より80機編隊でした。日本の方は、下関の小月飛行場より2人乗りの戦闘機で、それが体当たりしたのです。高度7千メートル、1万メートルだと日本の飛行機は上らない。7千メートルだから体当たりできたらしいです。
  (つづく)