やはたクロニクル
[Yahata Chronicle]
500キロ爆弾が落ちた道路には
直径5mの大きな穴があいていた。
お話:二宮輝義(敬称略)
二宮:
昭和19年は東京の軍関係の学校にいました。夏休みで九州に帰ってのんびりと過ごしていた8月20日、警戒警報〜空襲警報となり、私は庭の池をつぶして貧弱な材料を使って作った防空壕に、「こんなものなら、ひとたまりもないな」と思いながら入っていました。すると、上空にB29の爆音、ヒュルヒュルと空気を切って落ちる爆弾の音、命が縮むようなすごく不気味な音がシューと来てドカンと爆発しました。

警報が解除され、軍服に着替えて爆弾の落ちた場所へ行ってみました。自分の家から100〜120メートルくらい離れたところでした。500キロ爆弾※が落ち、立入禁止の縄張りがされていました。私は軍関係の者ですからヤーヤーといって中に入ってみました。直径が5メートルくらい、深さ2メートル50センチくらいの大きな穴があいていました。幸い、道路だったので人的被害はありませんでした。
※500キロ爆弾:米軍資料によると500ポンド(250キロ)爆弾か。

この日はさきほども話に出た小月より飛び立った2人乗りの戦闘機がB29に体当たりし、2機を撃墜したその日でした。東京に帰ってから、体験したことを話せと言われ、学校で話をしました。

今は、戦争などあってはいけないなと思っていますが、当時は「自分の生命を投げ出してでも国を防げるものなら」という気持ちが強かった時代でした。「潜水艦に小型飛行機を積んで、米海軍の近くまで行って、夜に爆弾を抱えて体当たりでも」と、できもしなかったけれど、夢物語のようなことを考えていました。東京郊外にいましたから、都が連日のように爆撃を受け、真っ赤な炎が上がっているのを眺め、つくづく悲しい気持ちになりました。
(つづく)