やはたクロニクル
[
Yahata Chronicle
]
[戦争体験の証言集]
※記憶をもとにした戦時体験の証言には、あいまいな点や勘違い、
当時の風説などが含まれている可能性があります。
「市民派」特集:北九州空襲体験記 第1集
より
編集:北九州国民文化会議 No.13 1971.8
1971(昭和46)年発行の雑誌「市民派」(八幡図書館蔵)から
八幡空襲の体験記の一部を抜粋・編集して掲載しています。
C1:8月8日の八幡空襲は予告されていた。
(手記10 ―八幡市上本町にて体験― 中本幾治 )
C2:「子供の玉入れ」のような高射砲攻撃
(手記9 ―八幡市枝光にて目撃― 有村義則)
C3:罹災者に、一般の人々の目は冷たかった。
(手記1 ―八幡市枝光にて被災― 近藤道夫)
「私の戦時体験 〜平和の尊さを語り継ごう〜」
より
穴生公民館 郷土史委員会 1998(平成10)年:八幡図書館蔵
戦後53年を経て、八幡西区の穴生(あのう)公民館で戦争体験を語り合う
座談会が開催されました。その一部を抜粋・編集して掲載しています。
A1:昭和19年、体当たり攻撃でB29が墜落。
A2:爆弾で地面に直径5メートルの穴が。
A3:8月8日の八幡は、この世の地獄でした。
A4:焼夷弾が、体に突き刺さっていました。
A5:校長先生の話の途中、機銃掃射を受けて。
A6:空襲は夜から昼間へ。製鉄所では煙幕を張った。
A7:戦中・戦後の食糧難。米粒のない粥で辛抱。
「となりの防空壕に爆弾が直撃」
(近藤逸子さん:当時7歳 枝光在住)